【起稿2025年7月6日記事】
おはようございます🙋
今朝も東京は雲が浮かんでいますが⛅今日は晴れて猛暑日になる予報です😱
さて、記事タイトルの「サラダ記念日」は、大阪府生まれの歌人・俵万智さんの1987年に刊行されたベストセラー歌集のタイトルです✴
『「この味が いいね」と君が言ったから 七月六日は
サラダ記念日』
という著名となった一首から7月6日に制定されています☝
俵万智さんは、この歌集刊行当時は20代半ば、高校の国語教師でした。口語の会話調で日常の景色や若い女性の心情をのびのびと歌い上げた『サラダ記念日』は、歌集としては異例の初版8000部で刊行され、瞬く間に重版を重ねて1年足らずで200万部を突破し、最終的に280万部の驚異的ベストセラーとなりました。
また「サラダ記念日」という言葉自体も、同年の新語・流行語大賞の「新語部門・表現賞」を受賞して、社会に浸透しました。
俵万智さんは「与謝野晶子以来の大型女流歌人!」「若き天才歌人!」などとも称され、昭和末期に一大短歌ブームを起こし、テレビに引っ張りだこの「時の人」となりました。
高卒で早くに社会人となって、自信過剰気味だった私は、特に年下の才能には評価が辛かったのですが、俵万智さんの鮮烈な才能には脱帽せざるを得なかったのを覚えています😅
俵万智さんは「サラダ記念日」以前より、現代口語短歌の有望詩人として歌壇では注目されていました。
私はブログ記事に度々書いているように和歌が好きで、同じ東京西部を生活圏としていた(当時、俵万智さんは東京都町田市居住、神奈川県立橋本高校教師)事から早い時期から、俵万智さんを存じ上げていました。
「サラダ記念日」は、角川短歌賞受賞者で「月刊カドカワ」の企画で注目を浴びていた俵万智さんの初歌集という事ですから、私達ファンとしては当然、角川書店からの出版になると予想していました。
しかし、当時の角川書店の角川春樹社長は自身の俳人としての経歴から、歌集、句集など短詩型文学の書籍は売れないものであると考えていたため👛出版に反対し、河出書房から出版されました🙆
ところが「サラダ記念日」は空前のミリオンセラーとなり、みすみす発刊チャンスを逸した格好になった角川春樹社長が「人生最大の失敗」と振り返ったという後日譚まで誕生しました😣
角川春樹社長(1942年-)
「サラダ記念日」の一首は、弁当を作ってボーイフレンドと野球を見に行った時に思いついたもので、鶏のから揚げをいつもと違うカレー味の味付けにしたら「美味しい」と褒められたので😲、「今日は記念日だな」と思ったのがきっかけであったと😂後日俵万智さん自身が語っていらっしゃいます(食べるならから揚げを喜ぶけど、短歌にはキツイな😅)7月6日という設定も、「なんでもない日が記念日になるという思いを表現したかったため、恋愛のイメージが強い七夕の1日前をあえて選んだもの。」との事です。また短歌の技術的には、初夏に食べたいあっさりとしたサラダ、音韻的にも爽やかな印象を出すために7月(しちがつ)とサラダのS音で頭韻を響かせている事が伺えます。実際の日付は俵万智さんは「七月でもなければ六日でもなくて、もうちょっと早い季節だったような気がする。」と振り返っていらっしゃいます😋(そりゃ、今より過ごしやすかったけど、7月の弁当のサラダはちょっと...ね😱)
最後にあと少し俵万智さんの短歌を...
