築地の問題ですが、移転の話が出た時に汚染の話が出ていましたから、再度この話題が出てきたときに今更何を言っているのか?と考えた方多いと思います。それほど記憶のまだ新しい話です。マスメディアはなぜあの時騒がないで今騒いでいるのか?いかにも日本のおかしなマスメディアです。

 

現在、問題がある、あるいは問題はない、と両方の意見が出ていて実際のところどうなのか、まるで福島のような状態になっています。

 

これは竹田さんがおっしゃっているように、基準値の下だろうが何だろうが問題ではないというのが一番わかりやすいことだと思います。つまり、食べ物を扱う場所がそのような得体の知れない場所でいいのか?ということです。

 

そして、これも竹田さんがおっしゃっていますが、一番の問題は江戸時代からの歴史ある地名である築地市場が消滅することです。築地は来日する海外の方々も含め内外の人気の高い場所です。それは築地という特別な地名であると同時に、江戸時代からの歴史ある場所というブランド名なのです。これが移転されれば、築地という生きた市場としての地名が永遠に消えてしまうのです。

 

それでいいのですか?莫大なお金をかけて新しい市場が造られていますし、いずれにしてもこの騒ぎは鎮まり新しい場所に落ち着くと多くの方々が言っていますが、その価値が本当にあるのでしょうか?何百年の伝統と歴史が失われ、ブランド名も消滅するのです。

 

そこで思い出したのが私の母校である小学校です。私の卒業した小学校は、近隣のお寺にあった寺子屋から始まった歴史ある小学校で、百周年の時にはイベントも行われていた学校でした。ところがあるとき地元の友人にその小学校が児童の減少でなくなったと言われがっかりしたのです。しかし児童の減少でしたら時代の流れでしょうがないと考えていたのですが、とてもショックでした。そうしたら、学校はそのまま存在し、合併により全く新しい名前に変えられてしまっていたといたのです。それを知った時、本当に驚きました。古い学校ですから、最初は広範囲から児童が来ていた小学校です。それが時代と共に小学校が増えていったのですが、児童数が減少して合併したというのでしたら、元の形に戻るわけですから名前を変える必要はなかったはずです。ところが、名前を変え別の学校のようにしてしまい、その学校の歴史が終わってしまっていたのです。以前新しい学校名でHPを見つけたのですが、新しい学校としての歴史しかないHPでした。その学校のエリアに長年住み続けた人達も、子供や孫と学校の記憶の共有ができなくなっていたのです。

 

学校というのは、同じ学校に通ったもの同士の共有が出来る場所です。よく同窓の者同士で仲間になったり、先輩後輩での引き立て合いが言われますが、それは赤の他人同士だけの話ではありません。肉親同士でも同じ学校に通ったことの共有が出来る場所です。そして小学校はその土地に入る限り誰でも共有できる場なのです。合併により吸収される方の小学校の名前は消えてしまいますが、吸収元となる私の母校側の人達だけでも母校の名前の共有が親子の二代や三世代でできはたずなのです。しかし、合併したからと新しい学校名にしてしまうことで、そういう共有できたはずの人達もできなくなったのです。

 

イギリスでは名門校イートン校に通う子供達は先祖代々イートン校に通うという伝統の共有があると聞きます。そうすると誇りを持って、子供達も学校に通うのだと。歴史がある学校こその伝統だと思いますが、私の母校はそういう伝統が奪われたわけです。地元で反対の話が出なかったのか?と思うと本当に残念です。

 

 

学校がなくなるというのはこういうことではないのか?

 

 

そしてふと思ったのが、こういうことは日本中で起きている伝統の断絶ではないのか?ということ。例えば市町村合併等などで沢山の地名が消えたり、新しい地名が登場したりしています。

 

 

 

でも名前というのは、歴史あるものでその使われてきたことに意味があることが多いものです。上記の動画の人々は長年使われてきた名前に愛着があり、その名前を子孫にも伝えたいと願っていました。しかし愛着だけではないのです。ここ最近では自然災害の度に土地の名前が警告することに気づく人達が増えるようになってきました。昔の人達は子孫たちへの警告の為の名前を地名に付けていたのです。ところがそのせっかくの命名を、子孫たちが考えなしに簡単に変えてしまっていることが多く、それが災害被害に結びついていることが多いのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私達は自分の名前を簡単に変えたりはしません。明治時代になるまで、日本では古来から、名前を沢山持っている人は当たり前にいました。しかし大本の名前はきちんと持っていたのです。なぜなら、名前は大切なものだからです。大切なものだから、秘密にされることも多く公式な書類の記載がない人の本名が分からないことも普通でした。だから紫式部も清少納言も本名がちゃんと伝わってはいません。名前はそれほど大切なものなのです。それほど大切な名前です。その土地に住む人々に深く関わりがある地名に意味がないはずがありません。そんな土地の名前を、簡単に変えてはいけないのです。

 

 

住居表示に関する法律にはこのように書かれています。

第5条(町又は字の区域の合理化等)

1 街区方式によって住居を表示しようとする場合において、街区方式によることが不合理な町又は字の区域があるときは、できるだけその区域を合理的なものにするように努めなければならない。

2 前項の規定により新たな町又は字の区域を定めた場合には、当該町又は字の名称は、できるだけ従来の名称に準拠して定めなければならない。これにより難いときは、できるだけ読みやすく、かつ、簡明なものにしなければならない。

 

 

日本全国にある異様なカタカナの地名やいかにも最近できたようなお花畑な地名は、法律違反ということになるのでしょうか?しかしこのような法律があるのに、上の動画のように苫小牧市では、この法律に従わない条例があるところもあるわけですから、この違和感のある日本らしくない名前やお花畑の名前はそれに従って命名されたのでしょうか?新しい土地に夢を抱いて移り住んだ人達が、自然災害が起きた時に何らかの被災をしないことを願うばかりです。

 

 

築地市場、小学校、地名、と全然違うもののように思えるかもしれませんが、名前を守る、ということには伝統の維持という役割があり、それは私達の財産になるものなのです。築地市場の名前には、ブランドという価値があります。小学校には地元の共有の記憶や歴史という価値があります。そして、地名には安全という価値があるのです。それは素晴らしい財産ではありませんか?

 

 

私達は名前というものにもっと注目し、考えなくてはいけないと思います。そして、そのような伝統を破壊しようとする勢力には抵抗していかなくてはいけないと思うのです。

 

 

私達は無頓着に、伝統の破壊やおかしな名前をつけることを許してきてしまっていますが、もう一度伝統の維持や名前の継承について考えた方がいいのではないかと思います。そしてこうしたことを共通認識としていくのも、今を生きる私達の務めではないかと思うのです。