英語で月名を習った時に、1月のJanuaryの語源としてヤヌス神のことを教わりました。ヤヌスとはローマ神話の神で、二つの顔を持っています。出入り口と扉の神だという事ですが、1月は過去と未来の境目でもあり、対照的な意味、二面性も表す言葉となっています。たぶんそんな意味合いもあるからでしょう、昔「ヤヌスの鏡」という漫画が人気があり大映ドラマにもなって話題になったことがあります。この漫画の主人公は対照的な性格を持つ少女で二重人格という設定でした。しかし二重人格でもないのに、全然違った評価をされる人・あるいは物事があります。それはつまり、周りの人達が全く違う思考にあてはめていることを意味します。それはまるでヤヌスの鏡のように正反対になります。そのような正反対の評価とは国が違うなどの立場の違いでそうなっています。その代表的な例として、誰にもわかりやすいのがジャンヌ・ダルクです。



オルレアンの乙女(少女)といえばジャンヌ・ダルク、救国の聖女としてフランスで今もなお絶大な人気を誇る国民的ヒロインです。

ジャンヌ・ダルクはフランスとイギリスとの百年戦争の中、フランスの農夫の娘として生まれましたが神の啓示を受けたとしてフランス軍の戦いに参加し、勝利を治めた15世紀の女性です。後のフランス王シャルル七世は、王として戴冠することが危ぶまれていましたがジャンヌのおかげで戴冠することができ、その後に百年戦争を集結させます。しかしそののちジャンヌは捕らえられイギリス方に引き渡され異端審問にかけられて魔女として火あぶりにされてしまうのです。1431年の5月30日、586年前の今日、まだ19歳の若さでした。

 

オルレアンの聖女は、敵対するイギリスからすれば魔女でしかなかったのです。見方が変われば同じ事をしていても、その評価は正反対となるのです。

のちに名誉は回復、ジャンヌ・ダルクは長い間神格化されて、1920年には列聖にされています。

ジャンヌ・ダルクについては長い間研究され、絵画や銅像、小説、戯曲、音楽、映画、ドラマ、漫画と色んな題材にもされてきています。それは国の為に戦い死んだ英雄(ヒロイン)の永遠の魅力からくるものでしょう。実際には農民は王族たちの争いには全く興味がなかったといいますが、例えそうだとしてももしその影響が自分達にまで及んで祖国存亡の危機となれば興味がないなどと言っていられません。祖国がなくなれば国民は流浪の民となり、国という後ろ盾のない民の存在は哀れなものとなるのは古今東西変わらないのです。しかもオルレアンは戦火の地でした。もしかしたらジャンヌ・ダルクが出てこなくてもいずれは、こうした土地から戦を収束させたいという人が出てきてもおかしくはなかったのだと思います。なにしろジャンヌ・ダルクが処刑された後も百年戦争が収束するのに20数年かかっています。そしてその収束には、ジャンヌがシャルル七世を戴冠させたことが大きく働いたのです。

私が初めてジャンヌ・ダルクを知ったのは美内すずえの漫画[白百合の騎士]だったと思います。その後興味を持って色んなものを読んできました。最初は少女が活躍するというのでかっこいいというものでしたが、神様の啓示がなぜフランス側だけに降りるの?など疑問点は沢山ありました。私からすると神様がどちらかに肩入れするのなんておかしいと思ったのです。しかし国を思い自己犠牲の精神でただの農民の娘が何度も戦って勝利を治めたのに裏切られ敵方の手に引き渡されたのち異端審問の結果処刑されてしまうというストーリーが持つ普遍的な魅力には抗えず、そういう疑問点はスルーしていました。



ネットから拝借、美内すずえ版ジャンヌ・ダルク。右の絵の顔が異様に大きくみえるのは美内作品によくある現象。



そんなジャンヌ・ダルクのイメージの決定打は、リュック・ベッソン監督の「ジャンヌ・ダルク」。写実的で重量感のある映像で中世の戦いが描かれました。

 

 

 

 

リュック・ベッソンは仏人とはいえ、主役はロシア人、主要キャストは米人で脇役のみ仏人が出演した仏米合作の英語映画ですが、仏人が監督したためによりフランスらしさが出ていた映画だったと思います。リュック・ベッソンは作品のスピード感と映像の独創性で人気のある監督ですが、初の伝記映画でしたから、作品への意気込みも違ったかと思います。意外にもフランスでのジャンヌ・ダルクの映像化は少ないようなのですが(1993年に当時の人気女優での映画化ありますが)それは神格化しているがゆえだと思います。畏れ多くて映像化などなかなかできないのかもしれません。それをリュック・ベッソンが映像化したのは規格外の監督だからだと思うのです。

