昨日の夜のことです。
私は、お腹をすかせて、
キッチンに向かいました。
冷蔵庫を開けて、
中を覗き込みました。
すると、
どうでしょう。
そこには、
何もないのです。
正確には、
食べられそうなものが、
何もないのです。
ただ、
乾いた空気が、
ふわりと頬をかすめます。
私は、そこで、
立ち尽くしてしまいました。
「さて、どうしたものか」
そんなふうに、
独り言が漏れます。
実は、
こんなことは、
日常茶飯事です。
冷蔵庫の前で、
数分間、
固まってしまう。
みなさんは、
そんな経験、
ありませんか?
これって、
少し不思議なこと、
だと思いませんか。
なぜ、
扉を開けてから、
考えるのでしょうか。
開ける前に、
考えればいいのに。
ようするに、
準備が、
足りないということです。
もっと言えば、
段取りが、
悪いのかもしれません。
でも、
実はこれ、
単なる怠慢では、
ないのかもしれません。
少し、
話を広げてみます。
たとえば、
人生の選択も、
同じではないでしょうか。
目の前に、
扉がある。
とりあえず開けてみる。
それから、
どうしようかと考える。
実は、
多くの人が、
無意識に、
そうしているのです。
そう考えると、
面白いですね。
扉を開けること。
それは、
行動の証(あかし)です。
冷蔵庫を開けるという、
小さな行動。
でも、
その裏には、
『可能性』への期待がある。
そんなふうに、
言えるかもしれません。
では、いったい、
何が起きているのでしょうか。
実は、
私の頭の中では、
壮大な物語が、
展開されていたのです。
「この卵で、何ができる?」
「もし、この少し古びたキャベツと合わせたら?」
頭の中で、
料理のシミュレーションが、
高速で回転します。
いわば、
脳内の厨房です。
そこで、
問題になるのが、
『想像力』
というものです。
冷蔵庫にあるものから、
新しい何かを、
生み出そうとする力。
これって、
スゴイことだと、
思いませんか!!
ただの余り物から、
価値を創造する。
これこそが、
人間の生きる力、
なのかもしれません。
少し、
大げさでしょうか。
けれど、
毎日繰り返される、
小さな選択。
その積み重ねが、
人生をつくっています。
そう考えると、
冷蔵庫の前で迷う時間も、
無駄ではないのです。
問題は、ここからです。
私は、
その時、
あることに気づきました。
奥の方に、
ひっそりと隠れていた、
謎の瓶です。
賞味期限は、
どうなっているのか。
そもそも、
これは何なのか。
完全に油断していました。
恐る恐る、
それを手に取ります。
そして、
キャップを開けようとした、
その瞬間です。
「ポンッ」
そんな音とともに、
中身が少しだけ、
溢れ出しました。
キッチンは、
一瞬にして、
異様な香りに包まれます。
・・。
なんとも言えない、
複雑な匂いです。
「これは、一体……」
まさに、
想定外の展開です。
ここで、
改めて考えてみます。
私たちは、
効率ばかりを求めて、
生きていないでしょうか。
早く結果を出したい。
失敗したくない。
スマートに、
生きたい。
でも、
本当にそれで、
いいのでしょうか。
たまには、
こうやって、
冷蔵庫の中で迷子になり、
謎の瓶に振り回される。
そんな、
余裕があっても、
いいと思うのです。
むしろ、
その「無駄」の中にこそ、
人生の本当の、
輝きがある。
そんなふうに、
考えることもできます。
そう、
冷蔵庫は、
単なる保存庫では、
ないのです。
自分と向き合う、
神聖な場所なのです。
扉を開けるたび、
自分に問いかける。
「あなたは、今、何が欲しいの?」
そんな、
心の対話の場所。
そう考えると、
あの立ち尽くす時間さえも、
愛おしくなってきませんか。
結論を急ぐ必要なんて、
ないのです。
迷っていい。
立ち止まっていい。
冷蔵庫の前で、
宇宙を夢見てもいいのです。
最後には、
結局、
冷凍しておいた、
うどんを食べることにしました。
結局、
そうなるのです。
でも、
いいのです。
その過程に、
意味があるのですから。
明日もまた、
私は冷蔵庫を開けるでしょう。
そして、
また迷うのです。
それでいい。
そうやって、
迷いながら、
自分の人生という、
料理を作っていく。
だからこそ、
その迷いさえも、
楽しむこと。
それが、
一番大切だということなのです。
みなさんも、
今夜、冷蔵庫を開けたら、
ぜひ深呼吸してみてください。
そこには、
きっと、
新しい物語が、
待っているはずですから・・。
たとえば、
道端に咲いている、
名もなき花。
私たちは、
それを見ても、
通り過ぎてしまうことが、
多いかもしれません。
忙しい毎日に、
追われているからです。
でも、
ふと足を止めて、
じっと見つめてみると、
どうでしょうか。
その花は、
一生懸命に、
