延宝3年(1675年)9月3日、江戸時代初期に誕生された東山天皇は、父の霊元法皇がずっと院政を敷いておりました。そして在位22年、中御門天皇に譲位された後自ら院政を敷かれましたがたった半年で病の為崩御されています。そのため霊元法皇が院政を再開しました。

 

東山天皇の時代は、徳川第五代将軍綱吉から六代将軍家宣の時代でしたが、家宣は甲府藩主から綱吉の継嗣に迎えられ将軍になっています。徳川家がほんの数代で後継問題が起きたこともあり、家宣が将軍就任後すぐに甲府時代からの家来であった新井白石が家宣に奉呈したのが、閑院宮家創設に関する建白書でした。

 

白石の自叙伝「折たく柴の記」によれば「平氏や執権北条氏は皇室の怒りにふれて滅びました。もし武家政治を連綿と続け、将軍家の末永い繁栄をお考えになるなら、皇室を等閑(なおざり)視なさらず、これまでの皇恩に報いるべきでございます。まず、皇室の財政難で打ち捨てられたままになっております新宮家創立をぜひとも実現させていただきたい」というものでした。

 

ここから東山天皇の第六皇子、直仁(なおひと)親王を初代とする閑院宮家が創設が決定、中御門天皇が勅令を出され、八年後に霊元法皇より「閑院宮」の宮号と所領が下賜されたのです。

 

それから61年後、閑院宮家の師仁(もろひと)親王が、皇子を残さないで崩御された後桃園天皇の次の天皇となりました(光格天皇)。新井白石が未来を見据えた建白書が見事生きた瞬間でした。光格天皇は今上陛下へと続く皇統の始まりなのです。

すめらぎのお話・・・皇統は続く

 

 

現在、若い世代の皇統後継者が秋篠宮悠仁親王殿下だけですから、二言目には女性天皇・女系天皇の話が出ますが、何回出てもまず女系天皇の系統はありえません。万世一系で天皇は続いてきました。これは男系で続かれたからこそなのです。それが壊されたらもう天皇ではなくなります。

 

そして、その事が認知されてきたからか女性宮家の話が出され、何度も蒸し返されるようになりました。しかし、これもありえません。なぜなら、もし女性宮家ができたら、その宮様は結婚されないからです。つまり独身で一代限りとなった桂宮宜仁親王と同様に一代限りで断絶される道を選ばれることでしょう。

 

皇室の方々は、皆様皇統の歴史を学ばれていらっしゃいます。ご先祖様の歴史ですから当然でしょう。そうした方々が、ご先祖様に反することをされるでしょうか?

 

それとも結婚を無理やりさせるとでもいうのでしょうか?

 

そうならないためにも、まず無理矢理皇籍離脱させた旧宮家の皇籍復帰が望ましいのです。

 

 

古代からいらっしゃった女性天皇はそのご負担が大きく大変だということが歴史をみるとわかっています。天皇は宮中祭祀が本来の仕事ですが、その潔斎が女性にはとても厳しいものです。ですから、歴代の女性天皇は中継ぎとしてどうしようもない時のみ即位しました。しかし例えば最後の女帝、後桜町天皇などは宮中祭祀ができなかったことが多かったことがわかっています。そして生涯独身を貫かれました。
 

 

女性天皇や女性宮家を言う前にまず、日本には旧宮家が日本の意志ではなくGHQ(あるいはGHQの乗じて)により皇室離脱された過去がありますから、普通に考えればやはり旧宮家の皇籍復帰が自然の流れであり、戦後71年もそれを申し上げなかったことが日本の問題点です。

 

 

現在の旧宮家の詳細な状況を最近出されている方がいますが、去年単純にウィキペディアの情報を見た時だけでも旧宮家の内七家が残っていました。分家を加えるとさらにあるでしょう。、現在の宮家全部の復活は難しいとしても、明治天皇や昭和天皇の皇女が嫁ぎ男系が続いている宮家だけでも全部復活させたらいいと思います。朝香宮家(分家1?)・竹田宮家(分家2?)・東久邇宮家(分家2?)で、八家ぐらいでしょうか?現在の四宮家の状況(秋篠宮家以外全て子女は女性のみ)をみれば旧宮家から八宮家ほど戻しても多すぎることはないと思います。明治以降に次々に宮家が創設されたのも宮家が少なくなった(少なくなるのをみて)からでしょう。


以前竹田恒泰氏が、旧宮家の方々に確認したところ、もし宮家が戻ることになった場合その覚悟はできている、と言われたと竹田研究会で聞きました。一般人の自由を知ってから宮家に戻るのはとても大変なことだと思います。もし天皇になったら自由がなくなり1日24時間365日天皇でいなければならないのです。しかし、今旧宮家が皇室復帰しておけば、宮家から天皇が出ることになる場合までの教育をしていくのに十分な期間があると思います。

 

そしてその旧宮家復帰の前に皇室典範をお返しして、宮家復帰の会議は天皇陛下と皇室を中心とした会議で決めて頂ければと思うのです。皇室典範も戦後天皇と皇室から奪われたものですが、そのままお返ししていないのもおかしな話なのです。昨年来、陛下と皇室に関わることを、陛下と皇室の方々を無視して決めている現在の状況はおかしいと思いませんか?そもそも、本来俎上に乗るべきは皇室典範をお返しすることと、旧宮家皇籍復帰であるべきでしたが、メディアが意図的に世論の誘導をして本来あるべき姿の論議ができないようにしてしまったのです。


閑院宮家が創設されてから断絶(昭和63年:1988)するまで270年。閑院宮家から光格天皇が即位されてから今上陛下の現在まで237年。旧宮家が皇室離脱してから69年。閑院宮家創設から天皇が即位するまで69年。


旧宮家皇籍復帰は
早ければ早いほど
良いです。

 

閑院宮家創設・・・今上陛下へ繋がる系統の宮家

 

今決めるべきは、皇室典範をお返しすることと、旧宮家の皇籍復帰です。

 

小泉内閣の頃の対談です。現在を予兆させる内容となっていますが、国民の声がいかに重要かがこれを聴くとわかります。