『カルメン故郷に帰る (1951/昭和26年)』 | 日本と芸能事が大好きな Ameyuje のブログ

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米合衆国領土グアム島と仏領ポリネシアのタヒチ島とボラボラ島しか訪れた他国無し。比較対象が少ないのに「僕に一番合うのは日本」と思う。反日国に侮辱されても毅然とした態度をとらない現在の母国には「いやんなっちゃうな~」と立腹するけど、やっぱり日本が大好き。

 今日の午後3時過ぎに、私はTOHOシネマズ西宮まで『ヲタクに恋は難しい』監督:福田雄一、出演: 高畑充希、山﨑賢人、菜々緒、斎藤工 ・・・を観に行く予定にしています。  全114席(しかも仕様だけはMX4D席)のSCREEN9で現在私を入れて観客は4名という武漢ウィルスも逃げ出しそうな貸し切り状態。

 実は他に迷った映画もありますが、午前中に歯医者の診療もあるし、諸々の状況から仕方ないと思いました。

 今、というか3/1-4/5の期間、京都府文化博物館フィルムシアターでは「高峰秀子没後10年 デコちゃんの映画渡世 子役から少女スターそして女優へ」と銘打ったイベントが開催されています。

 上に掲げている写真は理由がありまして、勿論デコちゃんではなく、デコちゃんより10歳年下でしかも数奇な運命に手繰られるように32歳で早世されたジプシー・ローズこと志水敏子さんのお写真です。

 リリイ・カルメンこと青山きん と ジプシー・ローズこと志水敏子 は共にストリッパーを職業とする女性でした。  さて、話をまた変えますが、 映画の歴史で初めて…といえば、

 日本で初めての映画が上映された地は 我が故郷の神戸(1896/明治29年)でした。

 フランスのジョルジュ・メリエス Georges Méliès による世界初のSF映画は『月世界旅行(1902)』で、もと奇術師のメリエスらしいトリックムービーでした。

 そして日本で初めて字幕スーパーインポーズがついた外国映画はジョセフ・フォン・スタンバーグ Josef von Sternberg 監督、ゲーリー・クーパー Gary Cooper と マレーネ・ディートリヒ Marlene Dietrich のお二人が主演した『モロッコ Morocco(1930/昭和5年)』 担当したのは日本語字幕スーパーインポーズのパイオニア 田村幸彦氏 (戸田奈津子さんの師匠である清水俊二先生のさらに先輩格)でした。

 さらに、(やっときました)我が国初の総天然色カラー映画といえば、木下惠介監督が前述の高峰秀子さんを主演女優として撮影した『カルメン故郷に帰る(1951/昭和26年)』でした。

 ここまでは私も知っていたのですが、先ほど私のPCが「(69年前の)今日がカルメン故郷に帰るの封切り日だった」と教えてくれました。くぅ~~、アッタマえぇなぁ~ネットコンピューターって…と感心しながら高峰秀子さん連継で先頭に書いたイベント情報にたどり着いた次第です。流石は京都ですね、ちゃんとこういうタイミングに合わせて高峰さん特集をやってるなんて。
 学生時代に、テレビで見た『二十四の瞳 (1954年)』にわんわん泣かされてしまって以来、木下惠介監督と高峰さんの組み合わせは文句なしに観ることにしてましたので、「カルメン」もすでに鑑賞済みです。



 当時精いっぱいのエロティックなサービスと、デコちゃんの美しく健康的な肉体と、英才 黛敏郎氏作曲の主題歌と、北軽井沢の美しい景色とが盛り込まれ、大団円ではみんながそれなりの幸せな景色に収束していくところが嬉しい日本クラッシックムービーの一品でした。
 途中経過こそ違いますが、最後のほのぼの感は、これまた私の大大大好きな映画『素晴らしき哉、人生! It's a Wonderful Life(1946 米)』 Director:Frank Russell Capra のエンディングに通じるところがあるように思います。

 唐突ながら、不幸ななりゆきでアルコールで身を滅ぼしたジプシー・ローズさんに、演出家正邦乙彦以外にもうひとり 二級天使のクラレンスがついていたならば と夢のようなことを考えてしまいます。

 ※全然 映画のレビューではありませんが、 ハッシュタグは自分用に映画レビューとしてつけています。スミマセン。
 

 

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