【起稿2026年7月19日記事】
こんにちは🙋
今日も東京は、曇天ですが次第に天気が良くなってまいりました🌤️
私は、意外な話をブログに取り上げるのが好きですが、今日も皆さんのイメージを覆すであろう、私には珍しいバイオレンスな話を書きます😉
私は一昨日の投稿ネタ「東京の日」の記事で、「東京で一番好きな街」に東京を挙げ、「最近は渋谷が東京を代表する街だ。」とも書きました。
この意見には、東京人の多くは賛同してくれると思いますし、東京に憧れを持って頂いている方々に「渋谷」のブランド力はかなり貢献していると思われます😌
私は、昭和30年代の生まれなので、大東亜戦争中や戦後混乱期については、名残を見たり、人から聞いたりして、一部だけ分かる程度の知識しかありません。
そんな私が、「今日はなんの日」ネタを探していて、渋谷について「あぁ、そうか!」と初めて腑に落ちた事があります😔
私が「渋谷」ブランドを分析するに、「渋谷」の良いイメージを醸成している要因として...
①下町大衆文化とは距離を置くハイソな「山の手」に位置する。
②海外に開けた横浜に直結している。
③大型商業施設、繁華街、公園がバランス良く配置され、整備された道路で区画される。
...という事が挙げられると考えます。
しかし、実は①については、松濤という渋谷の中心から外れる高台にある東京を代表する高級住宅街のイメージであり、渋谷の中心部は文字通り「谷底」地形に位置して、「山の手」の定義にほど遠いのです。
また、②については、「横浜の海外文化」、「渋谷の首都を代表する若者文化」、「創業者五島慶太さんをはじめとする東急グループが築き上げた沿線イメージ」これらの相乗効果によると考えられますが、これらは時代背景によっては牙を剥く「諸刃の刃」です。(例えば、ハロウィン騒動は若者文化の副作用)
③については私は今日気付きましたが、この後述べる②の影響で発生した大事件の裏返しだったのです。
戦後混乱期の大事件「渋谷事件」は、今から80年前の戦後間もない、1946年7月19日の夜21時に発生しました。
場所は渋谷の道玄坂にあった渋谷警察署旧庁舎前で、渋谷警察署員及び警察側に立っていた暴力団・愚連隊連合と、武装した華僑(台湾)グループとの間に発生した抗争事件(銃撃戦)でした😱

ナノバナナ2作画
事件の背景ですが...
①華僑(台湾)
「戦前の日本統治による経緯から、永住的存在となった在日外国人」と言うと韓国、朝鮮人を思い浮かべますし、蒋介石総統から始まる日華(日台)の互恵的関係から、現在相互の国民感情はかなり良い状態ですね。
しかし、昭和初期、特に戦後混乱期には、数年前の日韓関係のように、悪感情が渦巻いていました。
また、日本敗戦によって、華僑(台湾)の中には、闇商売に手を染める者が多く、
闇市を支配していた日本の暴力団と抗争したり(渋谷事件と同時期の新橋抗争では、横流し品の「爆撃機用機関砲」や「大型自動小銃」が使用されていました。)、進駐軍や日本警察の治安維持取締りの対象でした。
②渋谷警察署
①に記述したように華僑(台湾)の闇市進出を犯罪・騒乱の温床と考えていた日本警察(警視庁)は、華僑(台湾)の拠点を順次潰す方針で、当時渋谷の宇田川町(「渋谷センター街」、「公園通り」、「ファイヤー通り」のある渋谷中心部)に所在した、華僑(台湾)の本部にも
渋谷警察署が度々手入れを行いました。
③暴力団
前述したように、東京各地で闇市支配を巡って華僑(台湾)と対立していましたが、渋谷では「関東松田組」が華僑(台湾)本部に殴り込む等、華僑(台湾)の積極的排除に乗り出していた。
...という時代状況があったのですが、この華僑(台湾)が渋谷に流入したのは、おそらく「横浜に直結している」渋谷の特徴の副作用だったと想像出来るのです😓
この渋谷事件の後、1951年までに宇田川町の闇市は全て撤去されて、再開発された町には、旧セゾングループの大型商業施設が次々に立ち並び、街並みは現在見る整備された光景になったのです😲
過去の記事にも書いていますが、東京の繁華街は、何処もほぼ、戦後混乱期に闇市を経験していますが、新宿・吉祥寺のように侠客(顔役)風の昔気質の「親分」のいた地域では、世間を揺るがす大きな騒乱は起きなかったものの、闇市の撤去は遅れ、現在もその痕跡を遺す街並みとなっています。
一方で、渋谷や有楽町のように外国人勢力が絡み、大きな騒乱の起きた地域では、一時期に集中して、当局が介入掃討した為に
、跡地の大規模再開発が進んだとも言えると思います🤔
