【起稿2025年8月6日記事】

今回の「歴史の話(妄想😅)」は、いよいよ「天孫降臨」です。
しかし、日本神話で天孫降臨は2回あります。
1回目は前回の記事で取り上げた饒速日命の話です。
前回記事で私は「饒速日命が河内に降臨する前に豊前宇佐に寄り、強大な物部軍団を根こそぎ河内、大和へ動員し、その結果北九州は軍事力空白域になった。」と書きました。
実はこの事こそ、今回取り上げる2回目「瓊瓊杵尊の降臨」の理由なのです。
北九州は朝鮮半島の楽浪郡や帯方郡と連絡・交易する上でも、瀬戸内海交通と日本海交通の接点としても極めて重要な地域で、高天原勢力は、神世七代の頃、瀬戸内海を西進して北九州に辿り着いて初めてこの土地の価値を知り、伊弉諾尊が日向(私の比定地は福岡市~糸島市)での「禊ぎ」の際に、土豪(物部氏等)や海人の一部を抱き込み支配下に置きました。
また、その後天照大神が「誓約」で生まれた宗像三女神を自らの代理として「海北道中」(北九州)に降臨させて更に支配力を強化しました。
しかし、高天原の支配下にあった物部氏の前述の東遷により、九州全体のパワーバランスが崩れ、北九州は九州中・南部勢力(熊襲等)に圧迫され、高天原の支配は風前の灯火となっていました。
※この部分以降の画像は著作権に配慮して削除しました。
この危機的状況を改善すべく天照大神と高御産巣日神は天八意命(思兼神)を交えて思案を重ねましたが、結局は「もう一度天孫を降臨させ、北九州の支配を再構築する。」しかないという事になりました。
「うーん...天忍穂耳尊の子神(饒速日命)は大和を治めていて不在だし、どーしよう😫」と天照大神が呟きました。
しかし、天忍穂耳尊に妹神栲幡千千姫命が産んだもう一柱の子神がいる事を知っていた天八意命(思兼神)は進み出ると「幸い天孫はもう一柱おられます!今度こそ上手くゆくように、今回は、私が天孫と共に降臨し、葦原中国の支配をお支えいたしましょう。」と申し出ました。
天孫が孫神となる高御産巣日神はびっくりして目を白黒させていましたが「しっかり者の天八意命(思兼神)が付いて行くなら」と思ったか黙っていました。
こうして、瓊瓊杵尊の降臨が決まり、「天児屋命」、「太玉命」、「天鈿女命」、「石凝姥命」、「玉屋命」が随伴神に選定されました🦹🧛👯👩🧝(五伴緒神)
因みに、前述の通り瓊瓊杵尊と共に降臨することを自ら申し出た天八意命(思兼神)と父神に付いて行く事にしたその御子「手力男命」及び先導護衛の「天忍日命」(大伴氏祖)と「天津久米命」(久米氏祖)は随伴神には含まれません💂🚓...
ここで、天照大神と高御産巣日神は、降臨する一行の神々に訓示(五大神勅)を行いました👴👸
まず天照大神は、瓊瓊杵尊に「天壌無窮の神勅」を下し激励しました。👸
また、瓊瓊杵尊と共に降臨する天八意命を同席させ、「八坂瓊曲玉」、「八咫鏡」及び「天叢雲剣」の三種神宝(みくさのかむたから)を瓊瓊杵尊に授けると「宝鏡奉斎の神勅」を下し、高天原の最高神として信仰の正しいあり方を示しました💁
更に、随伴する天児屋命と太玉命を呼び、高天原の斎庭の稲穂を預け、富国の心掛けである「斎庭の稲穂の神勅」を示し、瓊瓊杵尊に伝えるように委ねるとともに🌾二柱の神に天照大神は「侍殿防護の神勅」を🎑高御産巣日神は「神籬磐境の神勅」を下し⛩️瓊瓊杵尊の祭祀の適正な補佐について諭しました🦹
兄神饒速日命の時とは違い、未だ若い弟神瓊瓊杵尊はそれこそ高天原純血で、高御産巣日神にとっては可愛い嫡孫であり、高御産巣日神は瓊瓊杵尊に神体を護る真床覆衾(マントの様な神衣)を着せただけでは足りず🦸「わしゃ、ちょいと見送りに行く」と言って降臨一行の後について出掛け、天照大神もじっとしている訳にも行かず、天八意命と話ながら後を追いました👴👸
一行が途中の「天之八衢」まで来ると、先導護衛の天忍日命達から「葦原中国までを照らしている異形の神が立っている。」と注進が入りました🏃
因みに、私は「天之八衢」を
岡山県高梁市高倉町~成羽町と比定します。理由は...
①瓊瓊杵尊一行は海上から船にて筑紫の日向(福岡県日向峠付近)に「降臨」したと推察するが、高梁市は高天原(岡山県蒜前高原)から瀬戸内海沿岸の良港鞆の浦までの中間点にある。
②高梁市成羽町天神山山頂から瀬戸内海を遠望出来、異形の神(後述するが「猿田彦」の事で、「猿田彦」は記紀記述等で、高天原と葦原中国の境の海に近い高台に出没する。)が待ち構えそうな地である。
③「天之八衢」という地名から、高天原~葦原中国の経路の内高天原に近い地とする説が有力だが、この地域は私が高天原と比定している岡山県蒜前高原から約40㎞と比較的近く、更に高梁市高倉町大瀬八長は、古来より、高梁川、備前往来、新見往来、玉島往来、笠岡往来等が交差する交通の要衝で「八衢」の名に相応しい。
...以上3点です。
さて、天照大神と高御産巣日神は「チャラい」天鈿女命を呼び、「其方は、誰とでも会話をするし、物怖じしない。ここは其方、あの異形の神に名を尋ねて参れ」と命じました。👺👯(そりゃぁ、まぁ、人選そうするか?)
