こんにちは。
今日も、いい天気ですね。
みなさんは、
お昼ごはん、
どうしていますか。
ちゃんと、
お料理を作っているでしょうか。
それとも、
外食で済ませているでしょうか。
私はですね。
今日の、
お昼ごはんのとき、
ちょっとした、
選択を迫られました。
それは、
本当になんでもない、
小さな選択です。
でも、
その選択が、
思いがけない結果を招くことになったのです。
今日は、
そのことについて、
少しお話しさせてください。
たとえば、
お昼の時間というのは、
あっという間にやってきます。
気がついたら、
時計の針が、
お昼の十二時を回っている。
そういう経験、
ありませんか。
朝からずっと、
洗濯をしたり、
掃除をしたりしていると、
時間は、
飛ぶように過ぎていきます。
「あれ、
もうこんな時間。」
そう思って、
慌てて冷蔵庫を開ける。
そんな毎日を、
送っている方も、
多いのではないでしょうか。
私もまさに、
その一人です。
今日の午前中も、
バタバタと動き回っていました。
あっちを片付け、
こっちを拭き、
気がつけばお昼です。
お腹が、
ペコペコに空いていました。
「ごはんを作らなきゃ。」
そう思ったのですが、
ふと、
考えてしまったのです。
ここで、
ちゃんと料理をするのは、
少し面倒だな、と。
野菜を切って、
火を使って、
あとでフライパンを洗って。
そう考えただけで、
なんだか、
エネルギーが切れてしまったのです。
そこで、
私は一つの決断をしました。
今日は、
『ラク』をしよう。
そう思ったのです。
ここで、
問題になるのが、
『ラクをする』
という行為の意味です。
楽をするというのは、
手抜きをすることでしょうか。
それとも、
自分への、
ちょっとしたご褒美でしょうか。
おそらく、
人によって、
その捉え方は違うと思います。
でも、
今日の私にとっては、
それは間違いなく、
『救済』でした。
棚の奥を、
探してみました。
そうすると、
そこには、
一くんの救世主が眠っていたのです。
そう、
カップラーメンです。
お湯を注ぐだけ。
三分待つだけ。
なんて、
素晴らしいシステムなのでしょうか。
人類の知恵の結晶が、
そこにはありました。
私は、
迷うことなく、
そのカップラーメンを手に取りました。
「今日は、これにしよう。」
そう心に決めて、
お湯を沸かし始めたのです。
お湯が沸くまでの時間。
あの、
ポットの音を聞いている時間。
少し、
ワクワクしませんか。
私は、
そのカップラーメンのフタを半分まで剥がし、
付属の小袋を取り出し、
お湯を注ぐ準備を整えました。
電気ケトルから、
勢いよくお湯が注がれます。
じょー、
という音が、
静かな部屋に響きます。
規定のラインまで、
お湯を入れました。
そして、
フタの上に、
先ほどの小袋を乗せます。
ここから、
三分間のカウントダウンが始まるのです。
でも、
ここで、
私の悪い癖が出てしまいました。
「三分待つ間に、
ちょっとだけ、
スマホを見よう。」
そう思ってしまったのです。
これが、
すべての悲劇の始まりでした。
スマホを開き、
SNSの画面をスクロールする。
誰かの投稿を眺め、
「いいね」を押し、
面白い動画を一本見る。
その間にも、
時間は流れていきます。
でも、
人間の集中力というのは、
恐ろしいものです。
面白いものを見ていると、
時間の感覚が、
すっかり消えてしまうのです。
「あれ、
今何分経っただろう。」
ふと、
現実に引き戻されたとき、
私の手元には、
何があったでしょうか。
スマホの画面を見たまま、
私は、
ハッとしました。
時計を見ると、
お湯を入れてから、
ゆうに十分以上が経過していたのです。
「えっ……!?」
私は、
思わず声を上げてしまいました。
慌てて、
カップラーメンのフタをめくりました。
そこにあったのは、
私が想像していた、
美味しそうなラーメンではありませんでした。
スープが、
完全に消えていたのです。
麺が、
すべての水分を吸い尽くしていました。
スープはどこへ行ったのか。
麺が、
もこもこと膨れ上がり、
まるで、
巨大なスポンジのようになっていたのです。
これは、
スゴイことになりました!!