一方でジャンヌ・ダルクを題材にした作品は英語作品が多くあります。だから自然とイギリス人もジャンヌ・ダルクを聖人化しているようなイメージがありますが、実は今でもイギリス人のジャンヌ・ダルクのイメージは悪いとどこかで読んで驚いたことがあります。しかし、考えてみれば戊辰戦争を戦った会津(福島)と萩(山口)は今でもお互いの印象が悪いといいますから、英仏だって印象が悪くても不思議ではないのです。それに英語作品とはいってもだいたいがアメリカ映画であって英映画ではないのです。米人はフランスに憧れているともいいますし、仏が舞台、あるいは原作物、歴史物映画は沢山ありますので、ジャンヌ・ダルクについても作品化が多いのでしょう。当事者ではありませんから扱うのも簡単なわけです。


それになんといっても祖国のために戦う少女という設定の美しさに適うものはありません。とても魅力的ではありませんか。人は美しいものが大好きですし、少女ほど美しいものは世の中にありません。しかもその悲劇性がその美しさを高めています。実際のジャンヌが美しかったかどうかは定かではありませんが、その信仰の強さについては間違いないということで聖人化されているわけですから、もうそれだけで美しくなります。つまり2重の美しさです。


そして最近日本では舞台で、堀北真希さんと有村架純さんがジャンヌ・ダルクを演じていました。劇団☆新感線版ですから通常の話とは違うかもしれませんが、おおまかなストーリーは変わっていないことと思います(多分)。祖国のために戦った少女の話が人気のある女優の主演で舞台化されていたというのは、考えてみたら素晴らしいことなのではないか、と思います。例えフランスの話であろうとも、そういう美しさの共有ができているからそういう題材を扱っているのでしょうから。

 

 


ジャンヌ・ダルクが好きになれば、祖国を思うフランスはいいけれども、祖国を思う日本はおかしい、などということにはならないでしょう。祖国を思うのは世界中の普通の人は誰しもが共通に持つ考え方で、そこに共感できる人はジャンヌ・ダルクに普遍的な魅力を感じるのだと思うからです。


昨年はジャンヌ・ダルクの指輪の話題がありました。こういうニュースが配信されるのも、ジャンヌ・ダルクに人気があることの証です。これはこれからも変わらないことの一つなのではないかと思います。



ジャンヌ・ダルクの指輪か、仏西部テーマパークで公開
AFPニュース2016年03月21日 10:30 発信地:レ・ゼペス/フランス

【AFP=時事】フランス史上最も有名な殉教者ジャンヌ・ダルク(Joan of Arc)のものとみられる指輪が20日、西部バンデ(Vendee)県にあるピュイ・デュ・フー(Puy du Fou)の歴史テーマパークで公開された。

指輪は先月、英ロンドン(London)で開催のオークションに出品され、同テーマパークが37万6833ユーロ(約4700万円)で落札した。この指輪は過去6世紀にわたり、英国にあったという。ただ、指輪の真贋については疑問視する声も上がっている。

約5000人が詰めかけた20日の記念式典では、施設の儀礼兵や士官学校の候補生らが行進した。指輪は専用の木箱に納められていた。

パークの創設者であるフィリップ・ドビリエ(Philippe de Villiers)氏は、フランス国歌「ラ・マルセイエーズ(La Marseillaise)」演奏に先立ち、「指輪がフランスに帰ってきた。そして、ここにあり続けるだろう」と語った。

オックスフォード(Oxford)研究所によると、金メッキが施された銀の指輪は15世紀のものとされる。だが、付随する多くの歴史文献からは、指輪がジャンヌ・ダルクのものであるとは証明されていない。

指輪には、十字架3つが彫られているほか、「イエス-マリア(Jesus-Maria)」を意味する「JHS-MAR」と記されている。これは、1431年に行われたジャンヌ・ダルクの裁判記録と一致している。ジャンヌは法廷で、指輪は両親から贈られたものだと語っていた。

ジャンヌ・ダルクは百年戦争(Hundred Years War)で、イングランドの占領からフランスを守ろうと戦い、火あぶりの刑に処せられた。後にフランスの抵抗のシンボルとなり、カトリック教会(Catholic Church)により後に聖人と認められている。

指輪をめぐっては、その真贋が疑問視されている。その背景にあるのは、数多く出回っている複製品の存在が挙げられる。北部ルーアン(Rouen)にあるジャンヌ・ダルク博物館(Museum to Joan of Arc)は、指輪が偽物である可能性があるとして、先月のオークションに参加していない。


ジャンヌ・ダルクがつけていた伝説の指輪が発見される! 600年ぶりにフランスに返還へ

 

 

 

 

ジャンヌ・ダルクはとても人気のある歴史上の人物ですからこれからも何かの拍子に話題になることでしょう。そんな時は、歴史というヤヌスの鏡に映されたジャンヌの顔を思い出して周りに伝えてほしいと思います。ヤヌスの鏡に映されたジャンヌの顔とは、フランス側からは聖女でありながら、イギリス側からは魔女でありだからこそ火あぶりになってしまい、そして聖女になったということを。立場(国)が変わればその見方は変わるということの証がジャンヌ・ダルクの二つの顔であり、歴史を見る目とはその立場を知って考えることで養われるということをこの事から再確認してほしいのです。

 

歴史の真実とはどちらが正しいかではなく、どの立場(国)にいたかということで解き明かされるもであり、その時見える顔は一つしかないのです。