今回は、回復期リハビリ病院に生息していた物の怪(おっと失礼!)個性溢れるユニークな患者たち(自分も含め(-_-;))と、いくつかのエピソード(騒動)を紹介します。

私のいた急性期病院の病棟の患者は「死にそう」な者ばかりで、一人一人の個性はあまり分かりませんでしたが、回復期ともなれば、病状は落ち着いていますから、それぞれ患者は個性を発揮し始めます。

『霊界の使徒』

転院後3週間ほど経ったある夜10時頃、私がベッドで微睡んでいると、病室の外の廊下の奥から「誰か~だ~れ~か~」とか細い女性の声が聞こえるではありませんか!(ぎゃーで、で、出た~)私は一瞬、噂に聞く病院の幽霊が出たかと思いましたが、直ぐに「私は脳細胞が損傷受けた。この声は現実ではなく、幻聴に違いない。」と思い直しました。と…暫くして、か細い女性の声で「す~みませ~ん、誰か来て下さ~い」と聞こえてきました。(何だよ、ナースコール分からんのか…)私はようやく事態を理解しました。後で判明しましたが声の主は高齢女性のMKさんで、床擦れを痛がり痛み止薬を処方されてるが、用量以上に欲しがり看護士が駄目だと説明しても呼ぶとのことであった。(ナースコールは何回説明しても理解出来ないらしい)

『ザ・人格情動障害』

お次のSKさんは、私と同じ病室の隣のベッドにいた患者で80代男性です。SKさんは依存心が強く、何でもスタッフにやってもらおうとしてましたが、とにかく上から目線で怒りっぽく、内容を問わず気に食わないと、何処でも誰にでも叱りつけます。言葉も粗暴で「…ったく、おせぇんだよ(遅い)!」と食事や着替えを介助するスタッフに言い放っていました。(手伝ってもらって威張るな…💢)また、洗面所には、洗面終了をスタッフに知らせるため、ナースコールの代わりにメタルコール(呼び鈴)がありましたが、待つことの嫌いなSKさんはいつもそのメタルコールを病的に連打してました。ある日私が面会に来た家族と話していると(ルールに従い病室で小声にて…)隣から「…ちっ、いつまでしゃべってるんだ。」と、SKさんのイラついた声が聞こえました。私は「やれやれ、お隣さんの病気がでたな…」と思っただけでしたが、目の前に座ってる次女の顔色がサーっと蒼ざめ(私の次女は心の病が有ります)、「まずい」と思った私は、面会を切り上げ娘を早く帰らせました。今でもこの事は悲しく、怒りがこみ上げる出来事です。スタッフによれば、SKさんの言動は元々の性格が高次脳機能障害(人格情動障害)で増幅されたとされてるらしい。私も高次脳機能障害ですが、怒りを制御出来ました。娘の前でSKさん同様に怒り狂う父親を見せずに良かった。

SKさんは6月退院後帰宅し、家族と暮らしているようです。身体障害は比較的軽かったが、依存心が強く粗暴な言動は家族がお困りでしょう。

SKさんの後には、ONさんという50代(珍しく私より若い!)の物静かな男性が転室してきました。ONさんは脳梗塞(本人談)の後遺症で2月から入院されて、真面目にリハビリに取り組んでおられ、私も刺激を受け励みになりました。私と違い痙縮があり(私は弛緩麻痺)苦戦されてましたが、7月に退院されました。

