2002年6月13日、韓国で駐韓米軍基地に帰ろうとしていた装甲車が公道で事故を起こし、女子中学生2人が亡くなりました。これは日本でも大きく取り上げられた悲しい事故で、当時の記憶がある人も多いかと思います。

韓国では反米活動が元々盛んで当時はよくテレビニュースでそうしたニュースも取り上げられていましたが、この事故に反発して大規模なデモ活動が行われました。ネットで検索すると日本でも活動していたようです。

米女子中学生をひき殺した米兵を韓国法廷で裁こう
 
そしてその少女が銅像にされたのも当時ニュースになりました。

ところがいつの頃からかその少女像が売春婦像にされてしまいました。いわゆる慰安婦像です。

世界中に設置されているいるあの少女像は、本来は交通事故で亡くなった可哀そうな少女像です。あの像の横に椅子があるのは二人亡くなったためです。
 
以前もここで書きましたが、慰安婦なんて存在せず売春婦しかいなかったのに「慰安婦像」というのは、慰安婦の存在があったということを認めることになります。また売春婦に少女なんていもしなかったのに「売春少女像」と言うと、売春婦を少女にさせたという風に取られかねません。この像に関しては、ただ単に「少女像」というべきだと思います。

 

 

この少女像のために海外の邦人が酷い目にあっていますし、日本と日本人のイメージも悪くなっているでしょう。こうした嘘は現在はもちろん未来の日本人のためによくありませんし、こうしたことを続けさせてしまうことは現在の我々のために当時闘われた先人達、英霊の方々を貶めることになります。過去を貶めることは現在と未来を貶めることにもなります。現在の私たちは過去にも未来にも責任があります。
 
今では完全に「慰安婦像」という名称が定着していますが、この言葉を改めることは、交通事故で亡くなったがためにこのようなシンボル像にされ、さらにはそれが売春婦像として世界各地に拡散されてしまうことになってしまったかわいそうな少女のためにも必要なことだと思います。
 
本日はこの痛ましい事故が起きて18年目の日です。
この二人の少女のために追悼したいと思います。
 
現在、いわゆる慰安婦活動の嘘が韓国でも暴かれた始めていますし、今までは見て見ぬふりがされていた証言の矛盾点も取り上げられているようです。せっかくですから、この少女像に対しても交通事故死の悲しい犠牲者であり、全く関係のない売春婦のイメージにされてしまった犠牲者でもあることを再認識する必要があるのではないかと思います。
 
またこれは、たった18年の間にこれだけ肖像を変遷させてしまう韓国という国、国民性も表しています。こうしたことも私たちは忘れてはならないとも思うのです。
 
この少女像を見るたびに、交通事故で亡くなった少女を思い出し、痛ましいと感じます。
 
本来であれば海外で起きた交通事故であり、米軍の装甲車が起こしたとはいえ日本には全く関係のない事件ですので、話題になったとはいえ日本では忘れ去られる事件であったはずです。しかし、この少女像が日本に対して不当に使用されるかぎり、かわいそうな少女達がいたことを忘れてはならないと思います。
 
今年は、武漢肺炎により、WHOという国際機関の異様さが世界でも認知されるようになってきましたが、国連信仰についても再認識する必要があります。
 
 
 
 
過去も未来も守れるのは現在の私たちだけです。過去を美化する必要はありませんが、捏造により私達の先人を悪人にするということは問題外です。そして、そうした悪いイメージは、現在の私達はもちろん、これからの未来を生きる子どもたちにも悪い影響を与えると同時に、対外イメージも悪化させてしまいます。私達日本人の過去と未来を守れるのは、現在の日本人だけなのです。