【内容2025年5月7日記事】

※この記事で引用した全ての画像は著作権に配慮し削除しましたm(_ _)m



お好み焼きは好き?

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さて、今日は「コナモンの日」のようですね😋

「コナモン」って言っても、広義には麺類、パン類も有りますし、地域によっても個人によっても、思い浮かぶ食べ物、好き嫌い等が有りますよね。

この記事では「コナモン」というイメージにぴったりの3種類の食べ物を取り上げます。

B級グルメの「コナモン」というと関西のイメージが強いのですが、実は、他の「コナモン」より圧倒的に早い江戸時代中期から江戸市中の屋台で売られ始めた今川焼きをルーツとする説が有力です。


※画像は借用いたしましたm(_ _)m

その後、甘味系「コナモン」は、江戸時代後期に同じく江戸市中にて、文字焼きというお好み焼きにも通じる鉄板焼き式焼き菓子を生み出しました。

※画像は借用いたしましたm(_ _)m

更に明治時代には挟み焼き鋳物を使用した鯛焼きも登場しました。
    


※画像は借用いたしましたm(_ _)m

一方、文字焼きは甘くない軽食として食べるスタイルも生み出し、大正時代には、関東~北陸~東北にどんどん焼きという名前で広まり、私が小学生の頃(昭和40年代)まで、東京では、駄菓子屋や縁日の屋台で食べられていました。


※画像は借用いたしましたm(_ _)m

どんどん焼きは、もんじゃ焼きや大阪お好み焼きのように具材を小麦粉に混ぜる事無く、小麦粉を鉄板に薄くクレープ状に伸ばし、その上に、乾物の鰹節、切りイカ、桜エビ、紅生姜等を散らして焼き、仕上げにソースを刷毛で塗った貧相な食べ物でした。

しかし、昭和初期に銀座の夜の街で、サラリーマンの飲酒前後の手軽なファーストフードとして人気が出て(バブルの頃は磯辺餅だった...)、屋台で客の要望に合わせてトッピングする調理法から名称をお好み焼きと変えて売られていました。
したがって、昭和40年代まで東京人にとってお好み焼きとは、どんどん焼きを意味しました。


※画像は借用いたしましたm(_ _)m

因みに、大阪お好み焼きのインベイジョンにより、今は東京人でもお好み焼きは大阪お好み焼きか、広島お好み焼きをイメージします。

どんどん焼きは関西に伝わり、大正時代後期には一銭洋食を生み出し、鉄板焼きとしては、ねぎ焼き(大阪)、キャベツ焼き(大阪)
、にくてん(神戸)、べた焼き(京都)等を派生させ、鋳物焼きとしても大正時代に玉焼き(明石焼き)、ちょぼ焼きを生み出しました。


一銭洋食
※画像は借用いたしましたm(_ _)m


ちょぼ焼き
※画像は借用いたしましたm(_ _)m

暫くしてちょぼ焼きからラヂオ焼きが生まれ、ラヂオ焼きから昭和8年にたこ焼きが生まれました。



大阪十三「味保」のたこ焼き
※画像は借用いたしましたm(_ _)m

大正時代後期に生まれた一銭洋食はどんどん焼きと異なり、花街の旦那、芸者衆の座敷料理として豪華になり、現在の大阪お好み焼きに進化しました。(作家の田辺聖子さんや藤本義一さんによると大阪お好み焼きの発祥は昭和16~17年のようです)



大阪梅田「きじ」の「豚玉」(左)と「モダン焼き」(右)
※画像は借用いたしましたm(_ _)m

因みに、東京下町のもんじゃ焼きは、戦後広まったもので歴史は浅く、山の手や私の住む多摩地区ではあまり食べられていません😅

私実は、お好み焼きより、大阪イカ焼きが好きです😆


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