先日、本屋さんで知の巨人と言われた渡部昇一氏の新刊本『和歌から見える「日本通史」』を見つけて驚いて思わず手に取ってみました。そしたら、以前出されていた『日本史百人一首』が改題されあらためて先月出版されたもので、帯にもそう書かれていました。

 

 

本書の「はじめに」では、和歌の前の平等という日本の歴史の平等原理について語られています。つまり、『万葉集』においては、和歌さえ上手であれば、天皇も大氏族も兵士も農民も遊女も乞食もみんなが平等であった。男女の区別もなければ、貧富のj格差もない、と。そして大きく歴史が動くとき、そこには和歌があった、ということで和歌から歴史を読み直した試みが本書だ、とのことなのです。

 

 

神話の時代、須佐之男命の和歌の始まりの歌や、神武天皇の歌に始まり、昭和の三島由紀夫まで、様々な歌が取り上げらていますが、その多くが日本人として歴史や国語、あるいは古文の時間に習ったことのある歌ばかりです。つまり、本書記載の歌は、日本人として教養が試される歌だということなんだと思います。

 

「はじめに」や改題に「日本通史」とあるだけに、本書では和歌をとりあげながら、そこにある歴史の解説がされていますので、和歌と一緒にその時代の歴史について触れられることができます。渡部昇一氏は多くの歴史書も書かれているだけに、その解説も面白くとても読みやすい書となっています。またありきたりな通史ではなく、いろいろと網羅しているのが知の巨人と言われた方の書だなあ、と思わせてくれます。例えば、“やまとことばの発見”として山上憶良について語っていて、これはとても面白い章となっていました。

 

日本人としての和歌の教養と、歴史の教養を本書一冊で深めることができる、美味しい一冊です。

 

そして本書にはもちろん、「君が代」の源流として古今和歌集に収められた歌も紹介されています。

 

わが君は千代に八千代に

さざれ石の巌となりて苔のむすまで

 

この「わが君は」がいつしか「君が代は」と変わり、千年以上も歌い継がれる人気の歌となったのです。つまり「君が代」の歌は、私たち日本人が先人たちの想い、未来への言祝ぎ、予祝を共有できる歌であり、またこれからの未来へ私たち自身が言祝ぎ、予祝できる歌でもあるのです。本書には、代表的な日本の和歌が紹介されていますが、そのような歌はこの「君が代」以外ありません。このような歌を国歌とできることの有難さを、改めて感じ入ることができます。

 

そして、だからこそこの「君が代」について攻撃してくる人も絶えないのだとも思うのです。しかし、真の日本人であれば、この歌の価値を理解できるはずだと信じています。昨日のネットニュースをみて、日本の文化を否定する日本人が悲しくなりました。外国人であれば、日本の文化を尊重してもらいたいものですが、日本人であれば「君が代」は誇りに思える歌のはずだと思うのです。そうできない方は、悲しい人だとしか思えません。人によって、様々な思いがあることもあるでしょう。しかしだからといって、他の人の想いを台無しにしていいわけではないと思うのです。

 

 

 

 

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