昨日、デパートをぶらぶらしていたんです。

 

ふと、キッチングッズの売り場に、

吸い込まれるように入ってしまいました。

 

そこで見つけたのが、

 

『高級パン切り包丁』

 

です。

 

お値段、なんと一万五千円。

 

「え、包丁に一万五千円?」

 

そう思いました。

 

パンを切るためだけの道具に、

これだけのお金を出せるのか。

 

手に持ってみると、

驚くほど軽い。

 

そして、刃が妙に、

薄いんです。

 

店員さんが、

ニコニコしながら寄ってきました。

 

「これ、切るというより、

繊維を優しく分けるんですよ」

 

なるほど。

 

繊維を分ける。

 

パンの断面が潰れない、というわけです。

 

たしかに、今の家にある包丁は、

食パンを切ると、どうしても端が潰れる。

 

「潰れない断面」

 

想像するだけで、

なんだか贅沢な気分になれそうです。

 

少し、心が動きました。

 

では、いったい、

何が私を迷わせたのでしょうか。

 

それは、

 

『自分の日常』

 

です。

 

よく考えてみれば、

私は、そんなに頻繁に高級なパンを食べるわけではありません。

 

スーパーで買った、

六枚切りの食パンがメインです。

 

その食パンを、

芸術的な断面で切る必要が、

本当にあるのでしょうか。

 

そんなことを考え始めると、

一万五千円という金額が、

急に重く感じられてきました。

 

結局、買わずに帰りました。

 

家に帰って、

いつもの包丁で食パンを切る。

 

やっぱり、端は少し潰れました。

 

でも、別にいいんです。

 

潰れた断面のパンでも、

味は変わりませんから。

 

そこで、問題になるのが、

 

『モノとの付き合い方』

 

というものです。

 

私たちは、よく勘違いをします。

 

「これさえあれば、生活が変わる」

 

そう思ってしまうのです。

 

たしかに、その包丁があれば、

朝食の時間は少しだけ、

優雅になるかもしれません。

 

けれど、そのために、

一万五千円を払う価値があるのか。

 

あるいは、その包丁を大切に使う手間を、

自分は楽しめるのか。

 

そう考えると、

面白いことに気づきました。

 

私が欲しかったのは、

パン切り包丁そのものじゃなくて、

 

『優雅な生活をしている自分』

 

だったのかもしれません。

 

モノを買うとき、

私たちはしばしば、

 

「未来の自分」

 

を買いに行っています。

 

「この服を着れば、おしゃれな自分になれる」

「この包丁があれば、丁寧な暮らしができる」

 

そうやって、

今の自分ではない誰かを夢見て、

財布を開くのです。

 

でも、本当に大切なのは、

今、ここにある自分で、

いかに楽しむかということなのです。

 

潰れた食パンでも、

美味しいコーヒーと一緒に食べれば、

十分すぎるほど幸せです。

 

結局、私は包丁を買いませんでした。

 

でも、そのおかげで、

少しだけ自分のことが分かった気がします。

 

私は、道具で自分を変えようとしていた。

 

でも、本当は、

何もない今の自分のままでも、

十分に満たされている。

 

そう気づくことができました。

 

これって、スゴイことです!!

 

本当に、スゴイ発見をしたなと思います。

 

そう考えると、

買い物に行かないという選択も、

なかなか悪くないのではないでしょうか。

 

結局、その一万五千円は、

週末のちょっと美味しいランチ代に化ける予定です。

 

断面の綺麗なパンより、

友達と笑いながら食べるパスタの方が、

今の私には価値がある。

 

そう思えるようになっただけでも、

昨日のデパートでの時間は、

無駄ではなかったのだと思います。

 

・・

 

モノに振り回されるのではなく、

モノを通して、自分の心と向き合う。

 

それが、買い物という行為の、

本当の意味なのかもしれません。

 

・・

 

皆さんは、最近、

何か買おうとして迷ったものはありますか?

 

あるいは、買わなくて良かったと思ったものはありますか?

