【起稿2026年5月11日記事】

萩原朔太郎は、群馬県北曲輪町(現群馬県前橋市)で医師の子として生まれましたが、1910年に上京して「慶應義塾大学部予科」に入学し、在学中の1913年に北原白秋の雑誌「朱欒」に初めて「みちゆき」ほか五篇の詩を発表、詩人として出発しました📗
萩原朔太郎記念「前橋文学館」公式サイト👇
またそこで、室生犀星と知り合い、犀星とは生涯の友となりました。
翌年帰郷した朔太郎は犀星、山村暮鳥と3人で詩・宗教・音楽の研究を目的とする「人魚詩社」を設立。1915年には詩誌「卓上噴水」を創刊しました。
更に、1916年6月に犀星との2人雑誌「感情」を創刊し、高度に成熟した散文詩や評論を発表し始め、1917年には32歳で、第一詩集「月に吠える」を自費出版にて刊行しています📘
この詩集は、内容・形式共に従来の詩の概念を破り、口語象徴詩・叙情詩の新領域を開拓し、詩壇に確固たる地位を確立し、大御所森鷗外の絶賛を受けるなど、一躍詩壇の寵児となりました😉
その後、大正中期には、「万葉への回帰」を訴え当時の歌壇と対立し、晩年は国粋的な「日本主義」に傾斜しましたが、太平洋戦争中に、東京都世田谷区代田の自宅にて没しました🙏
では、朔太郎の詩を何篇か紹介いたします...
「危険な散歩」
春になつて、
おれは新らしい靴のうらにごむをつけた、
どんな粗製の歩道を
あるいても、
あのいやらしい音がしないやうに、
それにおれはどつさり
壊れものをかかへこん
でる、
それがなにより
けんのんだ。
さあ、そろそろ歩き
はじめた、
みんなそつとしてくれ、
そつとしてくれ、
おれは心配で心配で
たまらない、
たとへどんなことが
あつても、
おれの歪んだ足つきだけは見ないでおくれ。
おれは
ぜつたいぜつめいだ、
おれは
病気の風船のりみたいに、
いつも憔悴した方角で、
ふらふらふらふら
あるいてゐるのだ。
(「月に吠える」、出典元:「青空文庫」)
※杖歩行の私としては、心に刺さります。
「殺人事件」
とほい空でぴすとるが
鳴る。
またぴすとるが鳴る。
ああ私の探偵は玻璃の衣裳をきて、
こひびとの窓から
しのびこむ、
床は晶玉、
ゆびとゆびとの
あひだから、
まつさをの血がながれて
ゐる、
かなしい女の屍体の
うへで、
つめたいきりぎりすが鳴いてゐる。
しもつき上旬はじめの
ある朝、
探偵は玻璃の衣裳をきて、
街の十字巷路よつつじを
曲つた。
十字巷路に秋のふんすゐ、
はやひとり探偵はうれひをかんず。
みよ、遠いさびしい大理石の歩道を、
曲者はいつさんにすべつてゆく。
(「月に吠える」、出典元:「青空文庫」)
※私は、この詩の背景を知りませんが、朔太郎は、推理小説でも読んだのでしょうかね😱
「天景」
しづかにきしれ四輪馬車、
ほのかに海はあかるみて、
麦は遠きにながれたり、
しづかにきしれ四輪馬車。
光る魚鳥の天景を、
また窓青き建築を、
しづかにきしれ四輪馬車。
(「月に吠える」、出典元:「青空文庫」)
「五月の貴公子」
若草の上をあるいて
ゐるとき、
わたしの靴は白い足あとを
のこしてゆく、
ほそいすてつきの銀が
草でみがかれ、
まるめてぬいだ手ぶくろが宙でおどつて居る、
ああすつぱりといつさいの憂愁をなげだして、
わたしは柔和の羊に
なりたい、
しつとりとした
貴女のくびに手をかけて、
あたらしい
あやめおしろいの
にほひをかいで居たい、
若くさの上をあるいて
ゐるとき、
わたしは五月の
貴公子である。
(「月に吠える」、出
典元:「青空文庫」)
「神に捧ぐる歌」
あしきおこなひを
する勿れ
われはやさしき
ひとなれば
よるも楊柳(やなぎ)の
木影にうち伏し
ひとり居て
ダビテの詩をうたひなむ
われは巡禮
悲しき旅路にあるとも
わが身にそへる
星をたのみて
よこしまの道をな歩みそ
たとしへなく寂しけれども
よきひとはみな
かくある者ぞかし
われはいとし子
み神よ、めぐみを
たれさせ給へ
(「萩原朔太郎全集」、出典元:「青空文庫」)
「廣瀬川」
廣瀬川白く流れたり
時されば皆幻想は消え行かむ。
われの生涯らいふを釣らんとして
過去の日川邊に糸をたれしが
ああかの幸福は遠きにすぎさり
小ちひさき魚は瞳めにもとまらず。
(「純情小曲集」、出典元:「青空文庫」)
※「広瀬川」は前橋市のシンボルで、市街地を音をたて流れる利根川水系の流量の多い河川です。
前橋市街地を流れる広瀬川
「中學の校庭」
われの中學に
ありたる日は
艶めく情熱になやみたり
いかりて書物をなげすて
ひとり校庭の草に
寢ころび居しが
なにものの哀傷ぞ
はるかに青きを飛びさり
天日直射して熱く
帽子に照りぬ。
(「純情小曲集」、出典元:「青空文庫」)
※まさしく純情で甘酸っぱい思春期の情景です...
さて皆さん、今日は大正~昭和初期の詩人で、「近代詩の父」と呼ばれる萩原朔太郎(1886年-1942年)の忌日、「朔太郎忌」です😔

