明治時代は間違いも多かったのですが、世界全体からすればとても偉大な時代でした。それを私が知ったのは海外の国々でいかにその歴史を教えられてきたかを知ったことからでした。


そして残念ながらそういうことを一番知らないのが私を含めた日本人であることも、その時知ったのでした。


というのも私がそういうことを知ってから、10年経っていないのです。学校はもちろん、どこでもそんなことを知ることはできませんでした。私が知ったのは、まだ歴史の学び直しを始める前、たまたま歴史のエピソードを集めた本で知ることができました。しかしその当時は、その重要性には実は気付いていませんでした。


これは日本人が戦後ちゃんとした学びを与えられてこなかった結果です。人によっては明治以降というかもしれません。しかし、明治以降はそれでもちゃんと学んでいました。


大東亜戦争時、まだ若い兵隊がもし米兵が日本本土に上陸したならば、アメリカ大陸で多くの文明を滅亡させその民を潰滅に追いやった白人達が、日本人にどんなことをするか分からない、と後世の人からみれば馬鹿げているとみえる作戦に志願することになったのは、ちゃんと学んでいたからです。


でも、馬鹿げているとみえるのはそう教育されてしまったからで、実際は馬鹿げていません。むしろ多数の文明を滅亡させたことを学んでいながら、それが日本にも起きえた事とは考えたことが一度もなかった自分の思考力のなさの方が馬鹿げています。


そして、その馬鹿げた作戦こそが、この民族は侮れないと、その後の終戦後の占領時の政策には少しでも有利に働いたといいます。占領政策で骨抜きにされたといいますが、例えばアジアの植民地であった国々には旧宗主国であった国々が戻ってきて独立戦争となっているのです。それを考えれば、日本が植民地にならなかったのは、死をかけて戦ってくださった方々のお陰なのは明らかです。


また大陸にいた兵隊で教養のあった者は、大陸の民族の非常時の残虐性を知っていましたから、隙のないように心構えいざというときの行動も周りに伝えていたといいます。


その残虐性、それは現代においても変わっていないのは、チベットやウイグル問題他からも明らかです。


勉学というものは、実学にならなければ意味がありません。そして歴史も実学の一つなのです。試験のための勉強は本末転倒です。それを学ぶことにより、似たような状況での対処法を考えたり、同様の状況に陥らないよう防ぐようにする、それが歴史を実学として学ぶということのはずです。


日本で現存する、一番古く書かれた書物は古事記と云われています。この古事記は1300年以上前に編纂されたものです。


この古事記がなぜできたのかは、その序文に書かれています。序文は三つに分かれ、簡単な古事記の内容や編纂の経緯、成立の過程が書かれています。


重要なことは一番目にあるものです。古事記の序文は、古事記で一番大切なことはその内容だ、といってるのです。そして、その最後に「稽古照今」と書いています。


稽古照今とは「過去に学んで今の世の指針を見いだす」ということです。だから、過去に学ぶために古事記の内容が重要だというわけです。


そして、編纂の経緯では、天武天皇の言葉が記されているのですが、その後半はこうです。「帝紀や本辞は、我が国の起源由来と先祖が国土経営を重ねてきた大本である。ゆえに帝紀を撰録し、旧辞を究め明らかにして偽を削り真実を定めて後世に伝えたい。」


古事記の序文は、繰り返し歴史を教え学ぶように伝えているのです。


古事記を読むと、こんなことまで書いちゃっていいの?ということも書かれています。それは後世の人が学び考えるためには、真実を伝えなければ意味がないからです。古事記について事実ではないとか、日本書紀も含め編纂が入った時点でもう歪曲されているという人がいますが、古事記の編纂を最初に言い出した天武天皇の時点で既に古事記記載の最後の推古天皇は三世代ほど前の時代です。


現代はもっと長く働きますが、とりあえず60才を仕事の一区切りにして、約40年は最低でも働きますから、成人までの20年を差し引いて、また後継者への引き継ぎの時代も考えると30年が世代周期になるかと思います。


戦後70年三世代目が中心の世の中となり、戦中世代でちゃんと語れる方々がわずかになった現代どうなっていますか?事実を伝えていくことは本当に難しい。それが異なった価値観ではなおさらです。


