【内容2025年12月17日記事】
今日は13時30分から散髪の予約を入れていたので、いつもの理髪店に行ってきました💈
理髪店のマスコットキャラクター
(お店の了解を得て引用しています。著作権は「ヘアリゾート・クリップス」さんにあります。)
今日も、いつも通り短髪(襟足とサイドは刈り上げ)にカット、シェービング、シャンプー、マッサージ付きの総合調髪でサッパリしました😌
シャンプーの際の頭皮マッサージと、シェービングの際のフェイスマッサージが最高です😆

※画像はイラストAC(https://www.ac-illust.com/)より引用しました。
散髪は小1時間で終了し、まだ帰宅するには時間が早いので、先月に続き、電車乗降訓練をする事にしました👊
理髪店から最寄り駅まで約300m杖歩行です。
商店街の児童公園にクリスマスツリーが🎄...


この駅は沿線でも1、2を争う駅前の寂しい駅です😣
でも、広場左奥赤い看板の「宝華」という中華料理屋は武蔵野地域では油そばの老舗として有名な店で、昼前には長蛇の列が出来ます🍜😋改札前


今日は我が町より更に西の方にある国立市まで足を延ばしました🚋

下りホームから「大学通り」を望む
(「大学通り」は、あの久保田早紀さんが名曲「異邦人」の「子供達が~♪ 空に向かい~♪両手を広げ~♪」のフレーズを思いついた場所と言われています😌)
国立市は、元々市南部の甲州街道沿いの谷保天神を中心とした谷保地区が早く開けました⛩️
その後、谷保村北部の森林が大正時代末期に「箱根土地」(現西武グループ「コクド」)の堤康次郎氏により住宅地として開発され、東京市と多摩地域を結んでいた中央線で、東の国分寺駅と西の立川駅から1字ずつ取って、中間につくる新駅(国立駅)とその周辺の地名が「国立」と、名付けられました📄
堤康次郎氏は、東急五島慶太氏の「田園都市構想」に対抗して国立を「文教都市構想」に基き東京商科大学(現一橋大学)を誘致する等して、田園都市並に区画整理された高級住宅街を開発しました🏗️
国立市は太平洋戦争後、隣の立川市に米軍が進駐し、それに伴い風紀の悪化が懸念された事から、1952年に東京都に申請して「文教地区」の指定を受け、現在も風営法対象店舗等は見られ無い町です。
誇らしげな「文教地区」の看板

旧国立駅舎

今日なぜ国立市まで行ったかと言うと、来月、障害者総合支援法補装具費支給制度を利用して装具を新調する際に、この町にある「東京都心身障害者福祉センター(多摩支所)」で、判定を受ける必要があり、下見を兼ねて電車乗降訓練をしたのです🧑🦯
今日も無事安全な動作が出来たのでホッとして帰路につきました✌
帰りがけに買い物もしたので、自宅近所までたどり着くと、もう、暗くなり始めてきました🌃