麺というよりも、
もはや、
『謎の生命体』のようなものが、
そこには鎮座していました。
箸を入れてみようとしましたが、
箸が刺さりません。
麺がガチガチに固まっていて、
スープという概念が、
地球上から消え去っていたのです。
私は、
ぼうぜんと立ち尽くしました。
「ラクをしようと思ったのに……。」
心の中で、
そうつぶやきました。
ここで、
いったい、
何が起きたというのでしょうか。
問題は、
『油断』ということです。
人は、
ちょっとした手抜きをしようとするとき、
必ずと言っていいほど、
油断を生み出します。
「これくらい、大丈夫だろう。」
「少し目を離しても、平気だろう。」
そうやって、
自分のなかの警戒心を、
緩めてしまうのです。
そして、
その緩みが、
想像もしなかった結果を引き起こす。
今回の場合で言えば、
それは、
『汁なし超吸水麺』の誕生でした。
でも、
ここで諦めるわけにはいきません。
せっかくのお昼ごはんを、
無駄にするわけにはいかないのです。
私は、
意を決して、
その巨大な塊に向き合うことにしました。
箸で、
無理やりほぐそうと試みます。
しかし、
麺は完全に一体化しており、
びくともしません。
まるで、
コンクリートのように固まっているのです。
「これは、
どうしたものか……。」
私は、
途方に暮れました。
スープがないなら、
足せばいいのではないか。
そうひらめいたのです。
私は慌てて冷蔵庫からお水を出し、
さらに、
お湯を沸かし直しました。
そして、
その膨れ上がった麺の上に、
熱々のお湯を、
もう一度注ぎ込んだのです。
どうなるでしょうか。
普通のラーメンに戻るのでしょうか。
それとも、
ただのドロドロの小麦粉の塊になるのでしょうか。
結果は、
もちろん後者でした。
お湯を足したところで、
一度スープを吸い尽くした麺が、
元のシャキッとした状態に戻るはずがありません。
それは、
ラーメンというよりも、
もはや、
『離乳食』のような、
不思議な食べ物になってしまいました。
でも、
お腹は空いています。
作ってしまった以上、
食べるしかありません。
私は、
その謎の塊を、
恐る恐る口に運んでみました。
すると、
どうでしょう。
味は、
一応、
そのラーメンの味がしました。
でも、
食感が、
まったくありません。
噛む必要がないのです。
口に入れた瞬間、
とろけていく。
歯を使わずに、
飲み込めてしまう。
これは、
ラーメンを食べたと言えるのでしょうか。
それとも、
別の何かを摂取したということなのでしょうか。
私は、
深い思考の海へと、
沈んでいきました。
ここで、
話しを少し大きくさせてください。
この、
「カップラーメンをふやかしてしまった事件」というのは、
単なる、
私のうっかりミスです。
でも、
よく考えてみてください。
私たちの人生も、
これと似ているのではないでしょうか。
私たちは、
日々の生活の中で、
できるだけ「ラクをしたい」と願います。
難しい問題から目を背け、
面倒なことから逃れ、
手っ取り早い方法を選ぼうとする。
それは、
決して悪いことではありません。
むしろ、
現代社会を生き抜くためには、
必要な知恵なのかもしれません。
でも、
その「ラクのしすぎ」や「油断」が、
気がつかないうちに、
私たちの周りの大切な何かを、
すべて吸い取ってしまうことがあるのです。
気がついたときには、
手遅れになっている。
スープがなくなっている。
形が、
すっかり変わってしまっている。
そういうことって、
人生のあちこちに、
潜んでいるのではないでしょうか。
仕事でも、
人間関係でも、
健康管理でも。
「あとでやろう」
「ちょっとくらい目を離しても大丈夫」
そう思って油断した結果、
取り返しのつかない事態を招いてしまう。
今日の私のランチは、
まさに、
その縮図だったのです。
そう考えると、
あのドロドロになったラーメンは、
私に何かを教えてくれていたのかもしれません。
これは、
単なる失敗ではありません。
人生の教訓なのです。
本当に、
スゴイ気づきを得てしまいました。
お昼ごはんで、
ここまで深い哲学に到達するとは、
自分でも思っていませんでした。
だからこそ、
私たちは、
日々の生活の中で、
どんなに小さなことであっても、
油断してはいけないのです。
カップラーメンを作るその瞬間も、
スマホを見るその瞬間も、
常に、
『今、ここ』に心を向けなければならない。
そうしないと、
いつの間にか、
スープのない人生を歩むことになってしまう。
大げさに聞こえるかもしれません。
でも、
私は本気でそう思ったのです。
今日のランチは、
想像以上に、
重い意味を持ってしまいました。
結局、
そのドロドロになったラーメンは、
最後まで美味しく(?)いただきました。
お腹はいっぱいになりましたが、
心には、
なんとも言えない複雑な余韻が残りました。