「チャラい」天鈿女命は、肌を露わにした「ヤバい」姿で異形の神に近づくと...
👯「ネェネェ、鼻のデッカイおっちゃん!」
👺「...あっ...う~ん...なぁ~に💕」
👯「あんさ~、おっちゃん何でそこ突っ立ってんの?メッチャ気になるんだけど。」
👺「其方こそ、何故そんな淫らな姿で、儂に迫るのじゃ...それに儂は、国津神の猿田彦と申し『おっちゃん』ではない!」
👯「それよか、これから高天原のお偉いさんが通るんだど、おっちゃん、どうすんの?」
👺「...ふむ、儂は、間もなく高天原の貴公子がここを通ると聞き及んで、お迎えして御案内仕ろうと、お待ちしておったのじゃが...」
👯「へ~、そんじゃ聞くけど~、葦原中国の何処へ御案内すんの?」
👺「...筑紫の日向の高千穂
触之峯(くぢふるのたけ)
じゃな...」
👯「そーなんだ!ちょっと待ってな、おっちゃん!」
👺「(だから、『おっちゃん』ではなく...)」
ここで天鈿女命が復命したところ、降臨神の長、瓊瓊杵尊はニヤニヤして天鈿女命に「よし!分かった。我らはこれより猿田彦の案内にて日向へ向かうが、其方はこの後、猿田彦と夫婦となり、猿田彦が向かう先で二柱で仲良く暮らすのだ。」と命じました。
猿田彦と天鈿女命の話はまだ続きますが、神話の重要部分から外れますので、私の記事では割愛します🙇
一行は天照大神と高御産巣日神に別れを告げ、猿田彦の案内で道を進み、瀬戸内海沿岸に辿り着きました。
瀬戸内海海上交通の要衝鞆の浦に至ると、一行は、出迎えた大山祇神(!)の用意した船に乗り込み瀬戸内海を西進し、穴戸(関門海峡)、宗像を通り、筑紫の長垂浜に船を着け、先導護衛の天忍日命達を先頭に、浜からほど近い日向の二つの頂のある峯(高千穂触之峯)に辿り着き、頂の間の平らな地に立ちました。
この記事の始めに貼り付けた「三貴神誕生」という記事に書きましたが、私は日向を福岡市西区~糸島市の日向峠付近、高千穂は日向峠に近い高祖山に比定しています。(記事には書きませんでしたが、「禊ぎ」の地は同地域の小戸公園内に比定出来ます。)
邇邇芸命は、眼下の怡土の地を見渡し、一行に対して「この国は、『韓国(からくに)』に向かい、『笠沙の岬』まで真の道が通じていて、朝日のよく射す国、夕日のよく照る国である。ここはとても良い土地である。」と言いました。
邇邇芸命は、展望して見えた国を確かめようと、山を降り、「吾田の長屋」の「笠狭之御碕」に辿り到りました。
この地に一人の者がいて、自ら「事勝国勝長狭」と名乗りました。
邇邇芸命が「ここに国が在りや否や?」と尋ねると、事勝国勝長狭は「ここに国は有りますが、乞い願わくば御心のまま存分に致してください。」と答えました。
そこで邇邇芸命は、そこに宮殿を建てて住むことにしました。
また二つ地名がでましたが、「吾田の長屋」は高祖山西麓の「三雲・南小路遺跡」(考古学会で伊都国中心・王墓域に比定)を比定します。(ただし、天孫の墳墓は別に比定)理由は...
①私の天孫降臨時代比定は
2世紀末~3世紀初めとしてます。
三雲・南小路遺跡を含む三雲・井原遺跡は弥生時代全期間に跨がる遺跡ですが弥生時代後期(2世紀~3世紀)に内容が変容した事が知られており、天孫降臨後に「邇邇芸命が入国して宮殿を建てた」という話に合致する。
②糸島平野は水利に恵まれ、弥生時代以前から水稲稲作をしていましたが、三雲・南小路遺跡は、その水田を見下ろす位置に在り「吾田の長屋」(「長屋」は「役所」といった意味)という名にふさわしい。
次に事勝国勝長狭と出会った「笠狭之御碕」ですが、私は福岡市西区今宿を比定します。理由は...
①古代糸島平野に入り込んだ「今津湾」と博多湾を隔てる半島状の地域で、北は狭く岬になっていた。
②外国船の寄港もあった今津へ出入りする船舶を監視しやすい場所である。
③事勝国勝長狭は後述の通り海人と思われ、海に突き出したこの地は海人の住処として絶好の地である。
ところで、日本書紀の一書によれば、邇邇芸命に国を奉った事勝国勝長狭は、伊弉諾尊の御子で、またの名を「塩土老翁」(!)と言うとあります😲
塩土老翁は天孫降臨~神武東征の間、何回か登場し天孫を助ける重要な神ですが、不詳なところが多い謎の神です😓
私は以下の共通点から塩土老翁は神武東征後半に現れる軍師椎根津彦命と異名同神と比定します😁
①共に、海上又は沿岸に出没し、海神系の国津神と思われる。
②塩土老翁は「鹽竈神社」(宮城県)に、椎根津彦命は「大和神社」(奈良県)に、共に、猿田彦と祀られている道先(水先)案内神。
③記紀記述、各地神社伝承の姿が類似している。
また、二柱は通説では、綿津見系に比定される事が多いのですが、塩土老翁は河内~大和情勢に詳しい、椎根津彦命は瀬戸内海に出没する点から、椎根津彦命について「国譲り」の記事に書いた通り、異名同神のこの神は、大山祇系と比定します。
では、今回はこの辺りでお暇します🙇



