【起稿2025年8月1日記事】
※この記事で引用した全ての画像は著作権に配慮し削除しましたm(_ _)m
おはようございます。
今朝の東京は曇天ですが、台風9号接近により、風雨が強まる予報です🌀
さて、とうとう今年も8月になりましたねぇ...2025年の後半戦も頑張りますか👊
...という事で、今日は「八朔」です。
朔日というのは、月初め、1日の事ですね。
たとえば、神社には「朔日参り(ついたちまいり)」という言葉があります。毎月1日に家や土地を守ってくださる氏神様を参拝することで、その月も平穏無事に暮らせるようにお祈りをします。
「八朔」は、旧暦の8月1日のことを指しています。八月の朔日、と書いてそのまま「はっさく」と呼びます。
本来は旧暦の8月1日なので
、新暦に置き換えると、8月下旬から9月頃にあたります。(※2025年の新暦における「八朔」は9月22日)
この時期は、稲作を行っている人たちにとって、田んぼに稲穂が実りだすとても大切で希望のある季節。
秋の収穫を前に「初穂(はつほ)」という収穫前の稲穂を神様へお供えし、日本各地で「豊作祈願」の祈りが捧げられてきました。
田んぼの実りを祈願するという意味を込めて、この日は「田の実の節句・田実(たのむ)の節句」とも呼ばれています。「田の実」が転じて「頼み」となり、農村においてはよく頼みごとをするような親しい相手――家族や親戚、身近な知人・友人などに、稲穂を贈る慣習も生まれました。
「秋風に 遭ふ田の実こそ
悲しけれ 我が身虚しく
なりぬと思へば」
(小野小町、古今和歌集)
※画像は借用いたしましたm(_ _)m
考えてみれば、昔は今のように、離れた人と繋がって助け合うような手段や機会は、まずなかったわけです。
だからこそこの文化が、きっと身近に助け合うことができるような人との結束を強める、大切なきっかけでもあったのではないでしょうか。
それが次第に農家だけでなく、武家や町人の間でも「贈り物」を交わし合う日として広がっていったとされています。
江戸時代になると、徳川家康が江戸城に入城した日が天正18年(1590年)の8月1日であったことも重なり、八朔は幕府にとっても重要な日とされ、大々的にお祝いが行われるようになりました。
各地の武士たちが次々将軍家を訪れて、祝辞を申し述べる「八朔の祝い・八朔の礼」と呼ばれる行事が行なわれていたのだとか。
現在も、新暦の8月1日、月遅れの9月1日、旧暦の8月1日(※毎年日にちが異なります)のいずれかに、各地で「八朔祭」などのお祝いが行われています。
地域によって、受け継がれてきた形は様々ですが、新暦の8月1日に京都で行われている伝統行事では、舞妓さんや芸妓さんが、日頃お世話になっているお茶屋さんやお師匠さんの処へ挨拶廻りをするのが、京都祇園における「八朔」の習わしになっているそうです。
※画像は借用いたしましたm(_ _)m
ところで、私の母方の祖父は、広島県江田島の出身で、私は昔、よく果物の「八朔」を食べましたが、前々から果物の「八朔」は、春に食べる果物なのに、なぜ真夏を意味する「八朔」という名前になったのか疑問だったのですが、この記事を起稿するに当たり調べたところ、広島県因島のお寺でその原木が発見された際、住職さんが「八朔の頃に食べられるだろう」と言ったことが由来だそうです
(実は全く季節外れの勘違いですが😅)