君と食む 三百円の
言うけれど 勝手に赤い
畑のトマト
思い出の ひとつのようで
そのままに しておく麦わら帽子のへこみ
(1987年、「サラダ記念日」)
四万十に 光の粒を
まきながら 川面を撫でる
かぜの手のひら
ここからは 海となりゆく
石狩の 河口に立てば
立てば天啓
(1991年、「かぜのてのひら」)
男では なくて大人の
返事する 君にチョコレート革命起こす
(1997年、「チョコレート革命」)
この記事を起稿する際に調べて分かりましたが、40歳代~50歳代前半の方々は俵万智さんの短歌を中学、高校の国語の教科書で勉強したみたいですね😌
なるほど歳を取ったど😭~
※この記事で引用した全ての画像は著作権に配慮し削除しましたm(_ _)m
おはようございます🙋
今朝も東京は雲が浮かんでいますが⛅今日は晴れて猛暑日になる予報です😱
さて、記事タイトルの「サラダ記念日」は、大阪府生まれの歌人・俵万智さんの1987年に刊行されたベストセラー歌集のタイトルです✴
「サラダ記念日」
(1987年、作:俵万智さん、河出書房)
※画像は借用いたしましたm(_ _)m
『「この味が いいね」と君が言ったから 七月六日は
サラダ記念日』
という著名となった一首から7月6日に制定されています☝
俵万智さんは、この歌集刊行当時は20代半ば、高校の国語教師でした。口語の会話調で日常の景色や若い女性の心情をのびのびと歌い上げた『サラダ記念日』は、歌集としては異例の初版8000部で刊行され、瞬く間に重版を重ねて1年足らずで200万部を突破し、最終的に280万部の驚異的ベストセラーとなりました。
また「サラダ記念日」という言葉自体も、同年の新語・流行語大賞の「新語部門・表現賞」を受賞して、社会に浸透しました。
俵万智さんは「与謝野晶子以来の大型女流歌人!」「若き天才歌人!」などとも称され、昭和末期に一大短歌ブームを起こし、テレビに引っ張りだこの「時の人」となりました。
俵万智さん(1962年-)
※画像は借用いたしましたm(_ _)m
高卒で早くに社会人となって、自信過剰気味だった私は、特に年下の才能には評価が辛かったのですが、俵万智さんの鮮烈な才能には脱帽せざるを得なかったのを覚えています😅
俵万智さんは「サラダ記念日」以前より、現代口語短歌の有望詩人として歌壇では注目されていました。
私はブログ記事に度々書いているように和歌が好きで、同じ東京西部を生活圏としていた(当時、俵万智さんは東京都町田市居住、神奈川県立橋本高校教師)事から早い時期から、俵万智さんを存じ上げていました。
「サラダ記念日」は、角川短歌賞受賞者で「月刊カドカワ」の企画で注目を浴びていた俵万智さんの初歌集という事ですから、私達ファンとしては当然、角川書店からの出版になると予想していました。
しかし、当時の角川書店の角川春樹社長は自身の俳人としての経歴から、歌集、句集など短詩型文学の書籍は売れないものであると考えていたため👛出版に反対し、河出書房から出版されました🙆
ところが「サラダ記念日」は空前のミリオンセラーとなり、みすみす発刊チャンスを逸した格好になった角川春樹社長が「人生最大の失敗」と振り返ったという後日譚まで誕生しました😣
※画像は借用いたしましたm(_ _)m
小田急電鉄の当時の主力車両8000形
「サラダ記念日」の一首は、弁当を作ってボーイフレンドと野球を見に行った時に思いついたもので、鶏のから揚げをいつもと違うカレー味の味付けにしたら「美味しい」と褒められたので😲、「今日は記念日だな」と思ったのがきっかけであったと😂後日俵万智さん自身が語っていらっしゃいます(食べるならから揚げを喜ぶけど、短歌にはキツイな😅)7月6日という設定も、「なんでもない日が記念日になるという思いを表現したかったため、恋愛のイメージが強い七夕の1日前をあえて選んだもの。」との事です。また短歌の技術的には、初夏に食べたいあっさりとしたサラダ、音韻的にも爽やかな印象を出すために7月(しちがつ)とサラダのS音で頭韻を響かせている事が伺えます。実際の日付は俵万智さんは「七月でもなければ六日でもなくて、もうちょっと早い季節だったような気がする。」と振り返っていらっしゃいます😋(そりゃ、今より過ごしやすかったけど、7月の弁当のサラダはちょっと...ね😱)
最後にあと少し俵万智さんの短歌を...
君と食む 三百円の
あなごずし そのおいしさを
恋とこそ知れ
言うけれど 勝手に赤い
畑のトマト
思い出の ひとつのようで
そのままに しておく麦わら帽子のへこみ
(1987年、「サラダ記念日」)
四万十に 光の粒を
まきながら 川面を撫でる
かぜの手のひら
ここからは 海となりゆく
石狩の 河口に立てば
立てば天啓
(1991年、「かぜのてのひら」)
男では なくて大人の
返事する 君にチョコレート革命起こす
(1997年、「チョコレート革命」)
この記事を起稿する際に調べて分かりましたが、40歳代~50歳代前半の方々は俵万智さんの短歌を中学、高校の国語の教科書で勉強したみたいですね😌
なるほど歳を取ったど😭~