新成人の皆様、
おめでとうございます。

 

今年は、法改正で18歳に成人が引き下げられてから二度目の成人の日となります。成人式は既に終了している所や、時期が違うところもあるようですが、全国的に本日が成人式の所も多いかと思います。式典参加は従来通り20歳からのところが多く、各地により成人式の出席年齢はまちまちのようですが、せっかくですから、本日は地元の社寺でのお祓いや御祈祷を十代の方もされるといいのではないかと思います。

 

元々は成人のお祝いとは多くの人が集まってワイワイするものではなく、神社やお寺、あるいは小さな集落などで成人したことを祝い御祈祷するものだったことを知ると、今は古来からの習わしに戻せという合図なのかもしれない、と考えています。

 

小さいお子さんの時に、七五三のお祝いに社寺に行かれた方が多いかと思いますが、あれを成人の時に行ってきたと考えると分かり易いかと思います。

 

本日でなくても、お祓いや御祈祷はいつでもできます。そしてこの時に、成人するまで育ててくれたご両親や見守ってくれた方々への感謝をしていただければ、それこそが成人の第一歩になるかと思います。特に、普段社寺に行かない方には、その厳粛な雰囲気が記憶に残ることになるのではないかと思います。

 

私の成人式は、無理やり(着たくなかった)晴れ着を着て市民会館に集まって帰ってきただけで、成人式って何?と当時思ったものです。これは、私と私の周りが無知であったため、成人式をただ市民会館に集まるものとして行ったためです。本当に成人の意味が分かっていなかったんだと我ながらあきれていますし、それは厳粛な儀式というものがなかったために馬鹿な私が認識できなかったのかもしれないとも思うのです。大勢がただ集まるだけのような市民会館の会場ではそうした認識を自ら持つのは難しかったのだと思うのです。そうした意味でも厳粛な式となるであろう神社やお寺での式を体験し、成人するという意識を培うほうが有意義なのではないかと思います。それに、大勢でいると感じられないことも、家族だけや、少人数の中だと感じ取れるということもあるかと思います。


ところで、昭和23年(1948年)に公布・施行された祝日法によって制定された成人の日は、日本の法律上での成人20歳を祝う日として毎年1月15日でしたが、ハッピーマンデー制度導入により平成12年(2000年)から1月の第二月曜日が成人の日に変わりました。

 

1日だけの休みでは故郷の成人の式典に出席するのがきついということで、元々地方では正月休み中やGW、またはお盆休み中に成人式を行うところが多くて、これは季節外れの成人式として昔からよくニュースにもなっていました。ハッピーマンデーにより、現在西日本では成人式にあわせた日曜日か月曜日に行うのが主流となっているそうですが、豪雪地帯では今も変わらずお盆等に成人式を行う自治体が多いようです。

 

今年は元旦から大災害が起きておりますし、成人の日をしたくてもできないところがあるでしょう。しかし、それ以外のところでは通常通りに行っていただきたいと思います。大災害の時毎回話題となりますが、直接被害のないところでは、普通に過ごすことこそが復興を促すことに繋がるからです。


古来日本での儀式は社寺で行われてきました。権力者などは城などで行いましたが、日本のしきたりに社寺は欠かせませんから、神職の方やお坊さんが儀式を行ったことは間違いないと思います。


1月15日が成人の日として制定されていたのは、15日が小正月でかつては小正月に元服の儀が行われていたという由来があったからです。

 

成人することをかつては元服といいました。

 

元服とは、奈良時代以降の日本に於いて、男子の成人を示すものとして行われてきた儀式。「元」は首、「服」は着用を表し、「頭に冠をつける」ことを意味し、大人の服を着用し氏神社の前で儀式を行いました。また女子の成人式は「裳着」といい初めて「裳」を着ることをいいました。またそれまでの幼名から成人名に変わる日でもありました。

 

