四方を海に囲まれ多くの島々で成り立つ海洋国家日本は海抜きに語れません。その日本で天皇御自身がそれまでの軍艦ではなく、灯台巡視用の汽船明治丸で青森から函館という東北地方に巡幸後横浜に到着され横浜御用邸の伊勢山離宮へ帰着された日が明治九年(1876年)の七月二十日でした。明治時代の天皇ですから、もちろん明治天皇の御巡幸のことです。

 

これは今の感覚からすると、たいしたことのないように思えるかもしれませんが、明治天皇の父帝である孝明天皇まで、御所の外へ出ることも一大事だった時代が長く続いたことを考えると、御所の外だけでなく海洋にまで出た天皇が無事に帰られたことが物凄い事件であったことがわかります。

この日が「海の記念日」となり平成七年から海の日として制定され、平成8年(1996)から海の日として祝日となりましたが、平成15年(2003年)から改正されたハッピーマンデー法により七月の第三月曜日となる今の形となりました。(本年とたぶん来年も東京オリンピックのため日にち変更)

 

しかし、本来は本日が海の日である事を忘れないでほしいと思います。ただ忘れないための記念日なのに、その記念日由来の休日の日付が変わってしまっては本末転倒です。宮中祭祀や記念日が休日になったのはなぜか?何度でも繰り返し繰り返し伝え続けるためです。伝えるのは、我が国の伝統やその源である皇室由来である日本で起きたことです。過去に起きたことが未来を培うからです。そうした先人達の想いを現在生きる中今の我らは未来に伝えて行く使命があります。それは、過去の歴史を知ることが今と未来の日本人に必要な重要な事柄だからです。

 

現在、明治丸は重要文化財として東京海洋大学の越中島キャンパスにあります。
 

 

東京海洋大学のサイエンティストプロフィール動画には、過去の明治丸の写真が登場します↓


ツィッターアカウントもありますが、現在明治丸ミュージアム一般公開中止のお知らせです↓

 


 

 

日本の祝日は、ほとんどが天皇由来の日からきています。なぜなら日本は国の成り立ちから天皇が建国した国であり、長い歴史の中で色んな出来事が起き、また伝統的なお祭りが続けられてきた国だからです。日本の歴史は天皇抜きに語れません。ところが、学校で教えられる歴史からは殆どの天皇の名前が消え、国の由来も教えられず、神話も教えられない国となりました(神話教育は最近復活)。

これには天皇の御事績や日本のお祝い日を消し去りたいという意図があるとしか思えません。近年、天皇陛下、皇室のニュースの言葉使いや意図的な報道で国民を惑わすなど、日本に前々からある天皇に対する不穏な動きが年々活発化していることが目に見えるほど激しくなっています。事実それを目的として掲げている政党は、不敬な言動を繰り返してきました。そして、そこには、日本人全体の天皇や皇室に対する知識が浅くなったことに付け込む戦略がみえます。それに対抗するには、日本人全体の共通認識としての知識を増やすことしかありません。

2014年にはハッピーマンデーを元の形に戻そうという動きがありましたが、以下のニュースでは三連休がなくなるなどという観点からのニュースとなっており、反対の人々もそういう観点でしか語っていません。本来三連休のための祝祭日ではないということを忘れた本末転倒な取り上げ方です。町の人の意見も取り上げていますが、すり変えられてしまった現在が主となる語り口となっていました。

3連休がなくなる?「海の日」めぐり 国会で大論争(14/11/06)

2014/11/06 に公開
3連休が減ってしまうかもしれません。ハッピーマンデー制度によって、7月の第3月曜日となった「海の日」を、当初の7月20日に戻すべきかどうかについて、与党内で意見が真っ二つに分かれています。


海の日は元に戻らないまま、平成二十八年から8月11日に山の日が制定されました。これは海の日があるのに山の日がないからと日本山岳会をはじめとする全国の団体の動きがあって決まったそうです。そんなことをいえば、端午の節句は男の子の日なのに、それが子供の日となっているのはおかしいとか、子供の日、成人の日、敬老の日があるのに中年の日がないとか、あるいは海の日や山の日があるのに、川の日がないとか、いくらでも訴えることができることになってしまいます。