 

たまには、財布を閉じて、

自分の心の中を覗いてみるのも、

面白いものですよ。

 

そんなことを考えていたら、

また少しだけ、

自分のことが好きになれました。

 

・・

 

だからこそ、

買い物は慎重に、ですね。

 

なんて言いつつ、また来週には、

違うものに目を輝かせているかもしれません。

 

人間って、やっぱり、

そんなものなのかもしれませんね。

でも、不思議ですよね。

 

なぜ、私たちはこれほどまでに、

「何かを手に入れること」に執着してしまうのでしょうか。

 

街を歩けば、

キラキラした看板が目に入ります。

 

ネットを開けば、

今すぐにでも買うべきだと、

広告たちが騒ぎ立てるのです。

 

そんな環境に身を置いていれば、

当然、心も揺さぶられます。

 

「あれがあれば、もっと素敵になれるかも」

 

「これさえ買えば、今のモヤモヤも消えるはずだ」

 

そんなふうに、

モノの中に、自分の答えを探そうとしてしまうのです。

 

でも、本当にそうなのでしょうか。

 

本当に、モノを手に入れるだけで、

私たちの人生は、劇的に変わるものなのでしょうか。

 

ここで、少しだけ、

視点を変えてみたいと思います。

 

たとえば、

「思い出」のことです。

 

私たちは、子供の頃の出来事を、

今でも鮮明に覚えていることがありますよね。

 

道端で見つけた四つ葉のクローバー。

夕暮れ時に、友達と自転車で走った帰り道。

お母さんが焼いてくれた、少し焦げたホットケーキ。

 

どれも、お金では買えないものです。

 

でも、その記憶を思い出すとき、

私たちは、とても温かい気持ちになります。

 

あるいは、

力強い勇気が湧いてくることもあるかもしれません。

 

では、いったい、

どうしてなのでしょうか。

 

なぜ、形のないはずの記憶が、

これほどまでに私たちの心を、

支えてくれるのでしょうか。

 

それは、おそらく、

その体験の中に、

「自分がいた」からなのだと思います。

 

モノを所有することではなく、

その瞬間、その場所で、

自分が何を思い、何を感じたか。

 

その「体験」こそが、

私たちの人間としての厚みを作っているのです。

 

そう考えると、

面白いことが見えてきます。

 

私たちが本当に求めているのは、

モノそのものではないのかもしれません。

 

そのモノを通して得られる、

「感情」や「物語」を、

私たちは欲しがっているのです。

 

素敵な洋服を着て、

颯爽と歩く自分を想像する。

 

新しい調理器具を手に入れて、

料理を楽しむ未来を描く。

 

私たちは、モノという「きっかけ」を使って、

自分自身の未来を、

デザインしようとしているのですね。

 

・・

 

少し、話しは変わりますが、

「手放すこと」について考えてみます。

 

断捨離(だんしゃり)という言葉が、

流行りましたよね。

 

あれは、単に部屋を片付けることでは、

ないのだと思います。

 

「今の自分には、もう必要ないもの」を、

一つひとつ見極めていく作業。

 

それは、自分自身の価値観を、

問い直す作業そのものなのです。

 

「これは、本当に今の私に必要なのか?」

 

「私は、どんな暮らしをしたいと思っているのか?」

 

モノを減らすということは、

自分の心の中にある、

余計な荷物を下ろすことと同じなのです。

 

荷物が軽くなれば、

それだけ、足取りも軽くなります。

 

身軽になった分だけ、

新しい何かを、

心の中に取り入れることができる。

 

そう考えると、

「持たない暮らし」が人気なのも、

頷けますよね。

 

結局、私たちが本当に大切にすべきなのは、

モノの量ではなく、

「心の中のスペース」なのかもしれません。

 

余裕のない心には、

新しい発見も、

美しい景色も、

入り込む余地がありませんから。

 

では、いったい、

どうしたら、そのスペースを、

守ることができるのでしょうか。

 

難しいことではありません。

 

まずは、

「自分にとって、何が幸せか」を、

知ることです。

 

誰かに決められた幸福ではなく、

自分自身で選んだ、ささやかな幸せ。

 

たとえば、

朝、淹れたてのコーヒーの香りをかぐこと。

 

寝る前に、

お気に入りの本を数ページだけ読むこと。

 

散歩の途中で、

空の色の変化を眺めること。

 

