日付が変わりました🗓
今日も東京は晴れますが、昨日より気温は下がりそうです😖
さて皆さん、今日は「鳴雪忌」です。
「鳴雪忌」は明治~大正期の、文部行政官吏にして俳人の内藤鳴雪(1847年-1926年)の忌日です☝
鳴雪は、伊予松山藩(親藩[久松松平])藩士の嫡男として生まれ、幼い頃には、後にあの新撰組の第十番隊組長になる七歳年上の原田左之助が小使(中間)として仕える等、家老級の家柄で、父親に漢籍を学んだり、あの正岡子規の外祖父で藩校明教館教授の大原観山に、漢詩を学んでいます📚
松山城

因みに、鳴雪は明治維新後、原田左之助を「子供心ながら、大変怜悧な人だと思った。」と語っています⚔️
鳴雪は、1864年の元服後、藩公の嗣子松平定昭の小姓となり、1868年12月、藩命で京都の水本保太郎の塾に学び、翌年には東京の昌平坂学問所へ入寮する等、研鑽を積み、明治新体制下では、教育等の文部行政に携わりました📝
また鳴雪は、1887年になり、東京市本鄕區に所在した「常盤会寄宿舎」(旧藩主久松伯爵家所有、現「常盤学舎」[東京都東久留米市])の監督を引き受けました。この頃、寄宿生だった正岡子規、竹村黄塔、河東碧梧桐、五百木瓢亭、勝田主計等の漢詩を添削していますが、1892年に21歳年下の子規を俳句の師としました😲

※画像はイラストAC(https://www.ac-illust.com/)より引用しました。
鳴雪の俳風は、人柄そのままで、恬淡、洒脱とされます😊
鳴雪は、1925年12月21日に脳溢血(脳出血)で右半身不随となり、更に肺炎を併発し、翌1926年2月20日に、東京市麻布区笄町(現西麻布四丁目)の自宅で没しました🙏
それでは、鳴雪の句を紹介いたします...
柑子むく 妹が爪先
春寒し
暖かや 君子の徳は
風なれば
(以上「鳴雪句集」から)
只頼む
湯婆(たんぽ)一つの
寒さかな
※この句は、辞世の句とされています。
最後に、「鳴雪忌」を季語に採用した句を紹介します...
おほかたの 故人空しや
鳴雪忌
(高濱虚子)
今日と知り 幅かけかへぬ
鳴雪忌
(野村泊月)