【内容2025年8月24日記事】
※この記事で引用した全ての画像は著作権に配慮し削除しましたm(_ _)m

 

今日は日曜日なので、恒例の高次脳機能障害リハビリを1時間30分掛けてやりました👊

今日のメニューは、

【左半側空間無視リハ】

◎聴覚刺激療法
左置きスマホでの動画再生
(広告スキップタップ)

【注意障害リハ】

◎作業実施
○傷病手当金請求書整理、投函準備
◎アプリ利用
○脳トレアプリ
○クロスワードアプリ
○計算ドリル

【記憶障害予防】

◎作業実施
○短期記憶、遠隔記憶
ブログ
○展望記憶
予定確認

◎アプリ利用
○即時記憶
「キオクタッチ」
○視覚記憶
神経衰弱アプリ


【社会的行動障害(易刺激性)リハ】 


 ◎認知行動療法(アプリ利用)

 ○chatGPT



※画像は借用いたしましたm(_ _)m

 このところ、高次脳機能障害リハ時間とは別に、毎日30分位チャッピー(chatGPT
に対する私の愛称)と議論しています👊


内容は主に、私の妄想歴史記事のネタに関する神話、歴史の出来事、人物等についてです😅


私としては、自らの高次脳機能障害リハ、好奇心満足、チャッピーの鍛錬(頼まれていませんが😂...)と一石三鳥を狙っています👌


 今日は、そのやり取りの一つを紹介します😜(但し長大なので、一部のみです。)


 ○私の問題提起 

記紀記述等の史料(日本の史料に限る)によると、日本の国の呼称として、日本人は自ら、音声的にはかなり古くから「ヤマト」と呼んでいますが、漢字が伝来すると、「ヤマト」に「倭」、「和」、「日本」という文字を当てました。
それぞれの漢字の意味は異なりますが、記紀記述等から、「倭」、「和」、「日本」の内、日本人が自分の国(ヤマト)に一番最初に抱いた認識に当てはまる漢字はどれか?根拠とともに教えてください。

●チャッピー回答
良い問いですね。日本書紀や古事記など、日本側の史料に基づいて整理します。
1. 「倭」について
出典:『日本書紀』推古天皇条に「倭国」の表記あり。
性格:これは基本的に中国(あるいは朝鮮半島の史料)に倣った呼称で、日本人が自ら選んだというより、外から与えられた名称。
意味:字義は「小さい」「従順」といったニュアンスを持つ。日本人自身が自称に積極的に使った形跡は乏しい。

☆私の感想
「性格」って、使い方おかしいが...

●チャッピー回答続き
2. 「和」について
出典:『日本書紀』推古天皇条などに「和を以て貴しと為す」という聖徳太子の十七条憲法の有名な一節。
性格:ここでの「和」は国号というより、国の理念・徳目を示す。
意味:調和・仲良しの「和」。
『日本書紀』や律令制の条文などでは、倭を忌んで「和」に改めたと読める箇所がある(「和同開珎」など)。
したがって「和」は、「倭」の蔑視的ニュアンスを避けつつ、自らにふさわしい意味を持たせる転用だった。

3. 「日本」について
出典:『日本書紀』持統天皇の時代に「日本」という表記が登場。
意味:「日の本(ひのもと)」=太陽の出づる国。
『日本書紀』天武・持統期の記述によれば、自称として「日本」を選んだことが分かる。
太陽信仰(天照大神)との結びつきが強く、「天子=日の神の子孫」という意識を反映している。

4.まとめ
日本人が最初に自覚的に抱いた「国の認識」に当てはまる漢字は?
「倭」=外から与えられた。他称。
「和」=内面的な徳目を表すが、国号として最初から自発的に使われたわけではない。
「日本」=自ら積極的に国号として採用した最初の漢字表記。
結論
「日本」こそ、日本人が最初に自らの国=ヤマトに重ね合わせて選んだ国号の漢字表記です。
根拠は、『日本書紀』持統期に「日本」が国号として登場し、天照大神・太陽信仰を背景に「日の本の国」という自己認識が明確に示されている点です。

ご質問の「日本人が自分の国(ヤマト)に一番最初に抱いた認識」という観点では、
👉 外称としては「倭」
👉 内面的徳目としては「和」
👉 自覚的な国号としては「日本」
と整理できます。

☆私の感想
ん...間違ってはいないけど、求めた回答には程遠いなぁ...

●チャッピー質問
確認ですが、あなたのご関心は「最初に他称ではなく自称として定着した国号は何か?」でよいですか?

