昨日、久しぶりに100円ショップへ行ってきました。
目的は、ただ一つ。
「キッチン用のスポンジ」
それだけを買うつもりだったんです。
本当に、それだけの予定でした。
けれど、お店の自動ドアをくぐった瞬間。
なんだか、空気が変わるような気がしたんです。
お店の中に充満する、あの独特の、キラキラした雰囲気。
ワクワクするような、魔法の空間。
そんな感覚に、飲み込まれてしまったのかもしれません。
皆さんも、経験ありませんか?
「あ、これ便利そう」
「これがあれば、生活が良くなるかも」
そんな風に、思ってしまう瞬間です。
実は、100均というのは、
単なる小売店ではありません。
ある種の、
『欲望の美術館』
と言えるかもしれません。
手に取ったのは、スポンジだけじゃありませんでした。
気がつけば、カゴの中には、
見たこともない形のシリコン調理器具。
あるいは、どこで使うのかよく分からない、
オシャレな英字がプリントされた収納ケース。
さらには、なぜか惹かれてしまった、
うさぎの耳がついたスマホスタンドまで。
結局、お会計は、
予定の十倍以上になっていました。
レジの店員さんが、
淡々と商品のバーコードを読み取っていく音。
その音が、なんだか自分の「無駄遣い」を、
宣告されているような気がして。
少し、心が痛みました。
でも、同時に思ったんです。
「この買い物は、本当に失敗だったのだろうか?」
と。
では、いったい、
なぜ私たちは100均で散財してしまうのでしょうか?
それは、そこに『可能性』を感じるからです。
「この道具があれば、料理上手になれるかもしれない」
「このケースを使えば、部屋がスッキリ片付くかもしれない」
私たちはモノを買っているようで、
実は「変われるかもしれないという未来」を買っているのです。
これを、心理学的な言葉で言うなら、
『自己変革の錯覚』
(自分を簡単に変えられると勘違いすること)
と呼べるかもしれません。
もっとも、スポンジ一つで人生が変わるはずもありません。
ですが、そう信じたい自分もいる。
そこが、面白いところなんだと思います。
そう考えると、
あの100均のレジで感じた「痛み」は、
実は「希望」の裏返しだったのかもしれません。
少し、話を広げてみます。
これは、日常生活の些細な出来事ですが、
もっと大きな視点で見ると、どうなるでしょうか。
私たちは日々、いろいろな選択をしています。
何を食べるか。
どの道を通るか。
どんな服を着るか。
そのすべてに、
自分の「理想」が投影されているのではないでしょうか。
つまり、
私たちが選ぶ一つひとつの小さなモノ。
それは、
『自分という人間』
そのものを、表現しているのです。
そう考えると、
今日買った「うさぎのスマホスタンド」も、
ただのゴミではありません。
「自分を少し可愛く見せたい」
「遊び心を忘れたくない」
そんな、自分自身の『本音』を、
象徴しているものなのかもしれません。
スゴイことだと思いませんか!!
たかだか100円の買い物にも、
これだけの物語が隠されているんです。
問題は、ここからです。
では、いったい、
どうしたらいいのでしょうか?
モノを買うたびに、
「これは自分を投影しているか?」
なんて、いちいち考えていたら疲れてしまいますよね。
けれど、少なくとも、
自分のカゴの中身を眺めて、
「なぜ自分はこれを選んだんだろう」と自問してみる。
その時間は、とても大切なんだと思います。
そうすれば、無駄な買い物さえも、
自分を知るための『鏡』になるからです。
結局、家に帰って、
スポンジと大量の「謎の雑貨」を並べました。
夫には、案の定、
少し呆れた顔をされました。
「そんなに買って、どうするの?」
そう言われて、私は答えました。
「これは、未来の可能性だよ」
ちょっと、格好つけすぎましたかね。
でも、本当にそう思っているんです。
そう考えると、買い物とは、
非常に哲学的で、かつ情熱的な行為だと言えるでしょう。
これからは、もう少しだけ、
自分の中の「衝動」と仲良く付き合っていこうと思います。
だって、そうやって選んだモノたちが、
いつか私の日常を、少しだけ明るくしてくれるかもしれないのですから。
たとえそれが、
結局一度も使わなかった、
うさぎのスタンドだったとしても。
それもまた、一つの経験です。
自分を知るための、
大事な経験。
そう考えると、
買い物なんて、いくら失敗してもいいのかもしれません。
いや、失敗なんてないのかもしれませんね。
すべては、
『今の自分』
を形作るための、ピースなのだから。
・・
明日からは、もっと堂々と買い物に行こうと思います。
もちろん、予算は考えつつ、ですけれど。
本当に、不思議なものですね。
たった一度の100均が、
こんなにも深い思考へと連れて行ってくれるのですから。
皆さんも、次に100均へ行ったときは、
ぜひ、自分が「何」を選んでいるのかを、
観察してみてください。
そこに、驚くような『自分』が、
隠れているかもしれませんよ。
だからこそ、
買い物はスゴイのです!!
