本日は、日本各地で七夕のお祭りが行われます。場所によっては旧暦や月後れで行われるところもありますが、新暦で行われることも多いのが日本の祭りです。

 

そんな中には、昨年455年ぶりに復活したお祭り、七曲みたま祭りもあり、昨夜がお祭り日でした。

 

本日は、北陸・東北・北海道以外は晴れの模様ですので、新暦の七夕にしては珍しく夜空がよく見えるようです。暑さも厳しいようですので、水分補給は忘れずに!

 

夜空が見えないところでは、せめて映像で美しい七夕の夜空を(先日6月29日の映像)

 

そして、七夕といえば相撲\(^o^)/

 

相撲は大昔、「すまひとらしむ」と言われていました。「すまひとらしむ」とは「令角力」(角は手偏に角)の訓読。平安期頃もこう訓まれていましたが、本来は「ちからをくらべしむ」あるいは「ちからをくらべせしむ」とする説もあります。


これは「日本書紀」の垂仁天皇の時代にある、相撲起源説となっている力くらべの逸話で使われている表現です。
 

その逸話とはこんな話です。


第十一代垂仁天皇七年七月七日のこと。おそばの者が、「当麻邑(たぎまのむら)にクエハヤという力もちがおり、『四方に求めても自分の力に並ぶ者はないだろう。何とかして強力の者に会い、生死を問わず力比べをしたい』といっています」と言いました。


天皇はそれを聞いて、群卿達に「クエハヤは天下の力持ちだという。これに勝う(かなう)者はあるだろうか」と問うた。すると一人の臣が進み出て言うには「出雲に、ノミノスクネという勇士がおります。これを召してクエハヤと対戦させてはいかがでしょうか」と。


そこでその日のうちにスクネが呼ばれ、二人は対峙した。


互いに足をあげて蹴り合い、スクネはクエハヤの脇骨を蹴り折り、腰を踏み砕いて殺してしまった。天皇はクエハヤの土地をことごとくスクネに与えた。ゆえにその土地は「腰折れ田」の名で呼ばれるようになった。


この後スクネは天皇に仕え土師臣の祖となった。(学問の神様菅原道真を出した菅原氏はこの子孫であるという。)
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これは国譲り神話の一つの形とも言われています。国譲りの時に出雲のタケミナカタ神と現在鹿島神宮に祀られているタケミカヅチ神が戦ったのも相撲の原型と言われていますが、その人間版ということです。スクネは「相撲の祖」「相撲の神様」として、墨田区にある野見宿禰(ノミノスクネ)神社には、年三回の東京場所毎に日本相撲協会関係者らが出席して例祭が営まれているそうです。

 

出雲大社内にもあります↓こちらを読むと野見宿彌が出雲国造の氏族であったことがわかります。だからこそ出雲大社内に祀られているわけです。

 

野見宿禰は第13代出雲國造(出雲大社宮司)である襲髄命(かねすねのみこと)の別称です。垂仁天皇の御代7年、当時大和国に当麻蹶速(たいまのけはや)という天下一の力人がおりましたが、垂仁天皇はこの当麻蹶速に匹敵する者が他にいないだろうかと御下問になられました。その際、一人の家臣が進み出て、出雲国には野見宿禰という力人がいることを申し出ると、すぐに役人が出雲国へと遣わされ、野見宿禰は朝廷へと趣きました。そして当麻蹶速と野見宿禰による御前相撲が執り行われ、野見宿禰は見事に打ち勝ち、以降、大和国へ留まって朝廷へ仕えました。このことが『日本書記』に伝えられていることから、野見宿禰は古くより相撲の祖と称えられ、今日では相撲を始めスポーツを志す人々に篤く信仰されています。 また、野見宿禰が朝廷へ仕えた際、墓陵での殉葬を取り止め、代わって埴輪(はにわ)を納める葬儀を考案。その功が称えられて焼物に適した土地を与えられ、土部(土師)職(=はじのつかさ)に任じられるなど、文武両道の神として崇められています。

 

この垂仁天皇の話や、聖武天皇の天平六年七月七日に相撲戯を観るという記録があることから、相撲は平安時代には七夕相撲節という宮中での年中行事になっていきます。


相撲は神事といいますが、稲作の重要な折り目に、豊作・五穀豊穣を祖霊に祈願して、地下に潜む悪霊を封じる清めの塩をまき、ひときわ体躯に秀でた豪の者(力士)により醜(しこ)を退治する。つまり厄除けの四股が踏まれる。裸体は身も心も清めた証なのです。
 
現在も日本各地で奉納相撲は行われていますし、祭事などでの四股踏み奉納もあります。


長野の冬季オリンピックでは開会式に、横綱が四股を踏み感動的でした。そのおかげか無事に終了しました。

 

ある人が東日本大震災に際し、「大相撲の人達はお祓いの意味でも、東北の人達を力づける意味でも、東北相撲をすぐに被災地で開催すべきだった。四股を踏んで、余震の続く大地を押さえつけて見せるべきだった。そうすれば、東北の人はもちろん日本中が力づけられたはずだったし、それが大相撲の一番の禊にもなった」と言うのを聞き、なるほどなあと思ったことがあります。その後、横綱が被災地で四股を踏んだとき、多くの人が慰霊と心の安寧を少しでも取り戻すきっかけを感じたのではないかと考えました。
 
また相撲関連で問題が起きる時、日本全体に良くないことがあるとも言います。コロナ禍が続いた時、無観客試合や中止、休場になったりしていましたが、私は無観客でも開催して横綱が四股を踏む続けることが重要だと考えていました。今後のためにも、そうした例を作っておくことが重要だったのではないか?とも思いますし、今後の教訓になればいいと考えています。

迷信という人もいるかもしれませんが、やはり神事に繋がることからなにかあると、相撲と日本の関連がいわれるわけですから、相撲が続けられることは日本人に安心感を与えることになるからです。

 

これは令和二年三月場所の土俵祭 相撲は神事の表れです。

 

七月場所は9日から始まります。7月ともなれば台風が来る季節となります。雨が続けば、土砂災害が起きやすくなったりもします。被害のないこと、あるいは少ないことを願うということで、七月場所は土固めの意味でも相撲神事の意味でも、重要な時期です。現在、相撲場所は奇数時期に行われていますが、すべての場所にこうした意味があるのではないでしょうか。日本での神事はいつもその時あることの感謝と、これからの無事や五穀豊穣の祈りという予祝の意味があるからです。

 

七月場所は名古屋場所です\(^o^)/

 

相撲といえば四股ですが、近年その四股が健康にいいということで注目されています。

 

 

 

参照
「相撲の歴史」講談社学術文庫
「和暦で暮らそう」小学館
「日本書紀(二)」岩波文庫
「全現代語訳日本書紀(上)」講談社学術文庫

 

 

今年も七夕上映

 

万葉集の七夕の歌

梁塵秘抄の七夕の歌

唱歌の七夕様

 

 

 

 

 

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