昭和47年(1972)5月15日、この日は、終戦後からアメリカに占領されていた沖縄が日本に復帰した日です。

 

2年前には、50周年の式典があり、天皇陛下の御言葉がございました。

 

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この闘争碑は沖縄本島の最北端、つまりこの海の向こうに九州があるというそんな立地にあります。この写真を撮った時はとても穏やかな美しい海だったのですが、そこでこの碑を見た時とても切なくなったことを忘れません。

 

この写真を撮った当時の私はまだまだ日本はもちろん沖縄の知識が全くなかったのですが、この美しい沖縄の海は沢山の英霊の方々が沈んでいった場所でもあると美しい海を見て感銘をうけたことだけは覚えています。しかし、未だに知識が深められないのですけれども・・・。

 

わけのわからない(自称?)沖縄の人達が沖縄ばかり酷い目にあったというようなことを言われる度に私が思い浮かべるのは、日本中が連日空襲にあっていたことや、大空襲が東京を含め大阪、名古屋などにもあったこと、そして広島・長崎の原爆、さらに日本のために闘い、その立地から最初に狙われる地でもある沖縄を守るために出撃した大勢の英霊の方々のことです。ただし、本当の沖縄の方々は、そうして命をかけてくれた英霊の方々のことをわかってらっしゃると聞いたことがあります。

 

以前、8月15日に沖縄で御存命の人達にずっと聞き取りをされている方から、意外な話を聴きました。思い出せる限り書きますがもし間違えていたら、それは全て私のせいですので、そこを踏まえて読んで欲しいと思います。あやふやな話かもしれませんが、このような内容であったと汲んでいただけると助かります。

 

実は、沖縄の激戦地は日本軍が追い詰められていった場所だけだったそうです。つまり沖縄本島の最南端にどんどん追い詰められていったのですが、そこだけのことで、他の場所はのどかだったというのです。そして戦時中でニュースも伝わらないことから、そのような激戦があったことをすぐ側の沖縄の人達も戦後しばらく経つまで知らないことが多かったといいます。というのも、民間人は戦いませんからすぐに投降していったからなんだそうです。

 

有名なひめゆり学徒隊の女性にも話を聞いたそうですが、あれも急展開のため兵隊を置いていくことは出来ないと(当時の女学生の責任感の強さ)その激戦の地まで学徒もついていってしまったという不運で、最後には兵隊といると危ないからそこを離れ逃げるように言われて逃げて生き残ったのだとか。ただしこのような場所で捕まるとどんな目に合うやも知れないからということで自ら命を絶つことになった人達もいたわけですし、その女性もその場にいたら自分も生きていなかったかもしれないという状況だったようです。最後にいた場所が運命を分けたのです。

 

それからその聞き取りを行っていた方は、ひめゆり学徒隊の当時年長だった方と、幼かった方、両方から話を聴いているそうですが、幼かった方はその後の戦後教育のせいか年長者と言っていることが全然違うそうです。幼い分当時理解していることは少なかっただろうし、戦後教育で記憶の書き換えもされているだろうから、私は当時ほとんど大人だった年長者の言うことが真実だと思うとおっしゃってました。

 

話は戻りますが、沖縄戦で戦火に巻き込まれた沖縄の人達は、当時軍のために働いたり、何らかの関係があってついていった人達でした。そしてその戦火の移動上にないエリアの人達は、まったくのどかに戦後まで過ごしていました。

 

以前ツィッターでこんなツィートがありました。


有事の場合自衛隊と自治体どちらかに助けを求めるとなったら、絶対に自衛隊に助けを求めていけない。自衛隊は戦う(防衛する)のが本来の役目だからそこに助けを求めたら襲撃される危険があるし足手まといになるというようなことです。そして、これはその後江崎道朗さんもおっしゃっていました。有事の場合救助他色んな役目を担うのは自治体の仕事である、と。


確か戦時中の沖縄は、避難勧告は早くから言われていたのになかなか行わず、緊迫してから避難を始めるなど後手後手になったと聞いた覚えがあります。民間人と兵隊が一緒に洞窟などに避難した話がたくさんありますが、これは一番やってはいけないことだったのです。

 

戦時中の沖縄の話で、隠れていた洞窟から民間人の方々が追い出されたのは酷い、などと書かれているのを読んだ覚えがあるのですが、それは軍人の方々が、自分たちと一緒にいるだけで命を狙われるので心を鬼にして追い出したというのが真相ではないでしょうか。実際追い出された人たちは生きて、酷かったと言われている軍人達は命をなくしているわけですから、軍人たちの行動が正しかったということです。

 

有事に自衛隊の側に行ってはいけない。これはとっても重要なことですが、災害救助のイメージで自衛隊に助けを求めればいい、と考えてしまうようなことがあるかもしれませんので、これは覚えていた方がいいことの一つです。

 

本当はこうしたことは、きちっと教えられなければいけないし、災害時だけではなく有事の避難訓練も行ってればいいのですが、教えられていません。ここ何年も、露骨に沖縄を狙っている大陸の動きが目立ちますが、そんな中でも危機意識がないことには、不安を感じるばかりです。


世の中にはおかしなことを言う人達がいます。例えその人達の声が大きいからと言ってそれに惑わされないように、しっかり知ることが大切だと思います。知ってさえいれば惑わされないからです。沖縄はその立地から、地上戦に巻き込まれやすく、実際に巻き込まれた土地であり、沖縄が日本に復帰する前から狙われてきた土地です。