もちろん、買い物そのものがスゴイのであれば、
その買い物をする「場所」そのものは、どうなのでしょうか。
たとえば、
近所のコンビニを想像してみてください。
深夜のコンビニです。
煌々と光る照明に、
きれいに整頓された棚。
そこには、
どこにでもあるはずの、
ありふれた商品が並んでいます。
でも、
ふと立ち止まってみると、
不思議な感覚に陥ることはありませんか。
「ここにあるのは、本当にただのモノなのだろうか」
そう、感じてしまうのです。
この棚に並んでいるのは、
たんなるおにぎりや、
飲み物だけではない。
誰かが、
一生懸命に考えた、
『答え』の集合体なのではないか。
そう考えると、
急に景色が変わって見えてくるから不思議です。
パッケージのデザイン。
手に取りやすい重さ。
つい買いたくなる価格。
それらすべてに、
誰かの意志が働いています。
もっと言えば、
その人の「願い」すら込められている。
「誰かを喜ばせたい」
「少しでも生活を楽にしたい」
そんな小さな願いが、
コンビニの棚というキャンバスに、
描き出されている。
そう思いませんか。
では、いったい、
その願いはどこから来るのでしょうか。
それは、
おそらく、
「欠乏(けつぼう)」です。
何かが足りない。
何かが、
うまく満たされていない。
そんな、
人間なら誰しもが抱える、
『空白』
その空白を埋めるために、
私たちはモノを作り、
モノを買い、
モノを贈るのです。
もっと言えば、
私たちは「欠けていること」を埋めるために、
この世界で生きていると言ってもいいかもしれません。
少し、大きな話になってきましたね。
でも、
これこそが、
私たちが買い物という行為に、
これほどまでに魅了される理由なのかもしれません。
私たちは、
レジでお金を払うとき、
単にモノを手に入れているわけではありません。
『未来の自分』
を、買っているのです。
「これがあれば、明日はもっと楽しくなる」
「これを使えば、少しだけ昨日よりマシになれる」
そうやって、
自分自身の空白を、
一つひとつ埋めようとしている。
それは、
とても健気(けなげ)な行為だと思いませんか。
滑稽(こっけい)かもしれません。
どれだけ買っても、
どれだけ積み上げても、
完璧に満たされることなんて、
本当はないのかもしれない。
それでも、
私たちは明日を夢見て、
棚の前に立ち続ける。
「次は、何を選ぼうか」
「次は、どんな自分になろうか」
そうやって、
自分を更新し続けているのです。
そう考えると、
コンビニの冷たい照明も、
なんだか温かく見えてくるような気がします。
そこにあるのは、
人間の、
尽きることのない『希望』そのものだからです。
だからこそ、
買い物は、
たんなる消費活動などではない。
自分自身という、
未完成な物語を書き換えるための、
尊い儀式なのです。
・・
では、いったい、
私たちは何を目指しているのでしょうか。
最終的に、
どんな自分になれば、
「もう十分だ」と言えるのでしょうか。
問題は、ここからです。
もし、すべての空白が埋まったら。
もし、何も欲しくなくなったら。
それは、
本当に幸せなことなのでしょうか。
あるいは、
それは終わりを意味するのかもしれません。
人間は、
「足りない」と感じるからこそ、
前へ進もうとします。
「もっと良くなりたい」
「もっと知りたい」
その渇望こそが、
文明を生み、
芸術を生み、
そして、今日の私たちがここにいる理由なのです。
そう考えると、
失敗することも、
迷うことも、
間違ったモノを選んでしまうことも、
すべては生きていくための、
ポジティブなエネルギーなのかもしれません。
あの、うさぎのスタンドを、
「いらなかったな」と笑う瞬間。
その笑いの中にこそ、
人間らしさのすべてが詰まっている気がします。
完璧じゃないからこそ、
面白い。
足りないからこそ、
愛おしい。
そんな風に、
自分の不完全さを、
丸ごと受け入れてあげる。
そうやって、
今日という一日を、