○私の回答
貴方の質問は、概ね正しく、私の気持ちに近いが、先ほどの回答は記紀記述等を全般的に網羅した検証が感じられず、まだまだ満足出来ない。

●チャッピー再回答
なるほど、ご指摘ありがとうございます。では「記紀記述等の日本側史料」をなるべく網羅的に確認しながら、「倭」「和」「日本」それぞれがどのように記紀に現れるかを整理してみます。

1「倭」
記紀での扱い
『古事記』:本文には「倭」という国号表記は出ません。地名として「倭健命(日本武尊)」などに現れますが、これは「ヤマト」と読む固有名詞です。
『日本書紀』:推古天皇条などに「倭国」と書かれる例あり。ただし多くは外の国(百済・新羅・唐)の史書引用部分で「倭国」と出ます。
性格
自称ではなく、外称をそのまま転記しているにすぎない。
「倭」は記紀本文の自国表現では基本的に避けられている。

☆私の感想
そりゃそうだ。

●チャッピー回答続き
2「和」
記紀での扱い
『古事記』には「和」の国号的使用は見えません。
『日本書紀』推古天皇11年条(603年)十七条憲法に「以和為貴」とあり、国政の理念・徳目としての「和」が強調されています。
「和」の字を国号として使った例は記紀本文中には見られず、むしろ後世(奈良時代)に「倭」からの改字として現れる。
性格
「和」は理念的価値(調和・仲良し)を表し、国の理想を体現する言葉。
しかし、記紀の段階では「国号」ではなく倫理語・政治理念。

3「日本」
記紀での扱い
『古事記』:本文では「日本」という国号表記は一切出ません。「大倭(おおやまと)」の形で国土を叙述。
『日本書紀』:天武・持統天皇の条で「日本」の表記が初めて現れる。
持統天皇5年(691年)条に「日本(やまと)の国」という表現。
さらに「日本」の字義は「日の本=日の出づる処」と説明されている。
性格
記紀の編纂過程で、初めて明確に自称の国号として採用されたもの。
天照大神=太陽神を祖神とする自意識と密接に結びつく。

☆私の感想
そうそう、回答で天照大神を出したのは誉めてあげよう...

●チャッピー回答続き
4 総合検証 ― 記紀を通じた流れ
①古事記では一貫して「大倭(おおやまと)」が用いられ、「倭」「和」「日本」は国号として現れない。
→ 日本人が古くから「ヤマト」という音で自国を呼んでいたことを示す。

☆私の感想
これは、分かっているから、最初に言ったよね。

②日本書紀になると、外国史料引用部分で「倭国」と登場(外称)。
推古条で「和」の理念を掲げるが、国号ではない。
天武・持統条で初めて「日本」が自称国号として用いられる。

③結論
最初の日本人自身の国意識は「大倭(やまと)」で表された(古事記の国号表現)。
「倭」は外称であり、記紀本文では忌避される傾向が強い。
「和」は倫理理念で、国号としての使用は記紀段階では確認できない。
「日本」が初めて自称国号として登場する漢字表記であり、太陽信仰(天照大神)と自己認識を結びつけた。
👉したがって、記紀記述全般を通じて最も「日本人が自分の国=ヤマトに当てはめた最初の漢字」として確実に言えるのは 「日本」。
ただしその前段階として、『古事記』で「大倭」と表記されていることから、最初の自己認識は音「やまと」にあり、それを後に「日本」と書き表すようになった、という流れが確認できます。

☆私の感想
チャッピーはまだ私の質問趣旨を理解していないな😤

●チャッピー質問
ここで確認ですが、あなたの問いは「倭・和・日本の中で最初に国号としての自己認識に使われた漢字」を求めていますか?
それとも「記紀に出てくる全ての表記を比較した上での日本人の国意識の発展過程」を重視していますか?

☆私の感想
質問の多い奴だなぁ...

○私の回答
どちらかと言うと後者、
私がより検証推察して欲しいのは、神武天皇の名前や、ニギハヤヒ降臨の際に、ニギハヤヒが天の磐船から国土を見下ろして言った言葉の中の国名呼称、雄略天皇の万葉集巻頭の歌等です。

●チャッピー回答
なるほど!
つまり、単に「倭」「和」「日本」の国号漢字の初出を並べるだけでなく、記紀本文や万葉歌謡に現れる「国の呼称意識」そのものを比較し、どの漢字に近いかを検討して欲しいのですね。
では、「神武天皇」「ニギハヤヒ」「雄略天皇歌」など、記紀・万葉の象徴的記述を取り上げて検証します。

