昨日は夏至でしたね。
陽が極まった日。
制作への意欲も高まっていますが、ここはちょっと落ち着こうと昨日は素材の整理をしました。
ちょっとショックだったのは、丹沢アートフェスティバルの時にインスタレーションとして出した作品の多くを潰してしまったらしいこと。
あまり人から芳しい評価を得られなかった〜と自分で思っている〜ことから自分で自分の作品の評価を下げていたのかもしれないなあと思いました。
今から思うとこの火力がそれほど強くないバーナーでよくあれだけの仕事をしたな!という感じなんですけど。
今同じことをやろうと思ったらとてもできそうもありません。
ちょっともったいなかったなと思います。
私のやっている仕事はどこにも入らない種類の仕事でおそらく評価もしにくいのだと思います。
工芸というほど技術的な洗練はないし、彫刻というには工芸に近いとみられてしまいそうだし、現代美術というと今時はコンセプトが前に出ていないと認めてもらえないところがある。
でも、私がずっとアートで表現したいと思ってきたことは素材が変わっても一貫しているのです。
一言で言うなら、私から生まれる花。
全てのアーティストの作品はその人が生む花なのだと思うのですが、私は絵を描いてきた時からずっとこの花の本質について自分なりに表現をしたいと思い続けてきたのでした。
このガラス素材を使うようになってそれがより鮮明になりつつある実感があるのです。
いったん休んで、もしかしたらもうやらないかも、とまで思ったガラスでしたが、やらないどころか自分が一番やりたいと思ってきたことにいよいよ取り組むことになりました。
人生って本当に自分でも予想ができないものです。
正法眼蔵 第六巻より(増谷文雄現代語訳)
[見仏]
あるいは、この仏を見る眼のはたらきが、それがすなわち、仏法を参学する眼にほかならない。一体、自己なる仏をかなたに見るということと、かなたなる仏のほかに自己なる仏を見るということは、それは別々のことのように思われるけれども、いまいう見仏をまなぶことと、あるいは見仏がわかってうべなうことと。それらは結局するところ、おなじことを別の光のもとで見ているだけのことである。
よい1日を💕
100日ブログ第10期ー自分のエネルギーのマスターになる21日目