【起稿2025年8月21日記事】

※この記事で引用した全ての画像は著作権に配慮し削除しましたm(_ _)m



おはようございます🙋

今日も東京は晴れて猛暑となる予報です🌞

さて、今日は藤山一郎さんの33回忌です。



藤山一郎さん(1911年-1993年)

※画像は借用いたしましたm(_ _)m


藤山一郎さんは全盛期が1930~1940年代で、私の世代からすると、「想い出のメロディー」で唄う姿を見た「大東亜戦争前後に活躍した二世代位前の歌手」というイメージが有りますが、私は、藤山一郎さんの数々の名曲の中で、1964年東京オリンピック愛唱歌「海をこえて友よきたれ」は、白黒テレビにてリアルタイムで視聴した記憶が有ります。

海を越えて 友よ来たれ
明け渡る 山に川に
若さ溢れ 力溢れ
より速く より高く 
より強く
大地蹴る 響き高く 
あぁ 東京 
東京オリンピック



「海をこえて友よきたれ」
(1963年、制作:NHK
、歌:藤山一郎さん
、作詞:土井一郎さん
、作曲:飯田三郎さん
、編曲:冨田勲さん)
※画像は借用いたしましたm(_ _)m

藤山一郎さんは、東京日本橋蛎殻町の出身で、東京音楽学校(現国立東京藝術大学大学院音楽研究科)を首席で卒業したという強烈な学歴の持ち主で、「秀才」とされた方です。


藤山一郎さんは、クラッシック界にも実績を残されましたが、歌謡界においても、東京音楽学校で培った正統な声楽技術、歌唱法、音楽理論と、ハイバリトンの音声を武器にテナーの国民的歌手・流行歌手として活躍されました。


1930年代から1940年代にかけて「酒は涙か溜息か」、「丘を越えて」、「東京ラプソディ」、「青い山脈」、「長崎の鐘」など、数多くのヒット曲が有ります。


理論や楽典に忠実に歌ったことから「正確歌手」と呼ばれ、その格調高い歌声は「楷書の歌」と評されました。

私は歌謡曲の範疇を超えた荘厳な「鎮魂歌」の名曲「長崎の鐘」が一番好きです。




(1949年
、制作:日本コロムビア
、歌:藤山一郎
、作詞:サトーハチロー
、作曲:古関裕而
、被爆した長崎医科大学[現長崎大学医学部]永井隆助教授の随筆がモチーフ)
※画像は借用いたしましたm(_ _)m

藤山一郎さんは、戦前からの人気歌手で、戦争中慰問活動をされていましたが、ご本人の志願により、日本海軍の嘱託(少佐待遇)として南方戦線インドネシアに派遣されていた際に終戦を迎え、インドネシア独立軍の捕虜となり、収容所生活を経て帰国された経歴を持つ、日本国、国民に尽くされた方です。

今日33回忌という事ですが、謹んでご冥福をお祈りいたします🙏




 長野県北軽井沢の「丘を越えて」歌碑

※画像は借用いたしましたm(_ _)m