昭和20(1945年)年3月9日から10日未明、東京の下町空襲があり10万人以上の死者、そして罹災者は100万人以上を越えました。東京大空襲です。焼夷弾を用いた大規模な空襲は史上最大規模の大量虐殺でした。

 

この東京大空襲は、関東大震災時の大火災の被害と重なるといいます。というのもアメリカは関東大震災の被害からシュミレーションして大空襲を行っていたからです。焼夷弾はガソリンをまいて火をつけるようなものでしたから、日本のような建物構造の都市はひとたまりもありませんでした。

 

都市部を標的とした無差別爆撃として、広島・長崎に対する原爆投下と同様語り継ぐべき非道です。しかも、東京は何度も空襲されましたが、空襲されたのは東京だけではありません。日本全国が空襲を受け、8月になると連日新聞の1面は空襲の記載で埋まってしまうほどでした。つまり、日本中が無差別爆撃の標的となっていたのです。

 

見ずらいですが昭和20年8月11日の新聞の誌面。日本各地が攻撃されている記事。

毎日新聞

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朝日新聞

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日本が攻撃された記事見出しは以下の通り(なお上記新聞写真は原爆抗議の記事をメインとして撮ったため、以下の見出しは全部写り込んでいません。上記写真は国会図書館でコピーしたもの。)

毎日新聞
・艦上機、千葉、茨城へ
 B29百機帝都東北部攻撃
・東北へ延千機
・近畿へも百機
・長崎に新爆弾か
・戰爆二百十機 熊本、大分燒爆
 飛行場なども攻撃


朝日新聞
・帝都周邊工場を爆撃
B29百機、陸海の小型二百卅機
・戰爆二百十機 沖縄基地発進 九州各地 へ來襲
・艦上機は五波に分散 横須賀、房   総、茨城地区を行動
・千葉、新潟へ 艦上七十五機
・砲撃へ釜石市民敢闘
・尼崎、海南へB29百機

南京大虐殺は、こうしたことからアメリカが目を逸らすため捏造を許したとも言われています。

 

動画の検索をすると当時の映像を見ることができます。米軍の空襲機搭載カメラの映像も見ることができますが、本当に痛ましいです。

 

この本土空襲の前には硫黄島陥落がありました。なぜ米軍にとって硫黄島陥落が大変だったかといえば、日本兵が本土の家族のため必死で戦われたからです。国が戦場になるということは、逃げ場がありませんからそれだけ必死になって戦うということを意味します。ベトナム戦などもそうですが、アメリカがベトナムに勝てなかったのはベトナムがベトナム人の国だったからです。日本ももし昭和天皇が御聖断を下さらなければベトナムのようになっていたかもしれません。しかし、その頃には国がボロボロとなり多くの人が亡くなってしまったであろうことは、大空襲や原爆からも明らかです。だからこそ、昭和天皇は御聖断を下されました。

 

東京大空襲の話題になると、日本から戦争を仕掛けたからこんなことになったと言っている戦災孤児の話がでてきたりしますが、日本は戦争をけしかけられたのであり、当時の国際状況の中では、国が生きるか死ぬかの瀬戸際でした。しかもアジア中のほとんどの国が植民地です。そんな中で、日本は立ち上がらざるを得ない立場となっていました。

 

歴史をみる時に、現在の感覚で見たり考えたりすると見誤ります。当時の事は当時の状況、考え方で見なければなりません。当時の世界はアジア・アフリカなどの多くの国々が植民地や植民地的な国々が多かった時代です。そうした中で日本は戦ったということを忘れてはいけないのです。

 

ウクライナ侵攻をみて話し合えばいいとか言える人がいますか?ロシアは問答無用で今回のことを始めています。戦争はしたくなくても、仕掛けてくる人がいたら始まってしまうのです。そして、今回のことにはこれをけしかけた黒幕として売電の名前があがっています。そうならないように抑えていたのがトランプ政権でしたが、売電が出て行かないことを表明したがためにロシアは踏み切ったわけです。米の歴史をみると、このようにけしかけたり、相手がそう出ざるを得ない状況にもっていって自分たちを有利な立場にするということを何度もやってきていることを忘れてはならないと、と考えています。また、ここまで長期化しているのは、各国の思惑での武器支援があるからですが、グローバル社会ではこうしたことがあるため、例えば当事者同士が何とか終わらせたいと思ってもそうすることができなくなります。絶対に各国の思惑の先鋭に自国をさせてはならない!のです。

 

話を戻すと、当時の日本政府がもっとうまく外交で立ち回っていたら、とか、戦略をうまくたてていたらとか、軍部内の対立などなかったらとか、日本国内にも問題は山積みでした。しかし、当時の国際情勢や日本が置かれた状況も考えずに今の感覚で当時の日本をただ非難するのもどうかと思います。当時の人々はなんといっても未来の子供達、つまり今を生きる私達のために戦ってくれた先人達だからです。ただ、当時の子供たちは、戦後GHQにより洗脳教育を受け、ただただ平和を賛美するようにされてしまっているのも事実です。それに戦災孤児の当事者の人生が大変だったであろうことは、私などの想像も及ばない事実であったことも。

 

だから、ただただ私達は慰霊し、またこうしたことを今後の教訓にしなければならないと考えていますし、今現在起きていることを注視し、そして今現在から今後の動きまで注意していかなければならないとも考えるのです。

 

コロナ禍により世の中が大きく変わりました。このような天災(それとも人災?)は、今後テロなどのシュミレーションにされることは十分考えられることですし、関東大震災が空襲にされたように、悪意ある人達はどんなことを考えるかしれません。そして今起きていることに、刺激され動き出す国があるかもしれません。だからこそ、こうしたことがあったことを伝えていくこと、あるいはこうしたことが起きていることをしっかり見つめておくことはとても重要なことです。

 

現実に経験していても洗脳工作により記憶が書き換えられたり、教育によって違う意味にされてしまうことがあることも、現在の情報戦をみればわかりやすいのではないでしょうか?↓私たちは今現在起きたことをきちんと記憶し、こうした洗脳・プロバガンダによって書き換えられないようにする必要もあります。

 

 

 

 

 

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