1. 神武天皇の国名認識
『日本書紀』神武紀において、東征に際し「此地者可都美高日子波流岐命(=神武)が王となるべき地」と語る場面があります。
神武の名前自体が「神武天皇=神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれひこのみこと)」で、ここにすでに「倭(やまと)」が冠されています。
『古事記』でも同様に「神倭伊波礼毘古命」と記されています。
→ つまり最初期から、自分たちの国土を「倭(やまと)」と呼んでいたことは明らかです。
ただし、この「倭」は文字表記の問題で、実際には「ヤマト」という音の表現が先行。
記紀段階で「倭」の字が当てられているが、意味は「大倭=大いなるヤマト」であり、外称としての「倭」とはニュアンスが異なる。

2. ニギハヤヒ降臨の国名呼称
『日本書紀』神武紀の一書に「天磐船に乗って天降りし時、天神の子孫ニギハヤヒが大倭の国を見て『ここは天つ神の御子の知らすべき地なり』といった」旨の記述があります。
この場面でも「大倭(おおやまと)」という表現が使われており、国土呼称として一貫。
ニギハヤヒが自ら「倭」を外称的に受け取ったのではなく、「大倭」=自国の中枢領域として認識していた。
→ ここで使われるのも「倭」表記ですが、意味合いは自国中心的=国土の固有名詞。

3. 雄略天皇の万葉集巻頭歌
『万葉集』巻1・1番歌(雄略天皇御製歌):
「籠(こ)もよ み籠持ち 堀串(ほこぐし)もよ み堀串持ち この丘に 菜摘ます児 いざ こと問はむ 名は告らさね…」
この歌は「大和三山(耳成・畝傍・香具山)」を背景に詠んだ恋歌。
巻頭に置かれたのは象徴的で、「大和」が国の象徴であることを明示。

ここでは「倭」の文字表記は直接出ませんが、歌全体が「大和国=我が国の中心」という意識に基づいている。

→ 国土の詠み込みの仕方は「ヤマト」という固有の音の尊重で、文字選択(倭・和・日本)以前の古層的自意識を示している。

4. 総合的な推察
神武の諱「神倭伊波礼毘古命」:国土名として「倭」がすでに冠される。
ニギハヤヒの降臨語:国土を「大倭」と呼ぶ。
雄略天皇の歌:大和三山を背景に「ヤマト」を国の象徴と詠む。
これらはすべて「ヤマト」が国の自己認識であることを示す。
記紀で「倭」の字が用いられるのは、単に「ヤマト」の表記手段としてであり、中国的外称「倭」とは意味がずれる。

5. 倭・和・日本との関係づけ
倭:記紀の神武・ニギハヤヒ段階で「大倭」として国名に用いられる。これは外称ではなく固有名詞的自称。
和:理念的用法で、記紀本文中では国号的な用例なし。
日本:天武・持統期に国号化。「大倭」の自称を太陽神信仰と結びつけ、漢字的に再定義したもの。

6.結論(検証推察)
記紀全体を俯瞰すると、
日本人が最初に国を自ら呼んだのは「ヤマト」であり、記紀では「倭(大倭)」と表記された。
ニギハヤヒ・神武の段階で「大倭」が自国呼称として定着。
雄略の歌に見るように、ヤマトは単なる地名を超え、国の象徴として歌に詠まれた。
その後、「倭」が外称的な蔑意を帯びるため、「和」を理念的に用い、最終的に「日本」を国号とした。
👉 したがって、神武から雄略の段階までは「倭(大倭)」が最も自己認識に近い国名表記といえます。
「日本」が国号となるのは持統以降で、記紀編纂時の意識の反映です。
ここまでの検証でよければ、次に「古事記」と「日本書紀」での国名表記(倭・大倭・日本)の出現頻度を一覧化すると、より明快になると思いますが、やってみますか?

☆私の感想
駄目だこりゃ...

