折れ曲がり笑った頃 | 4コマ漫画「アメリカは今日もアレだった」

4コマ漫画「アメリカは今日もアレだった」

アメリカ暮らし漫画と昔の日本での愛犬物語です。

 土曜日で、がらんとした大学の駐車場に、わたしは初めて車を停めました。

それからピピを地面におろすと、トランクを開けてタッパーをとり出しました。
「はいピピ。おみずだよ」
 ふたを開けると、小さなプラスチックの箱の中の水が、早春の日ざしに白くまぶしくきらめきます。
ピピはそれを、とてもおいしそうにぴちゃぴちゃと飲みました。

 

・・あら、でも・・・
わたしは、ふいに自分のことに思いいたりました。
そういえば、トイレ休憩も水分補給もピピがしただけで、このわたし自身は何ひとつ済ませていないのです。

 

というわけで、わたしはまた車にピピを入れ、ドアをロックして、いちばん近くにある教養部の建物へと歩いていきました。

今日は土曜日だから、授業は休みです。
空っぽの自転車置き場。
誰もいない中庭。
教室のある教養部棟へとのぼる、幅のひろい階段の上を動く影もありません。
それはまるで、登場人物がすべて去った、背景だけの世界でした。
ここに十八歳や十九歳のわたしが、心の中で折れ曲がりながら、笑い顔で歩いていた・・
そんな自分の姿が、一瞬の風のように映りました。

 

中庭に面した階段も、廊下も、砂でざらざらしていました。
踏んだ砂が鳴る、ざくざくした音を気にしながら、わたしはひっそりと階段をのぼり、外廊下を静かにすすんで、動物のようにするりとトイレにはいりこみました。
すると、十年ぶりのそこは、たしかに十年ぶん古くなり、十年という見えない時間が白く積もっていたのです。