明日は、旧暦での端午の節句の日となりますが、古来宮中では端午の節句の前日に菖蒲(あやめ)と蓬(よもぎ)が献上されました。菖蒲や蓬は、古来から薬草として重宝されてきており、また菖蒲は病邪を祓うとされています。

 

「『旧儀式図画帖』にみる宮廷の年中行事」にはこう書かれています。

宮廷では、端午の前日にあたる五月四日になると、山城国葛野郡小野村(現在の京都市北区にあった村)から届けられた菖蒲(あやめ)と蓬が宮殿の屋根に葺(ふ)かれました。また清涼殿の東面の欄干には、日本の柱に屋根をのせた簡単な小屋が建てられ、その屋根にも菖蒲が葺かれました。これを菖蒲御殿といいます。晩には女官の手で作られた菖蒲枕(あやめまくら)が天皇に献上されました。

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そして翌五日には、菖蒲湯が用意されました。これは菖蒲枕をほどいて、中身の菖蒲と蓬を湯船に入れて香気を漂わせたものです。

 

屋根の上に乗せる菖蒲と蓬の束。菖蒲を葺いて回るのは小野村の百姓達。

 

欄干に建てられた菖蒲御殿

 

一番上の包まれているものが献上された菖蒲の折形。これは、青地に稲文を摺り、裏は銀地に忍草文を摺った包み紙に白、赤、黒の中紙を重ね、菖蒲と蓬の束を挟んで、紙紐で結んだものです。献上された菖蒲の絵の下には、菖蒲と蓬の束、包み紙、紙紐の絵が描かれています。そして左下には、天皇に献上される菖蒲の枕が三方の上に乗せられた絵があります。

 

これは、田植えに来臨する神のため、菖蒲を葺いた屋根の下で一晩を過ごし田植えに備え、身を祓い清めた早乙女と同じであり、豊芦原の瑞穂の国の天皇ならではの行事ではないかと思います。

 

 

 

 

ところで、菖蒲湯に入ったことがなかったので、以前は菖蒲湯には花も入れるのだとずっと思っていました。しかし、違うんですね。菖蒲湯は菖蒲の葉や根を入れるお風呂なので花は関係ないわけです。そして旧暦だとちょうど開花時期、もしくは開花後となるわけです。

 

明治初期に改暦されてから、日本の年中行事は新暦で行われるものが増えましたが、日本の伝統行事には自然と結びついたものが多く、ずれが生じているものも多いです。そうした一つが端午の節句に行われる菖蒲湯ではないかと思います。

 

菖蒲の花は6月が見頃です。明治神宮の菖蒲は22日前後が満開だったようです。あしかがフラワーパークのサイトには、花の状況が定期的にアップされているのですが、6月6日ぐらいから開花情報がアップされ、17日が満開となっていました。今年は閏月があるので、旧暦が例年よりずれていますが、昨年の旧暦の五月五日は6月7日でしたから年によって多少のずれはあるにしても菖蒲の開花頃が旧暦の端午の節句の時期だったわけです。

あしかがフラワーパークの花の状況、17日時点で菖蒲が満開です。

 

 

 

新暦で端午の節句の行事を行うと、菖蒲は完全に花が開く前に刈られてしまいます。菖蒲の花は私が好きな花の一つですが、せっかくですから菖蒲の行事はやはり花が咲いた後に行ってほしいものだと思います。

 

旧暦を知ってから、旧暦と日本の年中行事の結びつきを考えるようになりました。自然と結びついた行事は、やはり古来からの旧暦で行うのが一番だと思います。桃の節句(雛祭り)も、七夕も、旧暦のほうが自然にかなった行事ですし、それは菊の花の重陽の節句も同様です。