三浦春馬さんの「日本製」が重版されやっと手に入れることができました。「三浦春馬とめぐる日本全国47都道府県旅 47のメイド・イン・ジャパン」です。

 

裏表紙

 

この本は発売直後に一度手にして、あとで買おうと思っていたのですが、三浦春馬さんが急逝したため売り切れとなっていたものが重版されやっとまた本屋に並ぶようになったものです。既に5版となっています。

 

「日本製」は「+act」という雑誌に連載中のもので、現在発売中の9月号には6月作成という57回目の「日本製」記事があります。つまり47回目以降も、日本各地の取材は続いていたわけです。この回は、「日本製」が発売されたその反響や、春馬君がインスタグラムに三浦家日本製棚として、各地の品物を紹介していることなどについてまとめられた内容になっており、そのまとめ方か最終回のようです。いずれ48回以降の記事も書籍化されることを期待いたします。

※9月号の内容について8/28訂正

 

 

本書はタイトル通り、日本各地の「日本製」のものを取材したもの。構成は日本各地の「日本製」取材先のレポートに春馬君自身が撮られた写真と春馬君のコラム、それから同行のライターさん(多分)の記事、写真と「裏日本製」という取材裏話となっていますが、この記事が取材先のレポートでありながら春馬君のレポートともなっていて、その相乗効果で取材先の魅力がより伝わる内容となっています。特に素晴らしいのが、春馬君の人間性で、普段は人前で仕事をしないという職人さんが目の前で作業を見せてくれたり、深い話を引き出している様子があること。また、その質問からは、取材に行く前の下準備をしっかりされていたことが伝わります。

 

本書の都道府県の順番は北から南へとなっており、沖縄の後には三浦春馬さんのロングインタビューと写真が掲載されています。各都道府県のコラムテーマは「三浦春馬が考える『未来』『継承』」となっており、最後のロングインタビューも同じテーマとなっています。ここでは、「日本製」に携わっての自身の変化や、どのように仕事に生かしてきたかなどが語られています。また、春馬さんが習っていた殺陣についても語られており、日本というものに、いかに春馬さんが関わっているかがわかります。

 

「日本製」の連載は2015年12月号から開始されており、初回は鹿児島のJAXA種子島宇宙センターからとなっています。この後、宮崎、長崎、熊本、福岡、佐賀、大分、と連載は続いていきます。「日本製」発売プロモーションのZIPインタビュー映像では「大変だったのは、九州は5日間で7県回って死ぬかと思いました」と笑って語っている映像があります。きっと連載開始だったので、今後の取材スケジュールが少しでも楽になるように頑張ったスケジュールになっていたのでしょう。九州での取材写真を見ると、夏の服でも真冬の服でもないことから、9月~10月に取材されたのだと思います。推察するに、12月号の発売は1か月前、記事掲載は遅くとも1か月前には確定しておかなければならない、7か所の取材先やアポイントメントや調整等を考えても企画発案は遅くとも3ヵ月前にスタートしていただろうと考えると、2015年6月から7月頃には打ち合わせは始まっていたんだと思います。つまり、この「日本製」発売の時点で、春馬さんは約4年半このプロジェクトに関わっているわけです。「日本製」、「メイドインジャパン」にこだわったこのインタビュー記事を読んでいると、春馬さんが出身地である茨城県への郷土愛を持っていたことが端々に出てきて微笑ましいです。でも、これって誰もが持っているものであり、その大きくなったものが愛国心です。日本では、愛国心というとなにか悪いもののようにいう人達が沢山いますが、それこそがおかしいのであって、古今東西愛国心のないほうが異常といえます。しかし、日本のようなこうした言葉を出しにくい国で、こうした活動をされていた三浦さんは本当に素晴らしいと思います。しかも、とてもバランスのいいことに、後にNHKの「世界はほしいものにあふれている」という番組のMCも務め、世界各地の素晴らしいものを紹介することになったわけですから、凄くバランスのいい仕事をされていました。

 

 

春馬さんが茨城に郷土愛があったように、私もやはり栃木県に思い入れがあります。この「日本製」での栃木県で取り上げているのは足利学校でした。「日本製」では色んなものを取材されていて物だけでなく、歌だったり、踊りだったり、地域だったり、様々なものを取り上げているのですが、栃木県では日本最古であり、「学校」の起源である足利学校を取り上げ「学ぶ」ことを取材されていたのです。これは私にとっては嬉しく、また春馬さんのこうした選択の思慮深さにあらためて驚かされます。広島では、ヒロシマを語り継ぐ教師の会の梶矢さんと話をされており、春馬さんご自身の御祖父も学徒兵だったという話が出てきます。

 

春馬さんも訪れた足利学校

 

また、各地の職人さんにも取材されている中には、後継者のいない職人さんもいます。ところがそうした職人さんが、やりたくない人にさせても良くないんじゃないかなと語っていたりする。直に話を交えたからこそ、聞けた言葉もあります。既に亡くなられた職人さんもいて、春馬君ともども貴重な記録ともなっています。

 

私が20代の頃、日本のことなんてなにも考えていませんでした。しかし、三浦春馬さんは20代後半の4年半、日本について取材し思考されてきたわけです。このような若者は、他にも日本中にいるかもしれませんが多くはないと思います。そして、三浦春馬さんのように発信力のある人はいないでしょう。

 

本書の取材記事を読んでいると、春馬さんの若者らしい素直な反応や言葉などが多く、写真にもそうしたものがみられます。どんなに大人びて成熟して見えても春馬さんご自身まだまだ若い未来のある才能に溢れ鍛錬に励まれていた青年だったのだと思うと涙が出てきてしまいます。

 

このような素晴らしい仕事をされた三浦春馬さんには感謝しかありません。この本に刺激され「日本製」、あるいは「日本」について考える人が一人でも増えることをきっと春馬さんは願っていたことと思います。現在ベストセラーとなっていますが、今だけの注目とならないよう、機会があれば何度でもこの本を薦めていきたいと思います。

 

 

発売時プロモ出演の三浦さん このインタビューに出てくる言葉は今となっては切ないですが、素敵な笑顔を見せています。

 

重版ニュース。この売り上げの一部はラオスの小児病院へ寄付されるという

 

 

 

巻末の写真が、立ち姿勢も美しく侍にしか見えません(≧▽≦)そういえば、「サムライハイスクール」の映像を見た時に、まだ10代なのにその殺陣の形の美しさに驚かされたのでした。

 

追加:9月5日、三浦春馬さんがなにかの番組で大好きだとおっしゃった「ジャパンパンパン」はテーマ曲みたいに思えます。