みなさん、
こんばんは。
今日も一日、
本当にお疲れ様でした。
突然ですが、
聞いてください。
実は、
昨日のお風呂の時間に、
ちょっとした、
事件が起きたのです。
事件と言っても、
殺人事件とかではありません。
もっと、
身近な問題です。
それは、
『ボディソープの消滅』
という事件でした。
もう、
お分かりかもしれません。
そう。
お風呂に入ろうと、
服を脱いで、
シャワーを浴びて、
いざ、
体を洗おうと思ったその時です。
目の前にあるはずの、
ポンプ式の容器が、
なんだか、
妙に軽いのです。
押しても、
押しても、
何も、
出てこないのです。
これは、
一体どういうことでしょうか。
頭の中が、
一瞬で真っ白になりました。
お湯は出ているのに、
肝心の洗うものが、
ないのです。
完全な、
密室状態の浴室です。
逃げ場は、
ありません。
あぁ、
やってしまった。
私は心の中で、
そう叫びました。
ここで、
少し考えてみます。
私たちは、
普段の生活の中で、
いかに当たり前に、
日用品を使っているでしょうか。
ボディソープがあって、
シャンプーがあって、
歯磨き粉があって。
それらが、
そこにあることが、
あまりにも、
自然すぎて、
なくなった時のことなんて、
誰も考えません。
つまり、
私たちは、
『日常の豊かさ』
という名の幻影の中に、
生きているということです。
そう考えると、
今回のボディソープの消失は、
単なる買い忘れではありません。
もっと深い、
意味を持っているのです。
ここで、
話しは少し変わりますが、
昔の人は、
どうしていたのでしょうか。
昔の人というか、
石鹸しかなかった時代のことです。
固形の石鹸で、
顔も体も、
髪の毛まで洗っていた時代が、
ありましたよね。
そう。
『固形石鹸』
という、
素晴らしい発明品です。
では、
現代の私たちはどうでしょうか。
すべてが液体になり、
ワンプッシュで、
泡が出てくる。
便利になりました。
本当に、
便利な世の中になったものです。
でも、
その便利さと引き換えに、
私たちは、
何か大切なものを、
忘れてしまったのではないでしょうか。
それは、
何でしょうか。
問題は、
ここからです。
液体がなくなったからといって、
裸のまま、
外に買いに行くわけにはいきません。
外は、
真冬の寒さです。
そんなことをしたら、
それこそ大事件です。
では、
どうしたのか。
家にあったのは、
洗顔用のチューブです。
顔を洗うための、
ちょっとお高めのフォームです。
選択肢は、
それしかありませんでした。
私は、
震える手で、
その洗顔フォームを手に取り、
体に塗りたくったのです。
顔用ですから、
当然、
泡立ちも違います。
香りも、
なんだか高級なローズの匂いがします。
顔だけじゃなくて、
全身からローズの香りがする大人。
それはそれで、
スゴイことです!!
でも、
やっぱり、
もったいないという気持ちが、
消えません。
高級な洗顔料で、
足を洗っている自分。
なんだか、
シュールな光景です。
一人で、
お風呂場で、
「私は何をやっているんだろう…」
と、
遠い目をしてしまいました。
そう考えると、
私たちの生活というのは、
こういう小さなハプニングの連続なのだと思います。
予測できないことが起き、
その場しのぎで対応し、
そして、
また日常に戻っていく。
ボディソープ一本の買い忘れから、
人生の哲学について考えてしまうなんて、
我ながら少し大げさかもしれません。
でも、
こういう些細な出来事の中にこそ、
生きるヒントが、
隠されているのではないでしょうか。
明日になれば、
また新しいボディソープを買えばいいのです。
ドラッグストアに行けば、
山のように積まれています。
ありがたいことです。
本当に、
ありがたい世の中です。
次に買うときは、
絶対に、
詰め替え用も一緒に買おうと、
心に誓いました。
自分だけではありません。
家族の分も、
予備を買っておこうと思います。
そして、
その小さな備えが、
きっと、
自分の心をも、
穏やかにしてくれるのです。
小さな安心が、
次の小さな幸せを呼ぶ。
そう信じています。
だからこそ、
今日のこの失敗も、
無駄ではなかったと言えるでしょう。
明日も、
平和な一日でありますように。
そんなことを、
お風呂上がりの温かいお茶を飲みながら、
ぼんやりと考えた夜でした・・