最近小説は読んでいないと書きましたが、子供の頃から色んな物語を読み続けてきた本好きの一人として、今までに凄い!と思った歴史にからむ小説をいくつかあげたいと思います。

 

 

ジョセフィン・テイの遺作「時の娘」。この本はこのブログで何度も取り上げてきた本ですが、歴史の見方、また肖像画の見方も変えた本として転機の一つとなった本です。作者はアガサ・クリスティーと同時代のイギリスのミステリー作家で小説を何冊も書かれています。この本を機に翻訳された本は読み漁りましたがどれも面白かったです。しかしこの本がなんといっても代表作です。この本は、欧米ではファンが多いことを後で知ったのですが、ファン小説もあり翻訳されたことがあります。

 

この本の何が凄いのかというと、小説という形をとって歴史上の人物であり、イギリスでは悪王として嫌われていたリチャード3世が死後に次の為政者によりいかに悪人化されたかを暴いていく物語となっています。その過程が、怪我して暇を持て余した警部が色んな(実在の)資料を取り寄せて検証していく形から、ベッド探偵ものという分野を確立した物語としても有名です。

 

さらにイギリスではこの本の出版後、リチャード3世に対する評価も変わっていった、つまり小説の形で歴史を正したのが凄いです。イギリスは歴史が古いことから歴史好きが多いといわれますが、テレビ番組などもそういう番組が多いそうですから、歴史ミステリーの特集や本がたくさん書かれている日本と同様かもしれませんし、これは国が違えどどこの国でもあることでしょう。

 

舞台などもシェークスピアの歴史ものがたくさんあります。日本にも歌舞伎があり大幅な脚色もありますからこれも同様といえるかと思います。そのシェークスピアが実はこのリチャード3世の悪役化に加担していたこともこの本の中で暴かれていきます。日本でいえば司馬史観により国史が歪められたように、シェークスピアによってイギリス人の歴史を観る目も歪められていたのです。シェークスピアが活動したのはエリザベス1世の時代であり、リチャード3世が書かれたのは1592年~1593年のことですが、エリザベス1世というのはリチャード3世が最後となったヨーク朝(広義ではプランダジネット朝男系)の後のテュダー朝(広義ではプランタジネット朝女系)の女王です。つまり易姓革命と同様、王朝が変わった時に前の王朝の最後の王の評判を貶めたのがリチャード3世の姿だったのです。

 

歴史は勝者によって作られるといいますが、それを証明した小説といえます。

 

 

鯨統一郎の「邪馬台国はどこですか?」はシリーズがあって3番目までは読んでいますが、四番目はスタイルが変わったので読んでません。しかし、本書から常に鯨統一郎著書は読まなくても定期的にチェックするようになりました。私は基本小説は海外小説しか読んでこなかった派なのですが、たまに例外もあってこういう作家もいます。(なお、中高生の頃は芥川龍之介と夏目漱石が好きで何冊かは読んでいました。)

本書は本屋でタイトルに惹かれパラパラと読んで(多分1章)即買いしたほど面白かった本です。これを読むと、世の中にあるなんとか説っていくらでも作れるんじゃないかと思うほど、えっそうだったんだ!と思わせてしまう鯨統一郎マジックに満ちた絶妙な物語です。

実はこれもベッド探偵もので、バーで毎夜客同士が繰り広げる歴史談義が物語になっているので、短編小説を読んでいるような感じで色んな歴史の定説が奇想天外な結末に終わるのを楽しめます。

 

最近、えっ?と思うような歴史に関する奇説がありますが、こういうこと?と思わせる本です。

 

 

 

ロバート・ゴダードの「千尋の闇」。これはイギリスの現代作家の本ですが、ゴダードは元歴史教師でそのためかどうか主に歴史をテーマに小説を書き続けています。そのスタイルはだいたい現代(あるいは一昔前)から過去に遡る形式で、歴史が今を作ることを実感させる物語群です。最初はイギリスだけが舞台に本を書いていましたが、だんだんヨーロッパやアメリカ、そして日本までも舞台にするようになってきたのは、やはり近代の歴史がメインだからでしょう。歴史に絡めて物語が進むので、出来事によっては歴史上の事件を検索して読むこともありました。

そのゴダードの処女作がこの「千尋の闇」ですが、この本は本屋に行く度に何度も目に飛び込んできたため、とうとう手に取ってパラパラした後買ってしまった本です。私、けっこう目に飛び込んでくる本があって、そういう本で外れがあったことはありません。だからこそ本は本屋で買う派です。特に未知の作家は本屋でしか買いません。上記「時の娘」も、「邪馬台国はどこですか?」も目に飛び込んできた本です。

