【起稿2026年1月29日記事】

日付が変わりました🗓

今日の東京は曇り後晴れですが🌥️気温はあまり上がらない予報です🌬️😖

さて皆さん、今日は「草城忌」です。

「草城忌」は、大正末~昭和初頭の俳人日野草城の忌日です。
草城は、前期は写生に忠実で初々しい俳風で😌中期は所謂「ミヤコホテル論争」(自らの結婚初夜を赤裸々に描いた連作俳句が俳壇で論争になった。)の対象作品に代表されるエロチシズムに傾倒した革新的な俳風でしたが😲病を得て以降の後期作品は一転して、穏やかな日常のなかに見出す喜びや悲しみを織り込んだ、静謐な俳風へと変容しました😊
私は「ホトトギス」出身らしい前期、家族愛に溢れた後期の俳風が好みです😉


※画像はイラストAC(https://www.ac-illust.com/)より引用しました。



では、草城の句を紹介します...

冬の陽や 枯木の中の
竹二本
(1927年、「花氷」)

くれなゐの まつたき花の寒椿
(1927年、「花氷」)

山茶花の 匂ふがごとく
散り敷ける
(1927年、「花氷」)

ほの白く 
化粧(けは)ひてあはれ
子は勤む
(1953年、「人生の午後」)

働いて 寒き闇より
戻りし子
(1953年、「人生の午後」)

少(わか)き子が
獲て来し紙幣(さつ)は
眼に痛き
(1953年、「人生の午後」)
※「子」は温子さんとおっしゃいますが、草城による連句序文の説明書きに「温子 高校卒業 就職」とありますから、草城が病床にある頃、温子さんは私の次女同様に20歳代前半でしょうか...「娘を心配する病の父の気持ち」共感するなぁ...

因みに、前に私の娘達への想いは短歌を詠み記事にしました👇


切干や いのちの限り
妻の恩
(1953年、「人生の午後」)
※この「妻」はご本人も俳人の日野晏子さんで、前述「ミヤコホテル論争」作品となった草城との新婚初夜から、草城晩年の10年間は、介護をなさりながら俳句を詠んだという「糟糠の妻」でいらっしゃいました。

見えぬ眼の 方の眼鏡の
玉も拭く
(1953年、「人生の午後」)
※草城は、緑内障で右目を失明しました。同じ緑内障罹患者の私には、心に染み入る句です。