3日前は76年前終戦を迎えた日でしたが、そうした混乱の時期を見計らってその三日後千島列島の最北端の島占守島にソ連軍が突然上陸し攻撃をかけてきた戦いがありました。

以下は靖国神社の遊就館内にある、「占守島の戦い」のしおりからです。


占守島の戦いとは

日本が終戦を迎えた昭和二十年八月十五日から三日経った八月十八日に、天皇の詔勅に従い武装解除を進めていた、千島列島最北端の島『占守島』の日本軍に対し、ソ連軍が突然上陸、攻撃をかけてきた戦いのことです。

日本軍は一度解除準備を進めていた武装を改めて行い、峻烈な激戦の末にソ連軍を水際に追いつめ、まさに殲滅しようとした時に「戦闘を停止し、自衛戦闘に移行すべし」との方面軍命令があり、日本軍は命令に従い、軍使の派遣・停戦交渉・武器引渡し交渉の末、再度の武装解除を行い、戦いは二十一日に終結し、ソ連軍の南下は二十四日以降になりました。

ソ連は日本のポツダム宣言受詫、降伏を知りながら、なぜ終戦後三日も経ってから戦争を仕掛けてきたのでしょうか?それは当時のソ連の首相であったスターリンの領土拡張方針に基づく北海道北部の占領計画上にあったと思われます。「占守島は一日で占領する」と豪語していたソ連軍を占守島の日本軍は一週間も足止めし、ソ連軍の南下を遅らせ北海道北部の占領計画を阻止した結果にもつながったのです。

わたしたちは、家族と国を思う純粋な心と信念をもって、終戦三日後に戦って逝った占守島の若者達のご冥福を祈るとともに、彼らのことを決して忘れることは出来ません。

占守島とは

北海道の東北に連なる千島列島の廃北端に位置し、根室の東北約1200㎞にある、東西20㎞南北30㎞余りの小島。

海抜200㎞未満の丘陵と沢沼地・草原が入り混じり樹高1㎞ぐらいの這松や榛の木が群生している。周囲を太平洋とオホーツク海に囲まれ、夏季は15度、冬季でもマイナス15度くらいの気温。しかし夏季には濃霧の発生、冬季には猛吹雪に悩まされる日が多い。

占守島第九十一師団の心遣い

終戦の時に、占守島には日魯漁業の従業員の方が二千五百人ほどいました。この人たちは国民の食糧確保の為に悪い戦局を承知で、缶詰工場で働いていましたが、その中には約四百人の若い女子行員も混じっていました。終戦を迎え、内地からの迎えの船が来れば真っ先に彼女たちを送り返す手筈を整えているところへのソ連軍の攻撃でした。

参謀長と世話役の大尉は「このままでは必ずソ連軍に凌辱される被害者がでる。なんとしてもあの娘たちを北海道へ送り返そう」と相談し、当時島にあった独航船二十数隻に約四百人を分乗させ、霧に覆われた港から北海道に向けて出港させました。ソ連機の爆撃が続く中、日本軍も高射砲の一斉射撃で必死の援護を行い無事に出港させることができたのです。

「全員、無事に北海道に着いた」との電報が島に届いたのは、それから5日後でした。

停戦後に上陸してきたソ連軍は女性を捜し回ったそうですが、あとの祭りでした。

もし、彼女たちがいち早く島を出ることが出来なかったことを想像すると、占守島の第九十一師団の心遣いが人ごとでなくなく心にしみます。


以上、一部抜粋


このしおりには書かれていないのですが、この時捕虜とされた人達はソ連当局によってシベリアに送られ過酷な労働に従事させられるのです。

戦争に負けることとは、あるいは国を守れないこととは、こういうことを意味するという典型的な戦いの記録の一つが占守島の戦いです。

 

「天皇の国史」には、終戦前後の緊迫した状況についても書かれており、終戦直後の箇所には八ページ半が割かれその大半がソ連についてです。そもそもソ連は8月9日に日ソ中立条約を破り満州と朝鮮に一斉に攻撃を開始しています。日本はそれまでソ連を通じた和平交渉が行われることを希望していましたが、それを裏切ってきたのがソ連であり、これが火事場泥棒と言われる所以です。そして終戦にて武装解除した日本に次々と襲い掛かってきたのがソ連であり、この時北方領土を占拠して今に至っています。

 

 

竹田恒泰氏の竹田学校動画での戦後の箇所


 

 

 

私が子供の頃は、戦争から帰ってきた人や戦時下での生活を体験されていた方が沢山いましたので、なにかしら戦時中の話が近所の井戸端会議の中でちょこちょこ出てきていました。多分小さい子供がそばにいての話ですから、怖い話はしなかったのだと思うのですが、よく聞いたことは、日本の終戦後に戦争を仕掛けてきたロシア(ソ連)が一番信用ならない、ずるい国だということでした。シベリアに連れていかれた人がいるという話もよく聞かされていましたので、私は歴史を習うより前に、そうしたことだけは近所の人の話で知っていたのです。

しかし、具体的な内容を知るのはここ10年ぐらいのこと。本当に無知なまま生きてまいりました。

こうした戦いがあったことを知ることは、国防ということを考えるうえで本当に重要なことだと思います。戦争をしたくなくても仕掛けて来る国があるということがよくわかる一例だからです。そもそも大東亜戦争そのものが日本が望んで始めた戦争ではありませんでした。最近情報公開などもあり、よく知られるようになってきましたが日本の開戦そのものが戦争を始めるようにしかけられた戦いだったことがわかってきています。


日本には、日本領でありながら外国に占有されている島がいくつもありますし、隠すことなく狙われている島もいくつもあります。もし、新たに島が占有されたら、それだけでは終わらずさらにもっと先の島、領土が狙われることでしょう。

なぜ国境を守ることが大切なのか?国を守ることが大切なのか?ということが忘れられない日、今日はそういう特別な一日の内の一つです。

 

また国の性質というものが時代を経ても変わらないことから、こうした歴史的事実を知っておくのはとても大切です。ただし、ロシアはそれを現在でもツィッターで露わにしている、ある意味正直な国でもあります。ツィッターでは駐日ロシア大使のツィートの酷さが何度も話題になっているからです。

 

 

北方領土返還の願いが込められた歌

 

この動画は定期的に流れてくるものですが、ここで酷いことをしてきたドイツのほうがまだましだったといわれるのがロシア。旧ソ連のことです。いかに酷いかがわかるでしょう。

 

当時についての本書、読んでみたかったので発売歓迎です。

 

予定通り米での公開が決まったらしい。喜ばしいいくつかの内容から複雑な心境でもある。でも、三浦春馬さんを海外で観てもらう機会が増えることはいずれにしても嬉しい。

 

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