歴史を振り返って日本についてあらためて学んでいると、ある時ふと気づくことがたまにあってビックリすることがあります。それは別に新しい考え方でもなんでもなくて、元々あった考え方だったりすることが多く、そうかやっぱりこういう考え方があったんだ~と思うわけです。
ただ自分でそこに至ったというのが重要だと考えています。つまりそれが日本、あるいは日本人的思考法に頭が変化している証かと考えています。
もしかしたら、既に誰かが語っていたのかもしれませんし、どこかで読んでいたのかもしれません。しかし、今まで気づかなかったという事は、そこにまで考えいたらなかったということでもあります。潜在的な記憶にしてもなんにしても、一歩前進した証かと自分への励みにしています。
そして先日ふと気づいたことが、御成敗式目に書かれた名言についてです。
何でも大切な事は最初に書かれます。御成敗式目では、第一条は「神社を修理し、祭祀を専らにすべきこと」となります。そしてその後に続くのが以下の文です。
神は人の敬によりて威を増し
人は神の徳によりて運を添ふ
いかなる神も人間の崇敬をうけてこそ、その御威光を輝かすのであり、御神意を高めるのは人の敬の力である。その人が人としての運、人としての生命を与えられるのは、神の徳によってであるという意味です。神道の立場での神と人との密接な関係が的確に述べられている言葉です。
「御成敗式目」は「貞永式目」とも呼ばれ、北条泰時が貞永元年(1232)に評定衆に命じて編纂させた鎌倉幕府の基本法典です。全部で五十一箇条からなっていますが、その第一条です。
私はこの言葉を知った時凄く驚きました。これは神社そのものでもあるかです。もちろん神社には神様が祀られているから当たり前といえば当たり前ですが、神社と人の結びつきは地域を活性化させていることにいろな神社を回る内に気づくようになっていたからです。
神社は人(氏子)によりて威を増し
人(氏子)は神の徳によりて運を添ふ
氏子は地域の事でもあります。神社が敬われている地域は、地域そのものも活性的であるからです。
そして、さらに気づいたこととは・・・・。
これ実は神様を天皇にあてはめると日本そのものの話なのです。
つまり
天皇は人(民)の敬によりて威を増し
人(民)は天皇の徳によりて運を添ふ
ということです。日本ではありませんか。なぜ今まで気づかなかったのだろう!と、自分自身にあきれてしまいました。だからこそ、日本を弱めたい、と考えている人達は、天皇と国民を引き離すためにあらゆることを行っているのだと。
神道には教義もなにもありませんが、だからこそ、色んな人達が自ら考え、こうしたことを書き記してきました。そして、神道は日本そのものの考え方ですから、その考えを天皇にあてはめてもしっくりくるのです。ここで、天皇は神様ではないとか、現人神化するなんておかしい、などと考えているようでは日本的考え方はできません。なにしろ日本は八百万の神の国、あらゆるものが神の国でもあるのです。日本人一人一人が神でもあります。つまり人と神の違いなどほんの些細な事に過ぎません。あらゆる関係は支え合ってできるもの、そうした関係の一つが、神と人というただそれだけのこと。
しかし人間関係ほど難しいものはない、ということはあらゆる人が体験していることでもあります。どんな場所にも関係性ははあるのです。もしかしたら、相手を神と思って対応せよ、ということもあるのかもしれません。
私などはなかなかそこまで達観することはできませんが、置き換えて考えるとそういう心構えをせよということを、神に例えて教えてきたのかもしれない、とも考えられるのです。
先人達の知恵は深いなあとあらためて感謝するのみです。