今月の満月は24日の8時48分です。本日は旧暦では3月14日ですが、旧暦では15日が満月となりますので誤差が9時間弱となり、15日前後が満月の時期であるのがわかりやすいです。

 

その満月の時期である元禄十四年三月十四日(1701年)に起きた有名な事件が、浅野内匠頭の殿中での刃傷事件です。

 

皇居の東御苑は、江戸城の本丸跡でもありますが、ここに行くと広場になっている本丸跡に松の廊下の場所が示されています。この松の廊下で刃傷事件は起きたのです。

 

江戸時代、城内での刃傷事件は何度か起きていますが、この刃傷事件が一番有名なのは、後にこれが赤穂浪士の討ち入りへと発展したからでしょう。この時、切り付けられながら生き延びた吉良上野介の屋敷に、お取り潰しになった赤穂浅野家の浪士が討ち入って吉良を打ち取った事件は、現代でも小説やドラマ、映画にも取り上げられています。

 

この時、浅野内匠頭長矩は、宮中からの勅使の御馳走人役を任じられていました。勅使とは天皇の使いであり、天皇そのものとして饗応するものです。勅使は三月十一日に到着しており饗応はこの日から始まり、十三日まで無事に終了しています。しかし、十四日に徳川家からしてみれば一番の行事、将軍が先に下された聖旨・院旨に対し奉答する勅答の儀が行われるその日に刃傷事件は起きました。幕府の1年間の行事の中でも最も格式高いと位置づけられた日でしたから、将軍綱吉は激怒し、長矩の即日切腹と、赤穂浅野家の取り潰しが即決されました。

 

浅野内匠頭が刃傷に及んだ原因、理由については色んな理由があげられていますが、私は旧暦について知るようになってから、もしかしたらこの満月の時期というのが浅野内匠頭が殿中で我慢ができなかったことに関係しているのではないか、などと考えるようになっています。

 

つまり刃傷事件は満月の時期に起きた事件であり、さらにその後の赤穂浪士の討ち入りは、元禄十五年十二月十四日(1703年)と、やはり満月の時期に起きているのです。

 

計画的に日程を決めた討ち入りは、夜の明るさまた上野介が確実に在宅な時なども考えての日程であるかと思いますが、刃傷事件については突発的事件と考えられます。

 

満月の時期には大きな事故が起きやすいとか、事件が起きやすいなどと聞いたことはないでしょうか?引力かなにか地球の磁場がなんらかの影響を身体に与えるといいます。そうしたものの影響でなにかが起きやすいのだとしたら、満月周辺は気を付なくてはいけない時期、ということではないか、とこの刃傷事件から考えるのです。

 

あるいは何かことを起こすときは満月の時期を狙うというのもあるかもしれない、とも思うのですけれども、下手にこうしたことを頼みにしないほうがいいのではないか、とも小心者の私は考えるのです。

 

そうした不思議な力を感じていたからこそ、先人たちは神社の一日参りと十五日参りを行い、自らの穢れを祓ってきたのではないか?と考えています。現在新暦での一日参り、十五日参り、となっていますが、ここはやはり本来の旧暦での慣習に戻した方がいいのではないだろうか?と思います。

 

満月の不思議な力を背景にした映画、邦題『月の輝く夜に』

 

 

月に関することが綴られた絵本

 

なお赤穂事件の原因の一つに赤穂の塩に関係するものがあります。NHKの大河ドラマで大石内蔵助を緒形拳さん、吉良上野介を伊丹十三さんが演じたときは、この塩問題を大きく取り上げていました。

 

↓こちらでは製塩法の指導にまつわる話で書かれ、その関連はないように書かれていますが、私はこの塩にまつわる土地関連での説を読んだ覚えがあります。

 

「日本製」ではその赤穂の塩を紹介しています↓

 

 

 

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