そこに咲いています。
誰に見られるわけでもないのに、
ただ、
自分の命を、
精一杯に咲かせているのです。
これは、
スゴイことです。
ただ、そこにいる。
ただ、生きている。
それだけで、
世界の一部として、
完成しているということなのです。
では、いったい、
私たち人間は、
どうなのでしょうか。
私たちは、
常に何かを求めています。
もっと豊かに、
もっと便利に、
もっと特別に。
そんなふうに、
「何か」を追い求めて、
走り続けているのが、
私たちという存在ではないでしょうか。
少し、
話しは変わりますが、
みなさんは、
「余白」という言葉を、
どう感じますか。
ノートの隅っこや、
絵画の中にある、
何も描かれていない場所。
一般的には、
何も書かれていない、
空(から)の空間。
そんなふうに、
思われがちです。
でも、
実は違うのです。
余白こそが、
そこに書かれた文字や、
絵を輝かせるための、
重要なステージなのです。
余白があるから、
中心にあるものが、
引き立つのです。
それは、
私たち人間にも、
同じことが言えるかもしれません。
常に予定が詰まっていて、
常に何かに追い立てられている毎日。
そこには、
自分自身と向き合う、
「余白」がありません。
では、いったい、
その余白を、
どうやって作ればいいのでしょうか。
何も特別なことを、
する必要はありません。
ただ、
冷蔵庫の前で立ち尽くすように、
人生のどこかで、
立ち止まってみること。
それだけでいいのです。
「何もしない時間」
これこそが、
もっとも贅沢で、
もっとも必要な、
余白なのです。
そう考えると、
迷うことも、
悩むことも、
無駄なことではありません。
それらはすべて、
あなたの人生という作品を、
より美しく見せるための、
大切な「空白」なのですから。
ここで、
さらに大きな話を、
してみたいと思います。
「成功」とは、
いったい、
何なのでしょうか。
多くの人は、
何かを成し遂げること、
高い地位に就くこと、
たくさんのお金を持つこと。
そんな結果を、
成功だと呼ぶかもしれません。
でも、
それだけが、
人生の正解なのでしょうか。
たとえ、
世間から見て、
大きな成功を収めていたとしても、
もし、
その心の中に、
常に焦りや、
満たされない気持ちがあったとしたら。
それは、
本当の意味での、
幸福と呼べるのでしょうか。
問題は、
結果の大きさではありません。
自分が、
自分の心と、
どれだけ対話できているか。
自分の「今」という時間に、
どれだけ納得できているか。
そこにある、
心の状態、
いわゆる「境涯(きょうがい)」こそが、
人生の質を決めるのです。
そう考えると、
毎日、
冷蔵庫の前で悩んでいる人も、
立派な成功者と言えるかもしれません。
自分に問いかけ、
自分の欲しいものを見極め、
自分の感覚を大切にしている。
その行為そのものが、
自分という人間を、
丁寧に生きている証拠なのです。
本当に、
スゴイことだと思います。
だからこそ、
みなさんにも、
大切にしてほしいのです。
自分の心の、
小さな声を。
周りの声や、
世間の常識に、
かき消されそうな、
自分自身の声を。
それは、
誰のものでもない、
あなただけの、
「羅針盤(らしんばん)」なのですから。
人生を航海に例えるなら、
あなたは、
その船の船長です。
どこへ行くか、
何を積むか、
どんな景色を見るか。
すべては、
船長である、
あなた次第なのです。
嵐の夜もあれば、
凪(なぎ)の日もあります。
迷う日もあれば、
立ち尽くす日もあるでしょう。
でも、
それがいいのです。
それが、
生きていく、
ということなのですから。
そうやって、
迷いながら、
立ち止まりながら、
それでも一歩ずつ、
前に進んでいく。
その過程そのものが、
何よりも素晴らしい、
物語なのです。
もし、
今日という日が、
少しだけ疲れるものだったとしても、
明日という日は、
また新しい自分として、
スタートできます。
冷蔵庫を開ければ、
そこには昨日とは違う、
今日のあなたを待っている、
食材たちが並んでいる。
そう、
人生は毎日が、
新しい挑戦なのです。
だから、
安心して、
今日を終えてください。
迷ったまま、
悩んだまま、
今日という一日を、
そのまま受け入れてみてください。
その先には、
きっと、
あなたが想像もしなかったような、
新しい景色が待っています。
自分を信じて、
今の自分を、
丸ごと愛してあげる。
それが、
何よりの、
生きる知恵だと、
私は思います。
今夜は、
そんな自分を褒めてあげながら、
ゆっくりと、
休んでください。
明日は、
どんな自分に、
会えるのでしょうか。
どんな物語を、
紡いでいくのでしょうか。
楽しみに、
眠りについてくださいね。
きっと、
夢の中でも、
あなただけの新しい扉が、
