五年前の本日は、御代替わり行事の二日目でこの日から令和元年となりました。明治以降、改元は天皇の御代替わりと一緒になることとなっていましたが、天皇が崩御されて改元される形となっていましたので、新しい時代は悲しみとともに始まったものでしたが、令和改元は譲位で行われたものでしたので明るい時代の幕開けであったことも記憶に新しいかと思います。

 

また、光格天皇以来の譲位行事ということと、通信技術の発達で世界中に情報が配信される時代となったことで、世界中からも注目を集めたことも特筆すべきかと思います。特に世界中からの注目は、日本が長い伝統と歴史を重ねてきたことから注目が集まったのだということをあらためて自覚した日本人が多かったのではないでしょうか。

 

私がそうしたことを知ったのは昭和から平成に替わった時の、様々な行事でしたがその頃は凄い行事があるんだなあと驚きはしましたが、日本には古い行事がたくさんあるので、こういうのもあるんだぐらいの当たり前的な認識しかなかったのです。しかし、歴史の学びなおしや、神社と天皇についての探究をしはじめて、こうしたことが実は貴重なことであることを悟っていきました。

 

だから、私は今回の御代替わりも若い人たちには、しっかり見ていただきたいと願っていたものですが、今回は世界中から注目されたことから、オンタイムで当たり前のように世界と比較ができて、日本の貴重さを知らずに考えさせられた人が多くいたのではないかと思うのです。人はそれしかないと当たり前と感じ思考停止に陥りますが、比較するものがあるとその違い等を認識し考えさせられるものだからです。

 

そして世界の注目は、日本が長く続いてきた伝統と歴史のある国であるからこそなんだと再認識しました。日本にいては当たり前のようにその歴史が続いてきたことを何とも思いませんが、世界と比較するば神話から続く日本ほどの古く現存する国は、存在しないからです。

 

当時、翻訳ブログで話題になったことをいくつか下にあげましたが、多くの日本人自身、特に30代より下の年齢の方たちは初めて目にすることばかりの神秘的な行事ですから、海外の方からしたらもっと神秘的に映ったのでしょう。昭和から平成の行事を目にしたことがあっても、改めてその伝統に裏打ちされた行事というものの凄さを認識させられたのですから。

 

平成の時代の即位行事が改めて話題ともなりました

 

 

そしてこうした世界の注目は、秋の大嘗祭へと続く即位行事も同様でした。

 

 

 

そうした御代替わりの興奮冷めやらぬ頃には、天皇と皇室の存在感がとても大きく、畏れ多くなったかたもいたかもしれません。またこれを機会に、天皇と皇室についてもっと知りたいと望まれた方も多いのではないかとも思うのです。あるいはその時には、そこまで考えていなくても、このような行事があったということは、潜在意識の中に残って、何かの拍子にあらためて日本をみなおす、考え直すという道筋の一つともなるかもしれません。

 

私は昭和から平成への移り変わりの時はなにも考えていませんでしたが、ただただテレビにかじりついてその行事に目が釘付けとなっていました。そうした記憶が、日本の学びなおしをしたときに様々によみがえってきました。そうした記憶があるのとないのとでは、学びなおしの時の理解度がもっと違っていたかと思います。だから、この令和の御代替わりを体験できた方たちは幸せだと思います。その場でしか味わえないものがあるからです。だからこそ、そうした時代に居合わせた人たちは、次の時がいつになるかはわかりませんがその時にきちんと体験できるように伝えていく必要があるのではないかと思うのです。そして、そうした伝統が続いていくようにすることも今を生きる私たちの務めではないかとも思うのです。

 

 

 

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