『世田谷(上祖師ヶ谷)生まれの関西人』

次は私より後の5月に入院された、同じ病室の向かいベッドのHSさんです。HSさんは私と同じ60代で同じ急性期病院から転院してきた方ですが、入院時検査(病室でやってた)で、「今日は何月何日ですか?」という質問に病院名や10月と答えるなど、失語症又は健忘症があるようでした。HSさんは心不全があるようで、リハビリ姿を見ることは無く、常に心拍等検査器を身体に付けていましたが、入院後1週間位のある日急に家族が呼ばれ、病室でスタッフと話し、その後追加治療のため元の急性期病院に救急搬送(逆送)されました。私は他人事でなく、自分が同じようにならないよう祈りました。HSさんは、6月にADさんが退院された後、再度入院(転院)してきて、再び私の病室(ADさんがいた場所のベッド)に入りました。HSさんは、最初の入院では期間が短く人柄が不明でしたが、「謎の中国人」風の風貌で失語症?は有るものの軽妙に関西弁で話す方でしたが、ある日、病室でセラピストが「HSさんは、関西のどちらの出身ですか?」と尋ねたところ、「違うねん。わし、関西でなく、東京の世田谷…上祖師谷出身でな、関西弁はカミさんが大阪やから、その関係やねん。」と、HSさんから衝撃の告白が…後で判明したが、HSさんは「○子はん」とよぶ奥さんの実家に婿入りしたらしい。

『元体育教師(本人談)の哀れな末路』

お次はHRさんです。HRさんはHSさんが急性期病院に逆送された後で代わりに転室されてきた患者で80代男性です。HRさんはSKさんと違い怒る事は無く、愛嬌もある人柄でしたが、何分排泄コントロールが出来ず、言われた事をよく忘れ、認知症気味でした。HRさんはよくオムツに排泄してしまって、看護助手に交換してもらっていましたが、ある夜、ぷ~んと怪しい匂いが漂ったかと思ったら、看護助手が病室にやってきて「あ~HRさん! 何をしてるの?○○だらけよ!」ここからは、病室の電気がつけられ、ワサワサと何人ものスタッフが駆け付け大騒ぎ。新たに駆け付けたスタッフの1人が「うわぁー大惨事!床も○○だらけじゃない!どういう事?」(げっ!だ、だ、大惨事って…床も○○だらけって…いかん、想像してしまう…)ぷ~ん…私は物音くらいなら、平気で寝られるが、匂いはたまらん。こりゃ、今夜は寝られな~い。( ;∀;)翌朝聞いたところでは、HRさんは自分でオムツ交換を試みて失敗し、ベッド脇に○○まみれで悄然と座り込んでたらしい。朝になり、病室に消臭スプレーが噴霧されたが、暫く病室に○○の匂いが残った。

その後判明したが、HRさんは奥さん(先生?)と娘に介助されて生活してるが、家族に介護疲れがある上に、HRさんはかつてワンマンで家族に反発され、病に倒れたHRさんの今後は奥さんに握られているようだった。HRさんは6月に退院が決まり、本人は最後まで帰宅を希望していたが、奥さん主導でリハビリ型介護付き老人ホームに入所されました。

『現世解脱』

我が病室の奥の窓際のベッドにADさんという90代(!)の長老男性がいました。ADさんは最早「老年的超越」の中におられ、機能回復とか、生活動作獲得といった些細なことはどうでも良く、セラピストでさえ患者の自発性喚起を放棄して介助による機能低下軽減を図っており、常に不思議な笑顔を浮かべた雰囲気は、認知症というよりは、現世解脱の浮遊感だと思わせる方でした。ADさんは6月に退院され、自宅で娘さんが介護されてるようです。(大変だな~)

(なお、ADさんの入院するきっかけとなった傷病は、私の優秀な情報網を持ってしても分からなかった。)

ここらで、我が病室を離れて他の患者さんに目を向けましょう。

『息子と娘に責められて…』

食堂の私の隣にHDさんという80代後半の女性患者がおられましたが、お子さんが時々面会に来るのは良いのですが、息子(50代独身)は高齢のHDさんの介護をするどころか、自分の食事をHDさんに作らせているようなクズ(娘談)で、娘は家族共々HDさんの介護を時々するのは偉いが、不満や愚痴を病院の食堂でHDさんにぶつける激情型人間で、隣の私は食欲を削がれてしまいました。