これは装丁も凄く気に入っています。このタイトルと凄くマッチしているからです。最初目を引かれたのはこの邦題でした。やはり処女作であったから創元社が装丁も邦題も考えに考えて頑張ったのかもしれません。というのもその後のゴダード本の装丁は?なものも多いからです。しかし今では作家名で売れるから装丁にお金をかけないのかもしれません。ここ10年ばかり国史探求のため小説は読まなくなりましたが、それまでは次の翻訳はいつ?と原書情報までチェックしていたほど、読めば読むほど次の本もまた読みたいと思わせるほど面白い作家です。

原題はPast Caring、意味は「過去の思いやり」です。確かに本書を読むと「過去の思いやり」ですが、謎が謎を呼び、謎が解明するたびに新たな謎が出てくる物語は「千尋の闇」というタイトルがぴったりでした。

ただし、当時読んだときに1か所だけ疑問を感じた個所がありました。それは例えばタイムトラベル物を読むと生じるパラドックスのようなもので、ここに登場するヒロイン像に違和感を感じたのです。

今Amazonの書評の一番上にある方の分を読んでみたら、年を経た今読むとまた感想が変わっているかもしれないと気づきました。というのもこの書評に書かれていることが作者が書いた当時30歳ぐらいで高齢者について書いているため、心理描写や行動が若い人が考えるものとなっているとあるからです。それはこの書評を書いた人が過去20年の間に3度読んだから感じ取れたことというのが重要です。確かに時を経て読むと感じ取れることが違ってきます。私もまた読み返したくなりました。そうしたらもしかしたら、ヒロインの違和感に対する答えが出てくるかもしれません。

あらすじは、歴史教師を失職した主人公が、前世紀初頭に将来有望とされていた若手政治家が突然政治的失墜をし、婚約者からの拒絶に会い社会的に抹殺された生活を送った後に70代で亡くなったその人生の謎を調べていく物語ですが、そこに主人公の問題も絡まっていき、また生存している元婚約者との交流もあって・・・という物語です。(これじゃ意味わからないか・・・)

つまりこの若手政治家がなぜ失脚したか?その謎を辿っていくうちに展開していく物語です。

私はこの謎が謎を呼ぶ展開に我慢できなくて、ゴダードを読むときはいつも途中で先のページをペラペラして最初の謎解きを読んじゃってから読むという最悪の読み方をしていました。でもそれをやっても次から次に新しい謎が出てくるためちゃんと読み続けないと楽しめないのですよ。

ゴダードの本を読むたびにどうやってこんな構成作るんだ!と思いながら読んだことも改めて思い出しました。

 

 

私はタイムトラベラー物が大好きなのですが、これもタイムトラベラーものの一つです。

ジャック・フィニィはアメリカの作家で、「ゲイルズバーグの春を愛す」という短編集で気に入って次に読んだ本書「ふりだしに戻る」で大ファンになり、ジョセフィン・テイ同様翻訳されている著書はほぼ全て探して読みましたが上記2作が一番好きです。ちなみに「ふりだしに戻る」は続編の「時の旅人」もありこれが遺作となっています。またフィニィは映画化作品もあり四作品が映画化となっています。特に有名なのが「盗まれた町」で4回も映画化され、最新作はニコール・キッドマン主演でした。ただ原作とは違った印象の作品となっています。

「ふりだしに戻る」は、主人公のNYの広告代理店で働いているという当時の定番職業(70年代ぐらいの小説には広告代理店で働いている設定が多い印象がある)のサイモンが秘密裏に政府のタイムトラベルプロジェクトに参加して1882年代のNYに行く物語です。そしてそこで実験的に静かに生活して戻ってくる予定が事件に巻き込まれるという物語です。秀逸なのはここで実際のNYの古写真を挿絵のように使用していることです。特に現存する建物がいくつも登場して、それがノスタルジックさを高め、また現実感がいや増すという効果を発揮しています。私がこの本を読んだとき、NYに行った直後で、しかもNYで行った場所がいくつも登場したのでよけい現実感が増したことも付け加えておきます。やはり、実在の場所が登場するとその存在感が違います。

私はこの本を読んでから古写真にも興味を持つようになりました。古い写真には現在失われたものが多く残されていてとても魅力があると思います。遺作となった「時の旅人」では、サイモンが今度はタイタニック号に乗り、その沈没を阻止できるか?という物語になっていますが、この時も古写真を使用しており、写真を探しそれを物語に当てはめたその創作力にまた驚かされたのでした。