明日は、
もっと時間に余裕を持って、
ちゃんとしたお昼ごはんを作ろうと思います。
いや、
もしかしたら、
また同じ失敗を繰り返してしまうかもしれません。
人間とは、
それほど弱い生き物なのです。
でも、
それでいいのだと思います。
失敗して、
反省して、
また明日を生きる。
それが、
私たち人間の、
生き様なのだから。
明日のお昼は、
何を食べようか。
今から、
少しだけ、
考えておこうと思います。
今度は絶対に、
スマホを見ずに、
三分間を、
そのラーメンと一緒に過ごす。
そう心に誓いながら、
今日のブログを、
終わりにしたいと思います。
みなさんも、
カップラーメンを作るときは、
くれぐれも、
お気をつけくださいね。
時間は、
あっという間に、
過ぎていってしまうのだから……。
少し、
話は変わりますが、
みなさんは、
普段の生活の中で、
『時間』というものを、
どう感じているでしょうか。
一日が、
あっという間に終わってしまう。
そう感じることは、
ないでしょうか。
朝起きて、
仕事をして、
帰ってきて、
気づけば夜になっている。
まるで、
猛スピードの電車に乗っているかのように、
景色がどんどん後ろへ流れていく。
そんな感覚を、
覚えたことはないでしょうか。
実は、
これはとても面白い現象なのです。
では、いったい、
なぜそう感じるのでしょうか。
理由は、
私たちの心の中にあります。
ここで、
少し考えてみてほしいのです。
私たちは、
目の前のことに対して、
どれくらい『心』を向けられているでしょうか。
さきほどの、
カップラーメンの話を思い出してみてください。
お湯を入れてからの三分間。
私は、
スマホの画面に夢中になっていました。
時間は確かに、
時計の針どおりに、
同じ速さで進んでいたはずです。
でも、
私の感覚の中では、
その時間は存在していませんでした。
ただ、
気づいたら三分が経っていた。
それだけなのです。
そう考えると、
面白いことが見えてきます。
時間は、
時計が刻むものではありません。
私たちが、
どう感じたか。
そこに、
どれだけ自分の存在があったか。
それが、
時間を形作っている。
つまり、
こういうことです。
『時間を味わう』
ということなのです。
もっとも、
私たちは忙しい毎日を生きています。
四六時中、
目の前のことに集中し続けるなんて、
不可能です。
そんなことをしたら、
脳がパンクしてしまいます。
だから、
ぼーっとする時間も必要だし、
スマホを見ながら何かを食べることも、
時には大切な息抜きなのです。
否定しているわけでは、
ありません。
むしろ、
そういう不完全な私たちだからこそ、
愛おしいのだと、
私は思うのです。
でも、
ふと立ち止まる瞬間があってもいい。
そう思うのです。
たとえば、
今夜、
温かいお風呂に入ったとします。
そのとき、
お湯の温かさを、
ただ感じてみる。
「あぁ、気持ちいいな。」
そう心の中でつぶやいてみる。
それだけで、
日常の景色は、
少しだけ色を変えるのです。
『日常のなかの奇跡』
と呼ぶには、
ちょっと大げさかもしれません。
でも、
それに近い何かが、
確実にそこにはあるのです。
そう、
特別な場所に行かなくてもいい。
特別な何かを成し遂げなくてもいい。
ただ、
目の前にある一杯のラーメンと向き合うように。
目の前にある、
小さな出来事と向き合う。
それだけで、
私たちの『生命状態(せいめいじょうたい)』は、
少しずつ豊かになっていくのです。
これは、
スゴイことです!!
自分が、
自分の人生の主人公に戻る瞬間。
それが、
日常のあちこちに転がっている。
そう考えると、
明日からの毎日が、
少しだけ楽しみになりませんか。
もちろん、
またすぐに忘れてしまうでしょう。
またスマホを見ながら、
ラーメンをのびさせてしまうかもしれない。
それは仕方のないことです。
人間だもの。
完璧になんて、
生きられません。
でも、
思い出したように、
また立ち止まればいい。
「あ、今の時間はもったいなかったな。」
そう気づけたなら、
それだけで大正解なのです。
失敗して、
笑って、
また日常に戻る。
その繰り返しの中にこそ、
私たちの本当の人生が、
あるのだと思います。
だからこそ、
今日の失敗のカップラーメンは、
私にとって、
最高に価値のある一杯だったのです。
お腹も心も、
いろんな意味で満たされました。
さて、
長々と語ってしまいましたが、
そろそろ、
今日のブログを本当に終わりにしようと思います。
みなさんは、
今日の残り時間を、
どんなふうに過ごすでしょうか。
どうか、
あなただけの時間を、
あなたらしく、
味わい尽くしてくださいね。
時計の針の音ではなく、
自分の心の音を聞きながら。
ゆっくりと、
深呼吸をして。
明日もまた、
それぞれの場所で、
素敵な時間を重ねていきましょう。
それでは、
また。