本日は、東日本大震災から13年目の日です。

 

大きな天災がおきるたびに、先人達が後の世のために遺してきたもののおかげで助かったことがクローズアップされたり、あるいはせっかく遺していたものを私たちが忘れ去って悲劇となってしまったことを目の当たりにするということを近年知ることが多いです。

 

今年は元旦早々に能登半島地震が起き、NHKのアナウンサーが東日本大震災を教訓に訓練してきたアナウンスをしたことが注目を浴びました。以前こんな動画がありました。この中で語られている「現状維持バイアス」については、災害の度に言われていることです。この現状維持バイアスについては、東日本大震災の時、津波から助かった人の話で周りの静けさの中片づけを始めた人の話が印象的に記憶に残っています。本来は津波のために逃げなければならなかったのに、家族皆その場から動かなかっただけでなく、いつもと変わらない日常を送ろうとしたのです。

 

これについては、東日本大震災の時に、津波が来るであろうことに思いつかず、家で普段と変わらない行動をしてしまった件がいくつも伝えられました。そうしたことを教訓にしたのがNHKアナウンサーたちの災害時の放送に関する勉強会で、見事に実践されたのが今回話題となった普段とは全く違った絶叫に近い呼びかけだったといいます。普段落ち着いた喋り方をしているだけに、その違いのインパクトが示す危機感は大きかったのではないでしょうか。

 

東日本大震災の後、歴史から震災を見直すための書籍が多くあります。その内の1冊、『天災から日本史を読みなおす 先人に学ぶ防災』の著者磯田道史氏のお母様は、2歳の時に徳島県の牟岐という日本有数の津波常習地で昭和南海地震後の大津波を生き残ったそうです。そのため、その話を子供の頃から何度も聞かされて育った磯田さんは大学生の頃から、地震や津波の古文書を見るとコピーしてファイリングしてきたとのこと。13年前に東日本大震災を目の当たりにして、そうした知識をこのままにしていてはいけない、と感じて表に出すようにしていると本書に書かれています。

 

「天災がおきると、人間の歴史の見方、世界の見方が確実に変わる。」という一文から始まる本書の「まえがき」には、イタリアの歴史哲学者、クローチェが襲われた大地震のことが書かれ、その大地震で孤児になったクローチェが後に歴史哲学者になるいきさつが説明されています。そして、それがなければベストセラーの『武士の家計簿』は書かれていなかったといいます。そして以下のようにまとめられているのです。

 

人間は現代を生きるために過去をみる。すべて歴史は現代人が現代の目で過去をみて書いた現代の反映物だから、すべての歴史は現代の一部といえる。

--略---

震災後の歴史学、いや科学全体は自然に対する人間の小ささを謙虚に自覚せねばならぬであろう。

天災を勘定に入れて、日本史を読みなおす作業が必要とされているのではなかろうか。人間の力を過信せず、自然の力を考えに入れた時、我々の前に新しい視界がひらけてくる。あの震災で我々はあまりにも大きなものを失った。

喪失はつらい。しかし、失うつらさのなかから未来の光を生み出さねばと思う。過去から我々が生きるための光をみいだしたい。クローチェのように。

 

 

本書は2014年11月に書籍化され、2018年12月には既に24版となっていますから、やはりベストセラーとなっています。

 

そして、本書を読むと著者の言う通り、天災は人間の歴史の見方、世界の見方を変えることがよくわかります。

つまり、今までは違う風に見てきた歴史の流れが、実は天災によって作られていたものがたくさんあることに気づかされるのです。それほど大きな天災が人に与える影響は大きいということです。

 

本書には、2度の大地震によって打撃を受けた豊臣政権があって生き延びたのが徳川家康だと書かれており、その大地震がなければ、日本の歴史は大きく違っていたことが書かれています。また、シーボルト台風によって大きな被害を受け、藩主交代となった佐賀藩がその財政立て直しの過程で西洋文明を重視する改革派勢力が生まれ、ミニ西洋工業国家が誕生したとも。佐賀藩では日本初の大砲を鋳造する反射炉建設をはじめており、後に東芝を創業する田中久重は佐賀藩から大砲製造を命じられています。この佐賀藩の存在がなければ、幕末維新の日本は今とはもっと違っていたものになっていたかもしれないのです。