時代や環境等によって多少の変化はありますが、10代半ばで元服をすることが普通でした。

大河ドラマなどでは、だいたい元服シーンから子役が主役俳優に変わる節目のシーンです。


公家や武家の儀式でしたが、室町時代以降民間にも普及していきました。


武家の世界では、元服を済ませて初めて戦に参加できるようになる覚悟の儀式でもあります。

 

有名な武将の元服の地は今も伝えられています。源義経は滋賀県竜王町の鏡神社。

義経の元服にちなんで、3月に元服式が行われておりますが、ここ数年は中止となっていました。現在、今年の参加者募集中です。

 

信長は城。

 

成人になるということは、色々な責任も生まれるということです。自然環境の厳しい地方では、その責任はより重くまた周りとの結びつきも重要です。岩手県の大船渡市赤崎町佐野地区では、15歳で行う伝統の儀式が今も伝えられています。ここでは寺社の儀式はないようですが、嘉永四年の定めの30箇条の朗読を聞き、一人一人が宣誓書に指印を押し、ブドウ液で契りの杯をかわすそうですから、立派な儀式です。

 

昭和46年時のもの。

 

また、台東区の中学校では昔の元服にちなんで大人になる自覚を深めてもらおうと「立志式」が平成24年(2012)年から行われていました。

 

三重県菰野町田口新田の神明社では15歳の元服式 が今も続けらています。

 

また福岡市飯盛神社では新成人が「加冠の儀」を行います。検索してみると日本各地に昔ながらの元服の儀を続けているところが出てきます。

HPには小笠原流元服式とあります↓

 

 

神道学科のある國學院大學では、学校で加冠式が行われています。この中で登場する神道文化学部の茂木貞純教授は熊谷の神社の宮司さんでもあります。


せっかくの成人式、節目として神社やお寺でお祓いや式などをされたほうが、私の成人式のような感想にはならず、またしっかりとした成人の意識と自覚を持てるのではないかと思います。


なお、国民の祝日に関する法律によれば、成人の日は「大人になったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年を祝い励ます」ことを趣旨とする日です。

 

私は、大人になるには経験値が必要だと考えています。私が内面も含めてしっかり大人になり始めたと今考えているのは、少なくとも25歳過ぎてからのことで、それまでは働いていても学生気分が抜けませんでした。その頃から仕事に責任感も持てるようになったと記憶しています。やはり仕事を責任をもってできるようになってはじめて成人としての自覚もできるのではないかと思います。まあ、それをいったら、大学院や浪人を重ねた人はいつになっても成人できないということになってしまいますが・・・。

 

私は、昔のように自立が早かった時代と違い、教育期間が長く経済的自立も遅い現代において、成人年齢の引き下げは不要なことを行ったと感じています。時代に合わせた年齢で20歳と制定した先人の知恵を簡単に変えたのは浅はかではないかと。そうした意味では、やはり20歳というのは区切りもいいし、いい年齢を先人たちは指定していたと思うのですけれども。あるいは、20歳が成人とされていても自覚できるようになるのに5年かかった私のように、18歳が成人となれば心身共に自覚できるのが23歳ぐらいになれるということもあるのかもしれません。

 

いずれにしても、大人としての自覚を促し励まされる成人式を考えると、大規模な成人式よりも、古来に倣って社寺で行うのが相応しいかと思うのです。しかし、成人式は一種の大同窓会的な場でもありますから、行きたいものでしょう。せっかくですから、その後にでも、あるいは日をあらためてでもお近くの社寺に行かれるといいと思います。

 

最後に、今では伝説化している杉並区長時代の山田宏さん(現参議院議員)の成人式の言葉です。

 
「同じ年の成人が命を捧げて今の日本があるんだ。この人達の想いまで君らは立派な人間となって立派な日本を作る義務がある。 お母さんお父さんに感謝すると同時に尊い犠牲を払った人達に感謝して欲しい。 こう言えばみんな分かるんです。 先人達の努力と成人が結びつく一瞬なんです。」

 

動画、是非ご覧ください

 

 

 

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