【起稿2025年8月16日記事】
おはようございます。
今朝の東京は曇天で、今日は、はっきりしない空模様となる予報です😥
さて今日は、従二位平朝臣政子公の忌日です。
「尼将軍」と呼ばれた通称「北条政子」 は、今から800年前の1225年8月16日(旧暦7月12日)病により死去しました。
政子の菩提寺安養院(神奈川県鎌倉市大町)※画像は借用いたしましたm(_ _)m
政子は、私情を抑え、御台所、母御前、得宗家年長者という公的立場から鎌倉幕府の屋台骨を支えたばかりでは無く、鎌倉幕府最大の危機「承久の乱」では、義時と共に御家人を指導・指揮して幕府勝利に導きましたが、これは、治天(天皇、上皇、法皇)を中心とした朝廷を政治から排除し、「権威と権力の分離」という独特な国体を確定させたという意味で、歴史に大きな影響を与えた事績です。
「日本的革命の哲学」(1982年、山本七平、PHP出版、承久の乱~御成敗式目が題材)※画像は借用いたしましたm(_ _)m
ここで、賊名を恐れ、逡巡していた御家人を鼓舞し、歴史を変えた政子の名演説を記載します...
「これが私からの最期の言葉です。
故右府頼朝公が鎌倉幕府を開いて以降、貴方達は幸せに暮らせるようになりましたね。
これは全て、頼朝公のお蔭。その御恩は山よりも高く海よりも深いのです。しかし今、天皇や上皇をそそのかす者が現れ、幕府を討伐するという道理に合わない命令が朝廷より出されています。悪いのは上皇ではなく、その周囲の人間なのです。我々がすべきことは、頼朝公が残された鎌倉幕府を守り抜くこと。そして、公から受けた多大な御恩に報いて下さい。それでも尚、朝廷側に付きたい者は、今すぐここで申し出なさい。」
※この記事で引用した全ての画像は著作権に配慮し削除しましたm(_ _)m
おはようございます。
今朝の東京は曇天で、今日は、はっきりしない空模様となる予報です😥
さて今日は、従二位平朝臣政子公の忌日です。
「尼将軍」と呼ばれた通称「北条政子」 は、今から800年前の1225年8月16日(旧暦7月12日)病により死去しました。
従二位平朝臣政子公木像(安養院所蔵)
※画像は借用いたしましたm(_ _)m
歴史好きの私が、日本史を左右した女性の偉人を5人選ぶなら、神功皇后、持統天皇、高台院、天璋院と並び北条政子を選びますね😉
政子は、私情を抑え、御台所、母御前、得宗家年長者という公的立場から鎌倉幕府の屋台骨を支えたばかりでは無く、鎌倉幕府最大の危機「承久の乱」では、義時と共に御家人を指導・指揮して幕府勝利に導きましたが、これは、治天(天皇、上皇、法皇)を中心とした朝廷を政治から排除し、「権威と権力の分離」という独特な国体を確定させたという意味で、歴史に大きな影響を与えた事績です。
ここで、賊名を恐れ、逡巡していた御家人を鼓舞し、歴史を変えた政子の名演説を記載します...
「これが私からの最期の言葉です。
故右府頼朝公が鎌倉幕府を開いて以降、貴方達は幸せに暮らせるようになりましたね。
これは全て、頼朝公のお蔭。その御恩は山よりも高く海よりも深いのです。しかし今、天皇や上皇をそそのかす者が現れ、幕府を討伐するという道理に合わない命令が朝廷より出されています。悪いのは上皇ではなく、その周囲の人間なのです。我々がすべきことは、頼朝公が残された鎌倉幕府を守り抜くこと。そして、公から受けた多大な御恩に報いて下さい。それでも尚、朝廷側に付きたい者は、今すぐここで申し出なさい。」
ドラマ「鎌倉殿の13人」での北条政子の演説シーン
※画像は借用いたしましたm(_ _)m