第六十二代村上天皇は平安時代中期の天皇で、その治世は父君の醍醐天皇の親政とあわせ理想の時代として後世にまで語り継がれています。

 

生年は延長四年(926年)、御父醍醐天皇の第十四皇子。御母は藤原基経の娘穏子皇后。第六一代朱雀天皇は同母の兄君となります。

 

御名は成明(なりあきら)。

 

在位は天慶九年(946年)~康保四年(967年)。

 

朱雀帝が在位十七年、二十四歳で突然譲位されたため二十一歳で即位されました。これは、朱雀帝が母君のところへ行幸された際に、嬉しさのあまり東宮となられている成明親王が天皇になられている姿をみたいとおっしゃったのを譲位を望まれていると勘違いされたことから決意されたと大鏡に書かれています。それを知った母君はそういう意味ではなかったと嘆かれたそうで、朱雀院自身も後悔されたといいます。しかし、朱雀院は病弱で、皇子女にも恵まれなかったため弟君が東宮になられていました。その6年後に崩御されていますが、その間に誕生されたのも内親王だけでしたので皇統が分かれることにはなりませんでした。

 

その兄君の朱雀帝の時代に東国で平将門の乱、西国では藤原純友の乱が起きたため、朝廷の財政が逼迫しており倹約に努め物価を安定させています。

 

天歴三年(九四九年)、先帝の時代から関白を続けた藤原忠平が死去したのを機に、天皇は摂生関白を置かず親政を行われました。後世、村上天皇の治世は、天皇親政により理想の政治が行われた時代として聖世と崇められ、同じく天皇親政が行われた父帝・醍醐天皇の御世の延喜の治世と併せて、延喜・天歴の治と崇められました。そういわれたのは、村上天皇が同母の兄君から譲位を受けて即位されたため、御幼少時に即位された朱雀院と違い、青年になってから即位していたので親政が行いやすかったことがあるかと思います。

 

また村上天皇は、勅撰和歌集「後撰和歌集」の編纂の下命や内裏歌合を行っており、歌人としても有名です。漢詩の創作能力は日本を支える外交手腕や政治力を示しましたが、和歌は日本人としての教養やセンスが問われました。内政における政治手腕がかかっており、歌合せは遊びを超えた真剣勝負だったのです。

 

そうした平安中期文化を開化させた村上天皇が行った知られざる功績に「万葉集」の解読を命じたことがあります。実は日本最古の歌集「万葉集」がこの頃読めなくなっていたのです。これは「万葉集」が、漢字の音を借りて日本語の音を表す方法が発展した「戯書」と呼ばれる言葉遊びが使われていたのに、そういう読み方の伝承が中国文化への傾斜により消えてしまっていたことから起きました。また日本独自のかな文字の発達により、ひらがなやカタカナが万葉仮名に変わって表音文字として使われるようになり、そのかなで和歌を表記することが確立したこともその一因でした。つまり「万葉集」が読めなくなったことは、それだけ我が国独自の漢字の使い方や、ひらがなカタカナが定着していたことを意味しています。しかし、「万葉集」にはかっての天皇の歌も納められていますし放ってはおけない、と博学の学者達「梨壺の五人」に解読を命じたのです。今も続く万葉集の解読はこの時に開始されたのでした。

 


つまり、「万葉集」が今も読めるのは村上天皇のお陰です。また「万葉集」がそういう状態に陥ったことを知っておくことは、現在に通じる教訓でもありますが、明治時代の始まりと、戦後教育と2度にわたる国語の大きな改革で、現在の私達は明治時代や江戸時代の人達が当たり前に読み、共通の知識としていた漢字や漢語の知識をなくしています。その上新たに、国語教育をしっかり行っていないのに、外国語(英語)教育を行う愚を犯しています。言葉の断絶は、歴史の断絶を生み、貴重な記憶の断絶を生むことを「万葉集」とセットで覚えておくことが肝心ですし、国語の素養がない場合外国語の習得は難しいということを認識しておくことも必要だと思います。梨壺の五人任命について伝え続けることは、国語という日本にとって大切なものを守る教訓を伝えることでもあるのです。

 

康保四年(967年)崩御。

 

御陵は村上陵 。京都市右京区鳴滝宇多野谷にあります。

 

 

村上天皇の歌は遊戯性が高いと評価されていたそうですが、そんな御製を最後に。

 

あふさかも

はてはゆききの

せきもゐず

たずねてとひこ

きなばかへさじ

 

あなたと逢うことのできる逢坂の関の果てには、人の往来をとがめる関守もいません。私を訪ねてきてくだされば、もう帰しませんから。

 

素直に読むと上記の意味ですが、これは沓冠歌(くつかんむりうた)と呼ばれる戯歌で、各句の句頭と句末を順に読むと「あはせたきものすこし(合わせ薫ものを下さい)」となります。栄花物語などによれば、天皇が妃たちを試したもので、広幡(ひろはた)御息所だけがこの謎を解き、薫物(数種の香料を練り合わせて作った香)を献上したそうです。

 

 

参照:「宮中祭祀」中澤伸弘著、展転社
※祭日はこの本を元にしています。
「旧皇族が語る天皇の日本史」竹田恒泰著、PHP新書
「天皇のすべて」不二龍彦著、Gakken
「天皇の正史」錦正社

 

今までにない解釈が興味深い、「根津さんの奇跡の国日本がわかる万葉集」

 

神社検定のテキストは検定を受けなくても万葉集を知るのに最適なテキスト。万葉集解読についても詳しい。

 

万葉集解読だけでなく、漢字がいかに日本に定着していったか、その奇跡の過程が描かれている「日本語の奇跡」

 


この時代の頃の藤原氏について書かれた「大鏡」には村上天皇やその女御の藤原安子(あんし)、また「うぐいすの宿」の逸話も有名

 

 

 

本日は崇徳天皇が祀られている金比羅様の毎月の例祭日。

 

 

 

 

先日七夕上映での五代春馬を観て、二十九歳の若者が演技だけでラスト四十二歳の五代友厚を演じていても違和感がなかったそのことに改めて感銘を受けています。ラストの五代友厚は二十代、三十代直前の若者が演じているとは思えない貫録がありました。

 

 

 

 

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