『ミスター・テーブルサンディング』

また、食堂の出入口付近のキャスター付きテーブルに座らされ(フル食事介助席)ているMKさんは、90代の「せむし」の男性で弱視のため、食事が配膳されても「食事だと言われたのに、食べる物が無い」と訴えていました。私がある日食堂へ行くとMKさんが配膳前の何もないテーブルをフキンで一生懸命擦っていました。「きれい好きなんだな」と私は思いましたが、後で聞いた話では、MKさんは、何もないテーブルの上に常人には見えない「何か」が見える(幻視か…怖っ!)のだそうでした。

『探し物は何ですか?』

我が病室に戻りますが、HRさんの後にはFGさんという、工務店社長風の70代男性が入りました。FGさんは、足の骨折で後遺症が軽いのですが、認知症入口で記憶力は有るものの、論理的思考が出来ませんでした。FGさんは装具無し杖無し歩行ができましたが、ぐらつきがあり、歩行の際にスタッフを呼び、見守りが必要でしたが、入院間もないある夜1人でトイレへ出かけ、よろめき、膝付き事故を起こして騒ぎを発生させました。(幸い目立った怪我は無く、本人はトイレに悄然と座っていたそうです)

FGさんはよく何か失くす(見失う)人で、テレビリモコン、イヤホン、スマホが多く、その都度看護助手が発見してました(助手のスキル?凄い!)しかし、ある日、ナースコールで看護助手が来室し「FGさん、どうしましたか?」と聞くと、FGさんは「う~ん…あれ、あれだ、無くなった…」と答え、看護助手が「今度は何が無いの」と聞くと、なんとFGさんは「ん…分からない…」と答えました。看護助手さん「何を失くしたか分からないと探せないわ…」(そりゃ、そうだよな、やれやれ…)またある日は探し物は何かと看護士が聞くとFGさんは「携帯で次男に連絡するのに、壊れて画面に漢字が出ない」と答え、結局、画面ロックパスワードを忘れて解除出来なくなったと判明したが、数日間継続する騒ぎになりました。

『変身!ASD』

7月入院された患者で食堂の私に近い席となり、その後私の病室へ入室したKBさんは、彫りの深い、濃い顔立ちで、声も野太く、俳優の藤岡弘さんを思い起こさせる50代男性で、私はいつかKBさんが、野太い声で「ライダ~変身っ!」と叫んで仮面ライダーに変身するのではと、ワクワクしてました。しかし、ある日食堂で、看護士から外部病院へ通院する際の手順をレクチャーされたKBさんは「そんな、優しい事を言われたらおれ、泣けてきちまうよ~」と言って嗚咽をもらしました。(感情失禁?)また、ある日は面会に訪ねてきた老母に甘える(!)言葉が聞こえてきました。いつも面会者は老母で、2人の会話からKBさんは独身で老母と暮らしてると思われました。また、KBさんの言動は、舌足らずで子供っぽく

まさに典型的なASDの症状を呈していました。


さて、ここまで他の患者の事をあれこれ面白可笑しく紹介してきましたが、自分はどうなの?自分だって変な人ではないの?…ということで、最後に私の事について、なるべく、スタッフからの意見を中心に第三者的な目で語ります。私は入院患者の中では若い方で、幸い発病前には退行性脳疾患は無く、精神障害(高次脳機能障害)は有りますが、半側無視と注意障害が主で、健常者のように、普通に会話が成立し、話された内容を理解記憶でき、論理的に思考言動出来てました。更に、元々性格は穏和ですが、特に発病以来自分をサポートしてくれるスタッフに従順、協調的に振る舞うよう心掛けており、まず看護士、看護助手の評判は良かったようです。また、話好きで、話題豊富なので、看護士やセラピストとの会話が盛り上っていましたから、楽しんでもらえたかと思います。また、病識がしっかりあり、リハビリに関しては意欲的で、研究熱心なことから、感心されることも多かった。しかし、冗談がきつく、歩行訓練の最中に能天気にベラベラしゃべり、耳が早く(院内情報通)、「助けて~」とか言いながら難しい課題に取り組む「M」っぷりは、やはり、病棟で異彩を放っていたと思います。