【起稿2026年5月30日記事】
東郷平八郎元帥イメージ
元帥の事蹟はよく知られていますが、少々復習しますと、元帥は、幕末に薩摩藩士として薩英戦争にも参戦していますが、明治維新の函館戦争に春日丸乗組員として参戦したのが日本海軍戦歴の始まりで、その後、明治時代の帝国海軍の指揮官として日清及び日露戦争の勝利に大きく貢献し、日本の国際的地位を「五大国」の一員とするまでに引き上げるという、日本史を上古より俯瞰しても、臣下として他に類を見ない功績を遺しました。
日清戦争では、「豊島沖海戦」に関する秀逸な対処で、欧米の軍人、知識人を唸らせ、日露戦争においては、連合艦隊を率いた有名な「日本海海戦」で、当時世界屈指の戦力を誇ったロシア帝国海軍「バルチック艦隊」を「敵前回頭戦法(丁字戦法)」にて、一方的に破って日本の戦争勝利を確実なものとしました。
日本海海戦時に元帥が艦隊に訓示した...
「皇国ノ興廃此ノ一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ」
...という文言も有名ですなぁ。
また、元帥は「慎重・寡黙にして実直な性格」(海軍大臣山本権兵衛)、「武人の猛々しさを慈愛の心で包んだような人柄」(御学問所倫理のご進講役杉浦重剛)と、人柄も高く評価されており、後世代の内外海軍関係者から敬愛を受けています。
太平洋戦争当時の米国太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ提督は、若い頃下士官として、元帥に会って以降、元帥を敬愛していましたが、太平洋戦争で、日本海海戦当時の元帥の部下であった山本五十六連合艦隊司令長官の暗殺を命ずる事となったのは皮肉です。
東郷平八郎は、1914年に東宮御学問所総裁へ着任しました。
過去何回か私の記事に書きましたが、明治大帝は若い頃、侍従として自身に仕えた幕末の偉人山岡鉄舟に薫陶を受けられていますが、昭和天皇は、大正時代に東郷から薫陶を受けられています。
当初東郷は、「私は軍人ですから、学問所の職は相応しくありません」と固辞しましたが、宮内大臣の渡辺千秋や伏見宮貞愛親王から「お上の内意(東郷を高く評価していた大正天皇の御心)である。」と強く諭され、やむなく引き受けたといわれています。東郷がこの時の心境を詠んだ歌が遺っており...
おろかなる 心につくす
誠をば
みそなはしてよ
天つちの神
...という、真面目な人柄の滲む歌です。
ところで、東郷平八郎が1934年に死去した後、各地に「東郷神社」が建てられ、東郷を「軍神」として祀っていますが、東郷自身は生前、自身を陸軍の乃木希典大将のように神格化する事に否定的だったと言われます。
...という事なんですが、「護国の軍神東郷元帥」という格調高い軍歌も作られています。
「護国の軍神東郷元帥」(1935年、作詞:松島[酒井]慶三さん[当時.海軍少佐]、作曲:海軍軍楽隊)
「北九州市立年長者研修大学校」菊池満講師(日本近世・近現代史専門)
公式YouTube👇
一方東郷の実家は、元々相模国渋民氏の出自で、日蓮宗に帰依しており、東郷の生前の了承の下、遺族より寄付された土地に「聖将山東郷寺」が建立されています。
因みに、東郷平八郎の墓所は、私の居住地の隣町で、東郷寺と同じ府中市の多磨霊園にあります。
今日東京は、湿気が無く、結構風が吹いて涼しく過ごしています😊
東郷平八郎元帥イメージ

※画像はイラストAC(https://www.ac-illust.com/)より引用しました。
元帥の事蹟はよく知られていますが、少々復習しますと、元帥は、幕末に薩摩藩士として薩英戦争にも参戦していますが、明治維新の函館戦争に春日丸乗組員として参戦したのが日本海軍戦歴の始まりで、その後、明治時代の帝国海軍の指揮官として日清及び日露戦争の勝利に大きく貢献し、日本の国際的地位を「五大国」の一員とするまでに引き上げるという、日本史を上古より俯瞰しても、臣下として他に類を見ない功績を遺しました。
日清戦争では、「豊島沖海戦」に関する秀逸な対処で、欧米の軍人、知識人を唸らせ、日露戦争においては、連合艦隊を率いた有名な「日本海海戦」で、当時世界屈指の戦力を誇ったロシア帝国海軍「バルチック艦隊」を「敵前回頭戦法(丁字戦法)」にて、一方的に破って日本の戦争勝利を確実なものとしました。
日本海海戦時に元帥が艦隊に訓示した...
「皇国ノ興廃此ノ一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ」
...という文言も有名ですなぁ。
また、元帥は「慎重・寡黙にして実直な性格」(海軍大臣山本権兵衛)、「武人の猛々しさを慈愛の心で包んだような人柄」(御学問所倫理のご進講役杉浦重剛)と、人柄も高く評価されており、後世代の内外海軍関係者から敬愛を受けています。
太平洋戦争当時の米国太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ提督は、若い頃下士官として、元帥に会って以降、元帥を敬愛していましたが、太平洋戦争で、日本海海戦当時の元帥の部下であった山本五十六連合艦隊司令長官の暗殺を命ずる事となったのは皮肉です。
東郷平八郎は、1914年に東宮御学問所総裁へ着任しました。
過去何回か私の記事に書きましたが、明治大帝は若い頃、侍従として自身に仕えた幕末の偉人山岡鉄舟に薫陶を受けられていますが、昭和天皇は、大正時代に東郷から薫陶を受けられています。
当初東郷は、「私は軍人ですから、学問所の職は相応しくありません」と固辞しましたが、宮内大臣の渡辺千秋や伏見宮貞愛親王から「お上の内意(東郷を高く評価していた大正天皇の御心)である。」と強く諭され、やむなく引き受けたといわれています。東郷がこの時の心境を詠んだ歌が遺っており...
おろかなる 心につくす
誠をば
みそなはしてよ
天つちの神
...という、真面目な人柄の滲む歌です。
ところで、東郷平八郎が1934年に死去した後、各地に「東郷神社」が建てられ、東郷を「軍神」として祀っていますが、東郷自身は生前、自身を陸軍の乃木希典大将のように神格化する事に否定的だったと言われます。
...という事なんですが、「護国の軍神東郷元帥」という格調高い軍歌も作られています。
「護国の軍神東郷元帥」(1935年、作詞:松島[酒井]慶三さん[当時.海軍少佐]、作曲:海軍軍楽隊)
「北九州市立年長者研修大学校」菊池満講師(日本近世・近現代史専門)
公式YouTube👇
一方東郷の実家は、元々相模国渋民氏の出自で、日蓮宗に帰依しており、東郷の生前の了承の下、遺族より寄付された土地に「聖将山東郷寺」が建立されています。
「聖将山東郷寺」(東京都府中市清水が丘三丁目40-10)
※画像はphotoAC(www.photo-ac
.com)より引用しました。
因みに、東郷平八郎の墓所は、私の居住地の隣町で、東郷寺と同じ府中市の多磨霊園にあります。