丁寧に選んでいく。
それができれば、
もう何も怖くはないのかもしれません。
買い物を通じて、
自分の輪郭を確かめる。
自分の好みを認めてあげる。
自分の弱さを抱きしめてあげる。
そうすることで、
私たちは、
少しだけ強くなれるのではないでしょうか。
今日、あなたが手にしたものは何ですか。
それは、
今のあなたに、
どんな言葉をかけてくれていますか。
もし、
それがただの100円の雑貨だとしても。
その奥には、
あなたの人生を変えるような、
大きな物語が隠されているかもしれません。
ぜひ、
これからも、
堂々と、
迷いながら、
楽しみながら、
買い物に出かけてみてください。
きっと、
自分自身との、
素敵な出会いが待っているはずですから。
私は、そう信じています。
そして、
これからも、
少しだけ無駄なモノを抱えながら、
生きていこうと思います。
だって、
その「無駄」こそが、
私の人生を彩る、
一番の宝物なのだから。
・・
明日もまた、
素敵なものに出会えるといいですね。
そして、
その出会いが、
あなたの心を、
ほんの少しだけ温めてくれますように。
そんな風に、
願わずにはいられないのです。
だって、
私たちはみんな、
不完全で、
それでもどこかで、
自分を満たそうと頑張っている、
仲間なのですから。
さあ、
次はどのお店に行きましょうか。
あるいは、
今手元にあるそのモノを、
もう一度だけ、
じっくりと眺めてみるのも、
いいかもしれませんね。
そこには、
たった今、
新しい物語が始まっているのですから。
そう思ったら、
なんだか無性に、
外に出たくなってきました。
自分という物語を、
新しく読み進めるために。
さて、
出かける準備でもしますか。
きっと、
新しい『自分』に出会えるはずです。
そう考えると、
本当に、ワクワクしますね。
買い物って、
本当にスゴイことなのです!!
足元の靴ひもを結びながら、ふと、そんなことを考えます。
なぜ、人は何かを求めるのでしょうか。
なぜ、手元にモノがあるのに、また新しいモノを探しに出かけるのでしょうか。
それは、
私たちが常に、
『未完成』
だからです。
不完全であること。
何かが足りないと感じること。
実は、
それこそが、
私たちを動かすエンジンなのです。
たとえば、
パズルのピースを想像してみてください。
最後の一つが足りないとき、人は必死になって探しますよね。
あの感覚です。
自分の人生という枠組みの中で、
「あと一つ、何かが足りない」
そうやって感じているからこそ、私たちは新しい出会いに手を伸ばすのです。
では、いったい、
その最後の一ピースとは何なのでしょうか。
それは、
モノそのものではなく、
そのモノを通した、
『自分の心』
の変化なのかもしれません。
新しい靴を履いたとき、いつもより少しだけ背筋が伸びる。
お気に入りのカップでコーヒーを飲むとき、自分を丁寧に扱っていると感じる。
ようするに、
モノを買うという行為は、
自分の中に眠る、
新しい側面を、
目覚めさせることなのです。
そう考えると、
買い物は単なる消費ではありません。
それは、
未来の自分への、
招待状のようなものです。
あえて、
少しだけ不便なものを選ぶ。
あえて、
自分の心に引っかかるものを選ぶ。
そうして手にしたモノが、
いつか日常の一部となり、
景色を変えていく。
本当に、スゴイことだと思いませんか?
さあ、
外の風を感じに行きましょう。
今日という日は、
二度と戻ってこない、
唯一無二の物語の、
大事なワンシーンなのですから。
どんな小さな出会いも、
今のあなたを、
確かに形作っています。
だから、
安心して、
思う存分、
迷いながら歩いていけばいいのです。
その迷いさえも、
後になれば、
大切な物語の『彩り』になるのですから。
さて、
ドアを開けたら、
どんな新しい自分に会えるでしょうか。
扉の向こう側が、
静かに手招きをしています。
さあ、
行きましょう。
あなたの物語が、
今、
ここから始まります。