5年前「日本の一番長い日」というリメイク映画が公開されましたが、これは半藤一利著書のノンフィクションを元にした映画化で、原作は「大本営日誌」を元に書かれました。昭和42年に公開された映画は昭和天皇もご覧になっていらっしゃったことが『昭和天皇実録』で明らかにされています。

この「一番長い日」とは、昭和20年の8月14日から翌8月15日の正午までの24時間のことで、この間に最後の御前会議があり、ポツダム宣言受諾が決定しました。そして御前会議での昭和天皇の御言葉を基に終戦の詔勅が起草されました。玉音放送の収録が行われたのは午後11時半過ぎから宮内省の御政務室で行われました。翌日の正午放送されるまで玉音盤は宮中に一晩安置されることになりました。ところが、15日未明、宮城事件といわれる皇居で青年将校が玉音放送阻止のクーデター未遂事件を起こしました。反乱軍は夜明けに鎮圧され、8月15日正午の玉音放送となるわけです。こうしたことが起きたことを知ることは、いかに戦時下というのが危険な状態であり、戦争を終わらすということが難しいかを知ることでもあります。

 

終戦の詔勅の元となった御前会議での昭和天皇の御言葉、昭和天皇の2回目の御聖断「天皇の国史」より

 

反対側の意見はそれぞれよく聞いたが私の考えはこの前に申したことに変わりはない。私は世界の現状と国内の事情とを十分検討した結果、これ以上戦争を継続することは無理だと考える。国体問題についていろいろ疑義があるということであるが、私はこの回答文の文意を通じて先方は相当好意を持っているものと解釈する。先方の態度に一抹の不安があるというのも一応はもっともだが私はそう疑いたくない。要は我国民全体の信念と覚悟の問題であると思うから、この際先方の申入れを受諾してよろしいと考える。どうか皆もそう考えて貰いたい。さらに陸海軍の将兵にとって武装の解除なり保障占領というようなことは誠に堪えがたいことでそれらの心持は私にはよくわかる。しかし自分はいかになろうとも万民の生命を助けたい。このうえ戦争を続けては結局我邦が全く焦土となり万民にこれ以上の苦悩を嘗めさせることは私としては実に忍び難い。祖宗の霊にお応えが出来ない。和平の手段によるとしても素より先方のやり方に全幅の信頼を措き難いことは当然ではあるが、日本が全く無くなるという結果にくらべて、少しでも種子が残りさえすればさらに復興という光明も考えられる。私は明治大帝が涙を呑んで思い切られたる三国干渉当時の御苦衷をしのび、この際堪えがたきを堪え、忍び難きを忍び一致協力、将来の回復に立ち直りたいと思う。<中略>どうか私の心をよく理解して陸海軍大臣は供に努力し、良く治まるようにしてもらいたい。<中略>この際証書を出す必要もあろうから政府は早速其起案をしてもらいたい。以上は私の考えである。



この時、時の陸軍大臣阿南惟幾が自決されていますが、その前に内閣総理大臣鈴木貫太郎に暇乞いに行かれました。その時日本のこれからを憂える阿南大臣に、鈴木総理が話したのは「陛下がお祭りをなさっている以上、日本は滅びませんよ」と、阿南大臣も「私もそう思います」と言って辞去されたといいます。このお祭りとは、天皇陛下がなさっている宮中祭祀のことです。日本は天皇陛下の祈りに守られている国であるという共通認識が、鈴木総理と阿南大臣にはあり、それを信じておられたのは二人が宮中にお仕えし陛下のお姿をご覧になっていられたからです。
 

 

 


当時を知る俳優が多く出演した迫真の昭和42年(1967年)版。



 

阿南陸軍大臣役の三船敏郎さんは、終戦時特攻隊の基地で遺影撮影を行い少年兵を送りだしていた25歳の古参兵だったそうです。25歳が古参兵なのです。写真技術があったため自分は生き残ったと語っていたそうで、ご子息に戦争の話をされる時はいつも泣かれていたといいます。昭和42年といえば戦後22年ですから、岡本喜八監督をはじめ戦争体験者が多く関わっていた映画であり、その迫真度、思い入れ度がやはり戦争を知らない世代の平成版とは違うといわれる所以だと思います。この昭和版は書き込みを見ると毎年8月15日に観ていると書いている人が何人かいました。

平成版で素晴らしかったのは本木雅弘さん演じる昭和天皇です。昭和天皇が随分描かれているということで不安が大きかったのですが、それこそ神がかっていて涙が出そうな昭和天皇でした。公開当時は、玉音放送の全文の動画が公開されており、その演じられた昭和天皇の心情の深さに感動したものです。


本木さんが京都のホテルの裏山で玉音放送の練習をしていた時、厚い雲が晴れて虹がかかって震えが起きたと玉音放送に関するインタビューで語っていましたが、それは真摯に取り組まれた本木さんだから起きたのではないかと思わせます。

以下の動画では、この役について、「昭和天皇そのものというか皇室のある国の一員としてそういう目に見えない力に護られているなということは思いつつそういう安心感は緊張しながらの撮影の中でも、なにかそういったものが自分の背中を押してくれたんじゃないかと思います。」と語る本木さん。


 

私は歴史の学び直しをするまで、玉音放送の直前にクーデター未遂事件があったことなど全く知りませんでした。映画も見ていませんでしたし、本も読んでいませんでしたから、全然知らなかったので終戦直前がこのような状況だったことを知ったのは衝撃でした。しかし、考えてみればこのような時だからこそこのような緊迫した事件が起きたわけでもあり、これこそが戦争ともいえます。だからこそ、このようなことが起きていたことを日本の近代史で義務教育できちんと教えないというのは愚かしいことだと思うのです。現在の日本にお花畑が多いといわれるのは、戦争とはこういうものだという現実感がないからだと思うからです。日本は終戦後アメリカの保護と洗脳の下、一見平和にきてしまったが故に、戦争・紛争・占領・侵略による暴力や簒奪の恐怖を忘れ、また戦後にこそ本当の侵略が始まるということを見えなくしてしまっているのです。

ところで、昭和初期に起きた226事件も、この宮城事件も青年将校が起しています。この時代の背景を知るのに、最適なのが江崎道郎さんの著書「コミンテルンの謀略と日本の敗戦」だと思います。明治・大正・昭和、そして平成への日本近現代史の流れを理解するのに江崎道郎氏のご著書は欠かせないと思います。



 

今年世界中に浸透していた目に見えぬ侵略が、武漢ウィルスに関わる様々な出来事によって表に出てきた感があります。



また発売されたばかりの新刊「天皇の国史」においても、大正時代にはじまる日本と世界の流れが戦争に繋がっていくのが理解しやすく書かれています。歴史は全て繋がっています。

 

 

8月15日:竹田恒泰氏の竹田学校の御聖断と宮城事件の動画を追加します。竹田さんが詳しく語っていてとてもわかりやすいです↓

 

 

 

 


大分県竹田市には日露戦争で戦死された広瀬中佐を祀る広瀬神社がありますが、この地が本籍地だった阿南惟幾陸軍大臣もここに合祀されています。

 

 

 

 

玉音放送の前に流れた君が代