【起稿2026年6月28日記事】


時間がもったいなかったこと


この記事は、

私の「黒歴史」について書きます😒

記事は、今朝アメブロさんが募集中だった投稿ネタから起こしたものですが、私の「時間がもったいなかったこと」は、「時間」ばかりでは無く、「お金」も、自らの「健康」も

勿体なかった事です...

それは、私にとって痛恨の「黒歴史」であるギャンブルです。
私はいたってつまらない人生を送ってきていて、ギャンブルといっても、競馬、競輪、競艇、オートには手を出しませんでしたし、1970年代まで横行していた賭け麻雀、賭けゴルフは年齢的に若く
、参加には至りませんでした😓

しかし...残念ながら、パチンコには、ハマってしまった時期があります🥴


ナノバナナ2作画

言い訳になりますが、1980年代までパチンコは、手軽なギャンブルとして、大人になり収入を得て、自由になる小金が出来ると多くの者が手を染めていました。
また、私が就職して数年後の1980年代初頭は、ちょうど「フィーバー機」や「羽根物」の登場で、パチンコブームが

到来していました🎰

私がパチンコをはじめたきっかけは、職場の仲間と飲み会に行った帰りに、後輩の新潟出身の色白「美女」Nさん(当時私は高卒就職5年目23才、Nさんは短大新卒21才でした👩)から誘われ、職場近くの駅前パチンコ店でフィーバー機を打った事でした😉

初代「三共フィーバー」👇



この時初めてパチンコ店に入ったウブな私は、短大在学中もたまに打ったというNさんから「懇切丁寧な」手ほどきを受け、初めてのギャンブルの高揚感と年下の後輩なのに妙に大人っぽいNさんに、ドキドキしながら打っていると、約5分位で、
「ビギナーズラック」というヤツで、「7」を並べて見事にフィーバーさせました🎉
勿論、フィーバーしたらどうなるのか全く知らなかった私が、オロオロしていると、Nさんが電動ハンドルの固定から、上皿下皿の玉抜きまで代わりにやってくれ、フィーバー終了後は、出玉の計量機流し込みまで誘導してくれました。(ホールガール?)
その日は、これだけ(どれだけ?)で終了したのですが、心地良い酔いの中で、綺麗な女性と過ごし、目の前を流れる大量のキラキラ光るパチンコ玉の残像は、私を狂わせるのに十分でした(責任転嫁?😅)

この時以来すっかりパチンコにハマった私は、週に何回かパチンコ店に出入りするようになりました😁

前々から記事に書いていますが、私が小学生まで、私の実家は裕福で、私はお金に不自由無く育ちましたが、中学生になると生活に困窮し、私は高校時代バイトをして実家にお金を入れていました(お金の一部は自分の小遣いでしたが😅)


高卒18才で就職後10年は収入のほぼ全額を実家へ入れ、私はそこから毎月小遣いをもらっていましたが、これも前に書きましたが、若い頃私は、無茶苦茶に働いていて、毎月の休日出勤給や残業手当がかなりあり、会社の同僚の1.5~2倍近い収入がありましたので、ヘソクリも結構あり、遊ぶ金に困りませんでしたが、幼少期~思春期の金銭的異常体験のせいか、パチンコで一攫千金を夢見る体質であったのかも

しれません💰

私は、若い頃スナック通いもやりました。


しかし、スナック通いは、「時間」や「お金」が勿体無かったとは、必ずしも悔悟していません。
スナックは、高卒の私が、会社内では得る事の出来無い、社会の縮図を見せてくれました。ある時は大企業の重役ながら家庭では孤独な初老男性、ある時は子宝に恵まれずスナックの夜長を楽しむ夫婦、ある時は仙人のような風貌で飄々と時の流れを語る有名劇画家...
こうした人々との会話は、私の人格に厚みをもたらしてくれたと考えています。

そこにいくとパチンコは、貴重だった休日の朝10時開店から夜11時閉店まで過ごした「時間」、その時間に流し込んだ「お金」、パチンコ店の騒音・出ない時のストレス・煙害により自ら傷つけた「健康」(健康そのものより、健康習慣を身に付ける事が阻害されました。)を失った上、私に何の利益ももたらしませんでした。

植木等さんのギャグのように、分かっているのに止められない...私は、所謂「ギャンブル依存症」に陥っていたかもしれません。
幸い私は、結婚、長女誕生をきっかけにこの「依存症」状態を抜け出れましたが、
今振り返ってもパチンコをした事は、全く「時間が勿体なかった」と思います😥


 

 

 

 

 

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