本書の後に書かれたタイムトラベラー物には、本書の影響を感じることがよくあります。現在はタイムトラベラー物がたくさんありますが、まだ少なかった当時としては画期的な本だったのではないかと思います。欧米のタイムトラベラー物の原型は、このフィニィ型とネイサン型(ジェニーの肖像:ロバート・ネイサン)かなと考えています。日本だと神隠し型が原型となるかと思います。

 

 

これは表紙写真をでわかる通りトム・クルーズで映画化された「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」の原作「夜明けのヴァンパイア」です。近年ヴァンパイアもの小説が人気ですが、その人気のきっかけはこの「夜明けのヴァンパイア」シリーズの人気によります。どれだけ人気だったかといえば、著者が亡くなるまでに書かれた(以前亡くなった記事を見た記憶があるのですが今回検索したところみつかりませんでした。英語記事も検索したのですがみつけられませんでした。ただ、以前は頻繁にサイト更新もあったのに2017年が最後のものが多いので間違いでなければその頃です。)ヴァンパイア・シリーズと魔女シリーズの翻訳の著作権料がその人気でどんどん値上がりし、日本での翻訳が途中で断念されたほどです。だからシリーズものであるにもかかわらず、両方とも翻訳が途中で終了しています。

私は両方のシリーズやスピンオフ物も読んでいたので、この翻訳断念にはがっかりしました。

「夜明けのヴァンパイア」は日本語版題名ですが、この題名が素晴らしく作品を表してる邦題だと思っています。原題は映画のタイトル通りの「インタビュー・ウィズ・ザ・ヴァンパイア」で、アン・ライスの処女作となります。この本はアンが幼くして娘が亡くなったことから立ち直る過程で書かれたもので、この物語の中に登場する永遠に幼いヴァンパイアのクロウディアはその娘が反映されていると言われています。

タイトル通り、ヴァンパイアにインタビューして聞いた物語という形になっており、映画化の際にはリヴァー・フェニックスがこのインタビューアー役だったのですが撮影直前に死亡したためクリスチャン・スレイターに変わったことでも話題になりました。

私はこの本を映画化前から知っていてやはりいつも目に飛び込んでくるので気になっていたのですが、映画化が決定してから読むことにしたので、私の持っている本の表紙も映画写真となっています。

物語は現代人が1791年生まれのヴァンパイアがなぜヴァンパイアになったのかという物語を聴く話となっているため、時代が遡っていきます。つまり様々な歴史背景がわかるとより面白い物語となっていきます。そして、ヴァンパイア物語とはなっていますが人間の生きる苦しみなどを語る物語ともなっています。やはり子供が亡くなったことから立ち直るために書かれた物語だけあって、生が主題となっているのがこの物語の力強さとなっていると思います。

これ1冊だけでも面白いのですが、シリーズとなった後は、ヴァンパイアがどんどん時代を遡っていき、最初のヴァンパイアがどのように生まれたかまで描かれたり、他のヴァンパイアの物語が語られたりというシリーズものになっており、最初のヴァンパイア誕生には古代エジプトが登場してきます。アン・ライスには他にも様々な本があるのですが、こうして調べていく過程で別の物語の構想が生まれたのではないかと(あるいはその逆)というのが本を順番に読んでいくだけで分かりやすくそうした面でも面白いです。ただ、アン・ライスの本を読み続けると著者の屈折した考え方なども透けてみえてきて、途中から読み続けるのがきつくもなってきたので私は翻訳が途中で終わったのにがっかりもしながら、ほっともしていました。

 

「処女作」は作家の原点という話をきいたことがあるのですが、偉大な作家の処女作はやはり最初から偉大なんだと感じさせるのが「夜明けのヴァンパイア」と「千尋の闇」です。

 

好きな小説はたくさんありますが、歴史がらみで凄い作品はこんなところでしょうか。こうした本を読むと歴史にも興味が持てて一石二鳥じゃないかと思います。

・・・この小説が凄い、と書いていますがこの作家が凄いって内容になってますね。でも私、だいたい本を気に入るとその作家の本は読み漁るので、こんな感じになっちゃいました。でもここに登場した本は、全て作家の一番の代表作でもありますので、やっぱりこの小説が凄いで間違いはないです、ハイ。

 

 

昨日は凄く激減しました。気を抜かず頑張りたいです\(^o^)/

 

困難な時代に人々を励まし一つにしてくれる言祝ぎの歌にワンフレーズついて最強の言霊歌、君が代