開かれているはずですから・・。
朝、目が覚めたとき。
窓から差し込む光を浴びて、
ふと、そんなことを考えるのです。
「昨日の自分と、今日の自分は、同じなのだろうか」
と。
たとえば、
植物を想像してみてください。
ベランダで育てている小さな鉢植えも、
一日として同じ姿でいることはありません。
目に見えないスピードで、
細胞分裂(さいぼうぶんれつ)を繰り返し、
太陽の光を求めて、
ほんの少しだけ枝を伸ばしている。
昨日の朝の姿と、
今日の朝の姿は、
厳密に言えば、
別のものに変わっているのです。
これを、
生命の『躍動(やくどう)』と呼ぶのかもしれません。
同じように、
私たち人間も、
絶えず変化し続けています。
眠っている間にも、
心臓は鼓動を刻み、
無数の情報が脳の中で整理され、
新しい自分へと書き換えられている。
そう考えると、
毎日が「新装開店」のようなものだと思いませんか。
昨日の失敗も、
悩んでいたことも、
時間が経てば、
少しずつ形を変えていく。
まるで、
川の流れのように。
同じ川の水に、
二度と触れることができないのと同じで、
私たちの心も、
常に新しい水で満たされているのです。
では、いったい、
私たちは何のために、
そんな変化を繰り返しているのでしょうか。
答えは、
ここにあるのだと思います。
それは、
『成長』するためです。
ただ大きくなることではありません。
内面が、
より深くなること。
悲しみを経験した人は、
他人の悲しみに気づけるようになる。
失敗を経験した人は、
誰かの失敗を許せるようになる。
変化することは、
ときとして怖いものです。
慣れ親しんだ場所から、
一歩外へ出るのは、
勇気がいることですから。
けれど、
変わらないままでいようとすると、
私たちは、
そこに留まってしまう。
成長とは、
自分という枠組みを、
少しずつ、
広げていく作業なのです。
そう考えると、
人生の出来事すべてに、
意味があるように思えてきませんか。
楽しかったことも、
苦しかったことも、
すべては自分という器を大きくするための、
大切なプロセス。
たとえ、
今がどんなに暗いトンネルの中だとしても。
それは、
あなたがより強く、
優しくなるための、
助走期間(じょそうきかん)なのかもしれません。
実は、
本当に大切なことは、
何を手に入れるかではなく、
「どんな自分になっていくか」という点にあります。
地位や名誉、
所有物といったものは、
いつか手放さなければならないものかもしれません。
でも、
経験を通じて培った、
あなたの『人間性』は、
誰にも奪うことができない財産になるのです。
だから、
目の前の出来事に、
一喜一憂しすぎないでください。
良いことがあれば、
それは素晴らしいギフト。
悪いことがあっても、
それは自分を磨くためのレッスン。
そう捉えてみるだけで、
毎日の景色は、
驚くほど鮮やかに見えてくるはずです。
誰かと比較して、
落ち込む必要もありません。
あなたは、
あなただけのペースで、
あなただけの花を咲かせればいいのです。
他人の花と、
自分の花を比べることに、
あまり意味はありません。
大切なのは、
自分が自分の人生を、
精一杯生きているかどうか。
その積み重ねこそが、
『絶対的幸福(ぜったいてきこうふく)』への道なのだと思います。
誰かに与えられる幸せではなく、
自分で見つけ出し、
自分で育てていく幸せ。
それは、
どんな環境にいても、
どんな状況であっても、
決して揺らぐことのない、
心の灯火(ともしび)のようなものです。
ここまで書いてきて、
ふと思いました。
私たちは、
もっと自分自身を、
信頼していいのではないでしょうか。
自分の中には、
自分でも気づいていないような、
可能性の種がたくさん眠っている。
その種に、
「大丈夫だよ」
と声をかけてあげること。
「そのままのあなたでいいんだよ」
と認めてあげること。
そうやって、
自分を大切にできたとき、
不思議と周りの世界も、
優しく変化していくものです。
あなたが笑えば、
世界も笑う。
あなたが自分を許せば、
世界もあなたを許してくれる。
そう、
すべては、
自分という中心から、
広がっていくのです。
今日は、
どんな一日になるのでしょうか。
新しい自分と、
新しい物語が始まる、
真っ白なキャンバス。
筆を持つのは、
あなた自身です。
失敗を恐れず、
心のおもむくままに、
色を重ねていってください。
たとえ、
思い通りの色にならなくても。
それは、
あなたにしか描けない、
世界でたった一つの、
美しいアートになるのですから。
さあ、
新しい一日が始まります。
顔を上げて、
背筋を伸ばして。
あなたらしく、
歩き出してみましょう。
その先には、
きっと、
言葉では言い表せないほどの、
素晴らしい未来が、
待っているはずですから・・。