【起稿2026年5月31日記事】
日付が変わりました🗓
今日も東京は、晴れ後曇りと、良い天気になるようです⛅
さて皆さん、今日は「青峰忌」です。
「青峰忌」は、大正~昭和初期の「ホトトギス派」の俳人嶋田青峰の忌日です。
嶋田青峰(1882年-1944年)は、伊勢志摩の的矢出身で、学を成そうと東京に出て、1903年に早稲田大学英文科を卒業し、各地で教職に就いた後、1908年に国民新聞社に入社、折から始まった「国民文学」の編集部員として高浜虚子の部下となりました。
朝焼けの的矢湾
後に青峰は虚子の後を継ぎ、国民文学部長として一人で文芸欄を担当し、虚子に頼まれ「ホトトギス」に文章を寄稿する事で虚子を支えるようにもなりました。
青峰の俳句は、平明で自然や人物を客観的に詠んでいるのが特徴的で、大正時代には虚子から最も信頼され、友人・知人・弟子にも恵まれていましたが、次第に新興俳句に傾斜し、大東亜戦争前夜の所謂「新興俳句運動弾圧事件」に連座して、警察に逮捕拘禁された際に持病結核が再発し、戦争中で十分な治療を受けられ無いまま1944年の今日
、死去しました。
私は、前から記事に書いているように、俳壇では、「和歌の心」に通じ、写生や花鳥諷詠を重んずる「ホトトギス派」の俳句が好みです😌
では青峰の俳句を紹介いたします...
而(しこう)して
蕃茄(ばんか)の酸味
口にあり
(「青峰集」)
※蕃茄とはトマトの事で、夏の季語ですね。
昔のトマトは、青臭くて酸味があったのを思い出します🍅
滝殿に 名橋を模して
架けにけり
(「青峰集」)
※うーん、何とも涼し気な句ですが、これは、故郷志摩の光景ではありませんなぁ...「滝殿」や「名橋を模して」という言葉から、私は日本庭園の光景と思います。嶋田青峰は、東京都新宿区早稲田に住んでいましたから、元早稲田大学所有だった「新宿区立甘泉園公園」(東京都新宿区西早稲田三丁目)の光景かとも思いましたが、私は時代的に多分、江戸後期~昭和初期の東京山の手の観光地で、私の幼少時まで(1968年まで)存在した新宿区西新宿(都庁の裏手)と中野区弥生町(方南町東方)の間の「十二社(じゅうにそう)池」の光景ではないかと思います。
私は俳句より短歌が得意なので、最後に自作短歌を披露いたします...
青峰忌
的屋の贄は
天照らす
皇大神(すめおおかみ)の
恵みかな
※的矢は昔、「的屋」と表記されました。
※的矢の「磯守(いそもり)」である伊雑宮は伊勢神宮(内宮)唯一の伊勢国外別宮ですから、祭神は当然、天照大神(天照皇大神)です。
※「贄」とは、神または天皇に供する食物の総称、及びその貢進制度の事です。志摩国は律令制下でも海水産物を貢ぐ「御食国(みけつくに)」とされていました。
的矢湾と「かきテラス」