そんな土地だからこそ、現在も沖縄はとてもおかしな状況になっています。これは終戦後に占領されていたという環境とその立地のために、色んな人達に狙われている土地だからです。

 

立地というのはとても重要で、国境の場所にある土地は古今東西危険な地域であるというのは常識です。

 

ウクライナ侵攻の例を見てもわかるように、国境に位置するエリアは地政学的に危険なエリアです。沖縄の歴史を見てもそれは明白なはずなのに、そうした意識が現在の沖縄から感じられないことに危機感があります。それは、沖縄に限らず北海道や対馬、新潟など他にもそうした場所がたくさんあります。多くの島々で成り立っている我が国で、それぞれ隣国への最先端に位置する島々があるということは、それだけ狙われる島々や場所が多いということです。


故翁長知事は「本土に復帰は不本意」などと言い、しかも国連で沖縄が差別を受けているだなどととんでもない演説をしました。これには、すぐに我那覇真子さんが反論をしましたが、知事でありながらそれを利用して海外に行ってはとんでもないことばかり言いふらしていました。そして今の知事も同様な存在です。

 

沖縄はのどかな南の島のような印象がありますが、実は情報戦最前線の場所です。戦後、日本ではウォーギルドインフォメーションプログラムで、色んな政策が行われ教育や習慣や様々な事を変えられました。その影響が一番現れているのが沖縄ではないかと思います。なぜなら、沖縄はその立地から戦場になった島であり、占領もされていた島でもあるからです。さらに現在では露骨に中国に狙われているという悪条件が重なっている場所です。

 

しかしだからこそ沖縄は英霊の方々が必死に守ろうとした島でした。

 

あれほど日本復帰を望んだ沖縄が、そして人の良い沖縄の人達が、ほんとうにこんなにおかしな人達ばかりなのか?こちらに伝わってくるメディアニュースには疑問を感じることが多いです。

 

やはり環境がこのような沖縄にしているのか・・・と思うとそうでもありません。実は一般市民のふりをしている動員人達が多いことが今ではあきらかになっています。また、活動家のプラカード文字から沖縄の人のふりをした

外国人が多いことも知られています。

 

沖縄は本土復帰のために闘われた方々と変わらない人々が今も大勢いるようです。以前から、X上を見ていて、若い沖縄の方達が本当に沖縄について考え、また危機意識を感じているツィートが増えていることから、沖縄の変化を感じています。これはそれだけ、国境の島である沖縄の危機意識の表れといえるかと思います。

 

国防も含めた防災の教科書、「民間防衛」
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沖縄旅行した時の話に戻りますが、沖縄本島の北端から中間まで縦断した中で感じた違和感が、低木が多いということでそれを同行していた沖縄の人に言ったところ、戦争があったから、と。また米軍基地があることから、普段から基地の訓練で目にする風景についての話もあってそれが当たり前の沖縄であるということを再認識させられた時でもありましたので、危機意識を持っている人は表面に出ているよりも多いからこそX上でも目立つのだろうとも考えています。なんといっても戦争中の日本への攻撃は日本全土でありましたが、局地戦が行われ占領されたのは沖縄だけなのも事実だからです。(硫黄島は一般人はいなかったので除きます)

 

沖縄というと米軍基地の問題がありますが、昨年起きた、沖縄沖での自衛隊ヘリコプター事故は、新任幹部がまず現地偵察をしたいと向かって起きています。それだけ重要な地であるからということが改めてわかるというものです。

 

以前は、沖縄以外の離島に住む人々(北海道を含む)の危機感が感じられるツィートは少なかったのですが、ここのところ、北海道などはどんどん危機感が強まってきているように感じられます。それは、それだけ目に余ることが増えていることでもあり、やはり状態が悪くなってから出ないとなかなか危機意識は高まらないというのが実情かもしれません。しかし、それでは遅いということにもなりかねませんので、こうした記念となる日にこそ、あらためて危機意識を高めるいい機会ではないかと思うのです。

 

以下は2017年の江崎さんの記事です。

台湾は常に中国から狙われている危機意識を持っている国で、先日の地震の際には、中国からの救援隊の申し出を即断ったことがニュースになりましたし、台湾有事がいつかということは、定期的にニュースにあがってきており、危機意識と隣り合わせにあります。また、サイレントインベージョンが知られた今は、世界中がさまざまなことで中国間とのつながりの見直しを進めていますが、そうした中でもまだまだ日本の危機意識は薄いように感じられます。それでも企業の撤退が現実味を帯びてきているようなニュースも出てきましたので、じわじわとそうした意識が浸透してきているのかもしれないとも期待しています。

 

沖縄は上皇陛下が皇太子時代から格別に思召され沖縄の歌まで習われて御製とされらっしゃいます。「沖縄にそそがれる大御心」

江崎さんの過去の上皇陛下と沖縄に関する記事↓

 

 

古事記を読むと大和言葉から沖縄が強く感じられます。また古神道を知るとそこにも沖縄との繋がりが深いことがわかってきます。そうした文化的沖縄との繋がりを、竹田学校の動画において竹田恒泰さんが語っていてやはり、と確認できます。沖縄は文化的にも古来から繋がっている特別な土地でもあるからこそ言葉が方言になって日本語として繋がっているわけです。

 

 

何年も前からサイレントインベージョンを日本に紹介し翻訳もされた奥山真司氏の動画チャンネルの今年1月の動画↓

昨年7月の動画↓

昨年3月の動画↓

 

奥山真司氏の最新著書『世界最強の地政学』

 

 

 

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