しかもおかしなことに、海の日はハッピマンデーで由来のある日から変えられたのに新設の何の由来もない山の日は日が指定されるというおかしなことになっています。


海というのは、山がなければ成り立たないものです。つまり海の日には海を支える山も含まれているのです。同様なことは、子供の日にもいえます。端午の節句は男の子の日と思われていますが、元々は女の子の日でもあったのです。だから端午の節句が子供の日となったのです。

これはこの日を制定した時の先人達が、ちゃんと由来を知っていてその日を制定したということなんだと思います。そういう風に考えると、なんの由来もなく制定した山の日は愚かとしか思えません。

auの人気CMシリーズの三太郎の一人、浦島太郎の物語のモデルは山幸彦といわれています。山幸彦は日本神話の天孫降臨で地上に降りて来た邇邇芸命の子供、そして神武天皇の祖父、つまり長く続く天皇の祖先です。海の物語の主人公が山幸彦だというのは、海と山の繋がりを簡潔に語っていないでしょうか。

山幸彦のはるか未来の子孫である明治天皇を由来とする7月20日の海の日は、ハッピーマンデーを廃止して元の日付にもどし山の日は廃止すべきではないでしょうか。そして海の日には、海の源である山も考えるとすればいいのです。海と山を切り離すよりも、繋がったものとしてあるほうが自然ですし、むしろその繋がりの大切さを考えやすくなりますから、この方がいいのではないでしょうか。そして海と山をつなぐのが川です。そこを強調しておけば将来、川の日を!なんて意見が出ることもないでしょう。

新たに祝日を制定するのであれば、4月3日の初代神武天皇の祭日や、1月7日の昭和天皇の祭日である先帝祭を復活させる等、廃止されたままの休日を復活させるべきです。先帝祭はこれからも未来永劫日本が続いていくことを考えれば、むやみやたらに明治以降の天皇の祝祭日を増やさないためにも重要です。あるいは先帝節というのも必要かもしれません。天皇を戴く国である我国日本として、それが本来のあるべき姿です。先帝節があれば御譲位が行われたから天皇誕生日は変更しましただけの違和感はなくなります。昨年、上皇陛下の誕生日が忘れ去られた感があったことに違和感を感じたのは私だけではなかったかと思います。そして、こういう風に大切な日を伝えていくことが、現在と未来の日本人達の誇りや自身に繋がっていくことになります。誇りを培うことは自虐史観が70年以上も教えられ続けている日本には貴重な事だと思いますし、誇りを持てる国に生まれたということが若い人に与えるパワーは計り知れないものがあります。

昔から、過去に何か起きるとその事を忘れないように人々は語り継いできました。それは、人が忘れやすいから、繰り返し語ることで忘れないため、それについて考えさせるため、そして生活に生かすためのそれが知恵だったのだと思います。そして、そうしてきたのは日本だけではありません。これは洋の東西を問わず、昔の人の知恵であり未来への贈り物だったのです。キリスト教では色んな聖人の日がありますが、例えばヴァレンタインデーも、聖人ヴァレンティヌスに由来する日のことで、その日に因んでできたのがヴァレンタインデーの習慣です。

 

最後に、復刻版初等科修身の教科書二(四年生用)に記載の「日本は海の国」と明治天皇の御製を。修身の教科書は書かれた時代が出ている面も多少ありますが、十分今でも通用する内容です。

 

日本は海の国

 

日本は海の国です。海の恵みを受け、海にまもられて来た国です。

昔から海にしたしんで来た私たちの祖先は、はてしもない大海原を乗りきって、遠く海外に出かけました。

今の日本は、海国日本の名のとおり、世界いたるところの海洋に、日の丸の旗をかかげて、国の光をかがやかしながら活動しています。

へさきに菊の御紋章を仰ぐ帝国軍艦は、三国のまもりもかたく、太平洋から印度洋にかけて、その威力を張っています。

海国日本のほまれをあげるぶたいは、かぎりなく大きいのです。その広いぶたいに、日の丸の旗をささげて進むのが、私たちの尊いつとめです。

 

明治天皇御製

 

よもの海

みなはらからと

思ふ世に

など波風の

たちさわぐらむ

 

 

 

 

 

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