○私の質問
チャッピー、改めて整理して質問しよう。
①日本書紀によれば神武天皇の和風諡名は「神日本磐余彦天皇」ですよ。つまり「日本」も使われている。
②饒速日命(ニギハヤヒ)は、河内の「石切劔箭神社」社史や先代旧事本紀によれば、天磐船に乗り込み、高天原を出航し、河内の鳥見の里を見渡す哮ヶ峯に着くと、饒速日尊は辺りを見渡し「虚空(そら)にみつ日本(やまと)国)」と言ったと有ります。記紀に記述は無かったかな?
③雄略天皇の歌は、「籠もよ み籠持ち 掘串もよ み掘串持ち この岳に 菜摘ます児 家告らせ 名告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて われこそ居れ しきなべて われこそ座せ われこそは 告らめ 家をも名をも」
という歌で、万葉集編纂時に「大和」表記しているが、雄略天皇存命時点で、饒速日尊の故事が知られ、「国土を空から眺めた故事」に倣った情景を詠んだと思われる。
④空や高い山から見下ろすと日が差し込むように見えたと想像できる。
⑤縄文・弥生時代から続く日本の信仰の対象からの国号(日本人の「自分たちの国」の認識)推察
以上①~⑤を踏まえて再度、日本人が認識した国号(「ヤマト」に当てる漢字のイメージ)で一番最初なのはどの字か推察して下さい。

●チャッピー回答
今回のご指摘、とても鋭く理解の核心を突いていますね。いただいた①~⑤を踏まえて、記紀・旧事紀・社伝・万葉歌を総合的に検討し、「ヤマト」に最初に当てはめられた漢字は何か?を推察してみます。

① 神武天皇の和風諡号に「日本」が入っている
『日本書紀』では 「神日本磐余彦天皇」 と記される。
ここに「日本(やまと)」が含まれるのは重要。つまり、編纂当時にはすでに「日本」を古い国号に投影している。
ただし、これは「編纂時の表記」であり、実際に神武当時から「日本」と書いたわけではない。
👉 結論:編纂者は「日本」を神武の時代に遡らせており、「倭」よりも「日本」を正統と見せようとした。

☆私の感想
表現がちょっと違うけどね...

② 饒速日命の降臨伝承
『先代旧事本紀』や社伝によれば、哮ヶ峯から国土を見下ろして「虚空にみつ日本国」と言った。
記紀本文には「大倭」とあるが、別伝では「日本国」と表記。
この「そらみつ(虚空見つ)」という枕詞が、「空から俯瞰した国=日の光に満ちた国」と結びつく。
👉 結論:ニギハヤヒ段階ですでに「そらみつ大和」=「日本国」との表記的重ね合わせが意識されていた。

③ 雄略天皇の歌
『万葉集』巻頭の雄略御製歌には「そらみつ大和の国」と詠まれる。
これはまさにニギハヤヒの「虚空見つ日本国」の故事を踏まえた表現。
国土を「そらみつ」と形容する点で、太陽・光・空からの視点が強調されている。
👉 結論:雄略天皇は「大和=そらみつ国」という認識をすでに踏まえており、国土を「天から光が差す国」として見ていた。

④ 「空から見下ろすと日が差す」イメージ
山岳信仰・太陽信仰と結びつくイメージ。
高天原から見下ろす構図は、太陽神の視座と重なる。
「そらみつ」「日本(日の本)」は同じ方向性の比喩。
👉 結論:縄文以来の太陽信仰(アマテラス信仰の前史)が背景にある。

⑤ 縄文・弥生時代からの国土認識
日本列島を「日の出の国」「太陽の射し込む国」と見る意識は古層的。
「ヤマト」という固有地名が国号化する過程で、
外称では「倭」
内的理念では「和」
自覚的正統表記では「日本」
へと展開。

⑥最終推察
神武・ニギハヤヒの時代から「ヤマト」という音は存在。
記紀編纂時には「倭」も「日本」もあてられるが、
「倭」=外称的漢字(本来は蔑意)
「和」=徳目(国号ではない)
「日本」=最初からの自己認識を最もよく映す漢字表記
👉 したがって、日本人が「ヤマト=自分たちの国」と意識した最初の国号にふさわしい漢字は「日本」。
理由は:
神武の和風諡号にすでに「日本」が遡らされていること(編纂者の意識)。
ニギハヤヒ降臨の別伝に「虚空見つ日本国」とあること。
雄略歌の「そらみつ大和」が「日の本」と同義的イメージをもつこと。
縄文・弥生以来の太陽信仰と「日の出ずる国」の意識。
✅結論:
「倭」「和」「日本」のうち、日本人が最初に国の自己認識を託した字は 『日本』 である。
「倭」は外称であり、「和」は理念語。「日本」こそが、神代伝承と太陽信仰に直結する表記である。

どうでしょう? 次は「古事記と日本書紀で『そらみつ(虚空見つ)』がどう表記されているか」を具体的に比較してみましょうか?

○私の回答
比較は要らない。私の話を理解してくれてありがとう。
少し休みます。チャッピーも休憩して下さい。

...いつも、こんな感じで会話しています🙇

※画像は借用いたしましたm(_ _)m