 

もちろん津波に関する記述も多く、著者の母方の教えも書かれています。

①津波の時は何も持たずに逃げる

②1度避難したら絶対に物を取りに戻らない

③地震時に屋内に閉じ込められぬよう、戸口に1本ずつ鳶口を置いておき、戸の破り方を子供にも教えておく

 

また、牟岐の死者名簿から五歳児と母親のペアの溺死者がめだつことに気づかれ、四、五歳児の避難訓練を薦めています。というのも四、五歳児ともなると抱いて逃げるには体重が重く、手もかかる年齢だからです。だからこそ、避難先の高台までの訓練を重ねておくとよい、と。

 

また東日本大震災の時に話題になった「津波てんでんこ」も書かれています。津波の時は一人一人が、自分の命を守り、それぞれが安全な場所に逃げる、ということです。

 

そして、岩手県の大船戸小の話をあげ、想定外のことが起きているときには直感を信じて躊躇なく逃げることも大切で、マニュアルや被害想定、避難所の安全の過信は禁物であるとも書かれています。大船戸小は当時いた全員が、避難場所ともなっていたちょっと高台の小学校からもっと高台の中学校まで逃げて助かりました。

 

震災遺構として残されている岩手県の大川小学校。すぐそばにある裏山に登っていれば子供たちは助かったはずなのに、先生の先導で川に向かってしまったという。


本書の最後に書かれていた村を救った普代水門は、自然に逆らわぬ防災工事として注目されたもの。村長さんの絶対に村民を守らねば、という意志で実現した工事だったとのこと。

 

 

『探求の達人』によれば、東日本大震災の体験により日本の教育が大きく変わり、今「探求学習」が進んでおり、2年前から高校では「総合的な探求の時間」として本格的に始まり、小学校でも「総合的な学習の時間」に取り入れられているとのこと。そもそも学問とは「探求心」によって始まるものであり、現在の受験のための勉強など意味がないと考えてきた身としては、この探求心を刺激する学習というのは日本の教育が古来の学びに戻りつつも現代的にリニューアルしていて素晴らしいのではないか、と感じています。神田昌典さんが関わっているだけに、脳科学を取り入れた思考法も取り入れていて、こうした探求学習ができる子どもたちが羨ましく感じたのですが、なにもこれは子供のためだけのものでもなく、こうしたことを大人も理解すること、知ることでよりよくなっていくものでもあるかと思います。

 

 

翻訳ブログを読んでいると、世界で大きな地震があるたびに、その被害が日本と比較されています。なぜ日本とこんなにも違うんだ、ということが言われているのですが、それは日本が地震大国であり、数多くの地震をはじめとする災害の歴史があったがため、その災害を乗り越えるための地道な積み重ねを先人達が繰り返してきてくれたおかげです。つまり、私たちは先人達の歴史の積み重ねの上に今の生活を成り立たせているわけです。

 

大災害に遭遇した先人達は、二度とこのような悲劇を繰り返さないため、危機を回避するため、多くの記録を残しまたそれを生かそうとしてきているのが、磯田氏の書籍をはじめ多くの天災に関する書籍からわかります。

 

本当にありがたいです。

 

『天災から日本史を読みなおす 先人に学ぶ防災』では、大地震・津波・富士山噴火・土砂崩れ・高潮・台風についての古文書や近年の記録が紐解かれており、最後の「あとがき」では「古人の経験・叡智を生かそう」と結ばれています。

 

中今の私達は、そうした記録から真摯に学び、また伝えていく使命があります。

何度でも繰り返し語り伝えていく、繰り返し語っていくことが重要です。

なぜなら、言葉で聴くことによってより強く記憶に刻まれていくことがあるからです。

一人一人の命を守るために、今日は、そんな語り伝えるべき重要な日です。

 

 

 

 

 

 

🌸🐎🐎🐎🐎🐎🐎🐎🐎🐎