そんな、

なんてことない時間が、

実は、私たちの幸福を支える土台になっているのです。

 

・・

 

そう考えると、

本当にスゴイことだと思います。

 

幸福とは、

どこか遠くにあるものではなく、

今の自分のすぐ隣に、

いつも転がっているものなのですから。

 

でも、私たちは、

つい忘れてしまいます。

 

すぐに、

「もっと上」や「もっと先」を目指して、

走り出してしまうのです。

 

立ち止まることは、

停滞することだと思い込んでしまう。

 

けれど、本当にそうでしょうか。

 

たまには、

立ち止まるからこそ、

見える景色があるのではないでしょうか。

 

立ち止まって、

深呼吸をして、

自分の中を見つめてみる。

 

今の自分が、

何を食べて、何を感じて、

誰を大切にしたいと思っているのか。

 

そんなふうに、

自分を慈しむ時間を持つ。

 

それは、決して無駄なことではありません。

 

むしろ、これからの人生を、

より自分らしく歩むための、

最も大切な時間なのだと思います。

 

・・

 

ここまで書いてきて、

ふと、思いました。

 

私たちはみんな、

それぞれ違う「物語」を生きているのですね。

 

同じ商品を見ても、

ときめく人もいれば、

素通りする人もいる。

 

それは、その人の歩んできた道が違うからです。

 

大切にしてきたものや、

乗り越えてきた悲しみが、

それぞれ違うからです。

 

だからこそ、

「他人と比べること」ほど、

意味のないことはないのかもしれません。

 

あの人が持っているから、私も欲しい。

 

あの人が楽しそうだから、私も同じことをしたい。

 

そうやって、

自分を誰かに重ねようとすればするほど、

本当の自分の輪郭は、

ぼやけてしまいます。

 

自分の人生の主人公は、

他の誰でもなく、自分自身なのです。

 

・・

 

少し、スケールの大きな話にしましょうか。

 

私たちが生きているこの世界は、

実は、とても繊細なバランスで、

成り立っています。

 

誰かが何かを作り、

誰かがそれを手に入れる。

 

経済という大きな流れの中に、

私たちは、一人ひとり、

小さな波紋を広げながら生きています。

 

消費をすることは、

悪いことではありません。

 

新しいものに心躍らせることも、

人間としての自然な欲求です。

 

大切なのは、

その「流れ」に、

自分がどう関わっていくか、

ということなのだと思います。

 

ただ流されるだけではなく、

自分で考えて、選んで、

責任を持って、楽しむこと。

 

モノを大切にするということは、

巡り巡って、

この世界全体を大切にすることにも、

繋がっている気がするのです。

 

大げさなことを言うつもりは、

ありません。

 

でも、私たちが心豊かに生きることが、

結果として、

誰かの笑顔を守ることになる。

 

そう信じたいと思うのです。

 

・・

 

なんだか、

買い物から始まった話が、

随分と遠くまで来てしまいました。

 

でも、繋がっているんですよね。

 

日常のささやかな選択が、

私たちの人生そのものを作っている。

 

そのことに気づけただけで、

今日のところは、

百点満点ではないでしょうか。

 

また明日から、

騒がしい日々に飛び込んでいくわけですが、

心のどこかに、

小さな「灯火(ともしび)」を、

持っておきたいと思います。

 

自分を大切にするという、

小さくて温かい灯火を。

 

そうすれば、

多少の雨風に吹かれても、

私たちは、自分を見失わずに済むはずです。

 

・・

 

さあ、そろそろ、

書き終える時間です。

 

結局、何が言いたかったのかと聞かれたら、

うまく説明できないかもしれません。

 

ただ、

「自分を好きになる」ための方法を、

一緒に探したかっただけなんです。

 

モノを通して、

あるいは、

買い物という行為を通して。

 

そして、

立ち止まることの豊かさを、

分かち合いたかったのです。

 

皆さんの生活が、

今日よりも少しだけ、

軽やかで、優しいものになりますように。

 

そんな願いを込めて、

このペンを置こうと思います。

 

・・

 

さて、来週は何を買おうかな、

なんて考えつつ。

 

結局、そんな繰り返しが、

人間らしさ、なのかもしれませんね。