目の前には確かに塔が建っていたが、私の知っている塔とはだいぶ形が違っていた。
巨大な怪物に脇腹を食い破られたかのような大きな傷跡があり、その上の部分は完全に失われていた。
「この塔、崩れちゃってますね」
「うん。崩れちゃってる」
私は雫のフードの中から見える範囲で、あたりをぐるっと見渡した。
塔の周辺は真っ白で平坦な大地が続いているだけだったが、特に崩壊している箇所は見当たらなかった。
それは街の修復作用が生きている証拠だ。
次に塔の崩れた箇所をよく観察して見ると、まるで傷口を縫うように黒い十字架が何十本も突き立てられているのが分かった。
雫の話だと十字架は捨てられた土地を意味しているらしい。なら、この塔はすでに街の意思から切り捨てられてしまった施設という事になるのだろうか?
街中にあれだけあった十字架が、この場所では塔にしか刺さっていない。
中央区は街から見捨てられていない。
塔だけが街から捨てられている。
「うーん」
「どう?何か思い出せる?」
「ちょっと、待ってください」
いくら考えても、肝心なことがどうしても思い出せなかった。
おそらく、忘れている、という状態ではなく、すでにその記憶自体が私の中に存在していないからだ。
体を失うことで、これほど記憶や情報が欠落するとは予想していなかった。
やはり魂だけでは生命は存在できないのかも知れない。考えていた以上に、心は体に依存しているらしい。
「だめです。何も思い出せません」
私は消え去りそうな声でそう言った。
「塔が、崩れているから?」
「そうですね。それもあります」
雫や桜の反対意見をおさえて、塔に行くことを断行したのは私の強い意志だった。
最後には雫は私の見方をしてくれたし、桜も笑ってそれを許してくれた。
私の記憶は曖昧だった。
体も、万全とは言えない状態だった。
肉体を失ったことは初めてで、不安も一杯あった。
それでも、塔にたどり着く事さえできれば、絶対に記憶が蘇ると思っていた。
塔のバックアップを利用して、自身の欠落の補完ができると考えていたのだ。
しかし、塔は崩壊していた。
電車はきちんと動いていたのに、塔は修復もされていなかった。
バックアップに頼らなくても、きっかけさえあれば自力で記憶を回復できるかも、と思って頑張ってみたが、それも無理だった。
どうやら私の考えは甘かったようだ。
「塔がこの状態では、私にはもうどうすることもできません」
「塔の力で、花の記憶が元に戻るって話だったんだよね」
「はい」
「ごめん、花。僕、塔がこんな状態だなんて知らなかったんだ」
そう言ってから、雫はそっと桜に顔を向けた。
「もしかして、兄さんはこのことを知っていたの?」
「塔のことか?」
「うん」
「知っていた」
桜が雫の顔を見返した。
いつもは優しい桜の瞳が、この時は鋭い眼光を放っていた。
「どうして、僕たちに秘密にしてたの?」
「言っても言わなくても、結果は同じだ。お前たちは無理矢理にでも自分たちの目で塔の状態を確認しに行くと言うだろ?」
それは桜の言う通りだった。
私は桜から塔の状態を聞いていたとしても、塔に行きたいとわがままを言ったと思う。
「塔は少なくとも現時点では稼働していない。つまり、花の記憶は戻らないってことだ」
桜は視線を塔に戻す。
「それに塔の中にも入れない。だから中にある箱も、俺たちの手に入らない」