古事記はそこのところがよくわかっていて、当時の現代に近づくラストにいくほど記載項目が簡略化していきます。そして、過去については口伝の力も大きかったでしょうから、伝えられていくうちに変わったところもあったかもしれないが、それでも残ったものとは、必ず伝え継ぎたいと残った真実だと思います。


黒澤明の傑作映画「羅生門」は、見る人により、あるいは語り手により、一つの事件が、様々な面となって語られ実際に起きたことが分からない、というストーリーでした。この映画は東京裁判後1年半後の公開なので、東京裁判の影響があって作製されたものだと思います。ドキュメンタリー映画ではありませんが、この映画は当時の状況の真実を物語っていて、それを無意識に世界が認めた映画なんだと思います。


東京裁判直後にこういう映画が製作され、しかも世界中で評価されていることの意味をもっと日本人は考え、またこの映画の素晴らしさを映画を実際に見て自ら考えるべきです。


ところで最近、古事記を扱った漫画や子供用の本など沢山出るようになりました。それはそれで喜ばしいことですが、しかし残念なことに、神代の時代で終わってしまうことが多いのはもったいないことです。


これは日本での歴史教育が最も現在に影響を与え密接に繋がっている近代からぐだぐだになるのと同じです。


日本は世界中で唯一神話から繋がる国です。せめて日本書紀と比較すれば短く、しかも国外向けに作られた(日本書紀)のではなく国内向けに作られたといわれる古事記ぐらい全部作りましょうよ。きっと続きがあるのなら読みたい!!と思うはずですから。


それに神武天皇からの天皇の時代をみていくと、古代から日本が周辺国と関わって来ているのが分かります。いえ神代の時代から読み解く人もいます。


歴史をちゃんとみていけば、古事記以降も様々な時代に、日本と大陸、特に半島の歴史は交差し日本の先人達がいかに対応していたか、またいかに迷惑を被っていたのかもわかりますから、その対応方法もそこから学べたはずです。


さて今話題の世界遺産問題。外務省の職員はもちろん、ユネスコの日本人職員、また日本各地の世界遺産のため動いていた方々が、もっとちゃんと歴史を学び毅然としていれば、このような結果にはならなかったのではないでしょうか。


終戦前までの先人達は、毅然としていたと思います。もちろん失敗もありますが、基本毅然と対応するのが前提としてありました。ところが戦後そういうことがなくなってしまったのは、教育によるところでしょう。


戦後、私達は先人達の道を沢山汚してきました。それは主に昭和の時代、親や祖父母の時代です。しかし、今回明治といえばそれよりも前の世代ですから昭和よりも完全に歴史の彼方の時代です。旧い世代になればなるほど、いったんついた汚名を消すのは大変です。そんな汚名を一時の迷いで誘い込んでいいはずがありません。


慰安婦問題は、最初に毅然と対応しなかったがために今のような状況になっています。最初に毅然と対応しなかった世代の子供の世代が外交で苦労し、孫の世代は海外でいじめられるばかりか、日本国内で起きている事件も実は潜在的に影響を与えており、孫の世代までが巻き込まれているというのです。



今回のことが、将来に与える影響恐ろしくありませんか?


過去を汚すことは未来を汚すことになり、一番迷惑するのは現在をやり過ごした世代の後の世代となるのです。未来に課題をつくっていいのですか?


私達一人一人が知識をきちんと学び毅然と対応出来るようにしなければなりません。




写真は、熱田神宮の清雪門です。


この門は、日本書紀に記載された天武天皇の時代に起きた草薙剣盗難事件の際に、新羅に向かっていた僧が通り、その後空かずの門となりました。


何故この立て札には曖昧なことしか書かれていないのでしょうね。草薙剣といえば三種の神器ですから、大事件です。


新羅に向かっていた僧が起こした事件です。歴史をみていくと、民族の本質が本当に昔から変わらないことが分かります。


ちなみにこの草薙剣は、無事熱田神宮に戻り、それを喜んだ酔笑人神事(オホホ祭り)が毎年行われています。