※画像はイラストAC(https://www.ac-illust.com/)より引用しました。
萩原朔太郎は、群馬県北曲輪町(現群馬県前橋市)で医師の子として生まれましたが、1910年に上京して「慶應義塾大学部予科」に入学し、在学中の1913年に北原白秋の雑誌「朱欒」に初めて「みちゆき」ほか五篇の詩を発表、詩人として出発しました📗
萩原朔太郎記念「前橋文学館」公式サイト👇
またそこで、室生犀星と知り合い、犀星とは生涯の友となりました。
翌年帰郷した朔太郎は犀星、山村暮鳥と3人で詩・宗教・音楽の研究を目的とする「人魚詩社」を設立。1915年には詩誌「卓上噴水」を創刊しました。
更に、1916年6月に犀星との2人雑誌「感情」を創刊し、高度に成熟した散文詩や評論を発表し始め、1917年には32歳で、第一詩集「月に吠える」を自費出版にて刊行しています📘
この詩集は、内容・形式共に従来の詩の概念を破り、口語象徴詩・叙情詩の新領域を開拓し、詩壇に確固たる地位を確立し、大御所森鷗外の絶賛を受けるなど、一躍詩壇の寵児となりました😉
その後、大正中期には、「万葉への回帰」を訴え当時の歌壇と対立し、晩年は国粋的な「日本主義」に傾斜しましたが、太平洋戦争中に、東京都世田谷区代田の自宅にて没しました🙏
では、朔太郎の詩を何篇か紹介いたします...
「危険な散歩」
春になつて、
おれは新らしい靴のうらにごむをつけた、
どんな粗製の歩道を
あるいても、
あのいやらしい音がしないやうに、
それにおれはどつさり
壊れものをかかへこん
でる、
それがなにより
けんのんだ。
さあ、そろそろ歩き
はじめた、
みんなそつとしてくれ、
そつとしてくれ、
おれは心配で心配で
たまらない、
たとへどんなことが
あつても、
おれの歪んだ足つきだけは見ないでおくれ。
おれは
ぜつたいぜつめいだ、
おれは
病気の風船のりみたいに、
いつも憔悴した方角で、
ふらふらふらふら
あるいてゐるのだ。
(「月に吠える」、出典元:「青空文庫」)
※杖歩行の私としては、心に刺さります。
「殺人事件」
とほい空でぴすとるが
鳴る。
またぴすとるが鳴る。
ああ私の探偵は玻璃の衣裳をきて、
こひびとの窓から
しのびこむ、
床は晶玉、
ゆびとゆびとの
あひだから、
まつさをの血がながれて
ゐる、
かなしい女の屍体の
うへで、
つめたいきりぎりすが鳴いてゐる。
しもつき上旬はじめの
ある朝、
探偵は玻璃の衣裳をきて、
街の十字巷路よつつじを
曲つた。
十字巷路に秋のふんすゐ、
はやひとり探偵はうれひをかんず。
みよ、遠いさびしい大理石の歩道を、
曲者はいつさんにすべつてゆく。
(「月に吠える」、出典元:「青空文庫」)
※私は、この詩の背景を知りませんが、朔太郎は、推理小説でも読んだのでしょうかね😱

※画像はイラストAC(https://www.ac-illust.com/)より引用しました。
「天景」
しづかにきしれ四輪馬車、
ほのかに海はあかるみて、
麦は遠きにながれたり、
しづかにきしれ四輪馬車。
光る魚鳥の天景を、
また窓青き建築を、
しづかにきしれ四輪馬車。
(「月に吠える」、出典元:「青空文庫」)
「五月の貴公子」
若草の上をあるいて
ゐるとき、
わたしの靴は白い足あとを
のこしてゆく、
ほそいすてつきの銀が
草でみがかれ、
まるめてぬいだ手ぶくろが宙でおどつて居る、
ああすつぱりといつさいの憂愁をなげだして、
わたしは柔和の羊に
なりたい、
しつとりとした
貴女のくびに手をかけて、
あたらしい
あやめおしろいの
にほひをかいで居たい、
若くさの上をあるいて
ゐるとき、
わたしは五月の
貴公子である。
(「月に吠える」、出
典元:「青空文庫」)
「神に捧ぐる歌」
あしきおこなひを
する勿れ
われはやさしき
ひとなれば
よるも楊柳(やなぎ)の
木影にうち伏し
ひとり居て
ダビテの詩をうたひなむ
われは巡禮
悲しき旅路にあるとも
わが身にそへる
星をたのみて
よこしまの道をな歩みそ
たとしへなく寂しけれども
よきひとはみな
かくある者ぞかし
われはいとし子
み神よ、めぐみを
たれさせ給へ
(「萩原朔太郎全集」、出典元:「青空文庫」)
「廣瀬川」
廣瀬川白く流れたり
時されば皆幻想は消え行かむ。
われの生涯らいふを釣らんとして
過去の日川邊に糸をたれしが
ああかの幸福は遠きにすぎさり
小ちひさき魚は瞳めにもとまらず。
(「純情小曲集」、出典元:「青空文庫」)
※「広瀬川」は前橋市のシンボルで、市街地を音をたて流れる利根川水系の流量の多い河川です。
前橋市街地を流れる広瀬川

※画像はphotoAC(www.photo-ac.com)より引用しました。
「中學の校庭」
われの中學に
ありたる日は
艶めく情熱になやみたり
いかりて書物をなげすて
ひとり校庭の草に
寢ころび居しが
なにものの哀傷ぞ
はるかに青きを飛びさり
天日直射して熱く
帽子に照りぬ。
(「純情小曲集」、出典元:「青空文庫」)
※まさしく純情で甘酸っぱい思春期の情景です...