フォトグラファーさんへの見本として送った、同じ日本語学校で数年前に買ったクラス写真(りす吉はみんなと一緒に写り、他のお子さんが一人欠席者枠に入っている)について、わたくしぜんぜん
「この子だけ目だってクヤシイ!!!」
みたいなキモチはおきませんでした。
今あらためて見直しても、心をオニにして見ても(爆)、どうやっても感じません。
顔のサイズだって他のみんなと同じだよ。しかもすみっこだし。
どちらかというと逆に
「そっか・・みんなといっしょに写真にうつれなかったんだね・・・」
という、ちょっとかわいそうなキモチにかたむきます。
こんなわたしがヘンなのか?と思い、人々が「欠席者別枠」についてどう感じておられるのか(アセ)、ネットをチェックしてみましたが、やっぱり「枠には入りたくないー」 「みじめになるからいっそ自分は載せないでほしい」などの意見が・・
こんなキモチ・・
昔からこのスタイルを知りきってしまっている日本人だけのものなのか?
アメリカ人には反対に「目だてる特別待遇!!」と映るのか?
(ボブに聞くと、このスタイルはアメリカではなじみが無いらしい)
日本文化(アセ)がアメリカ人に接すると、こんな化学反応が起きるのか?
アメリカ人のポジティブさ(目立つのは良いこと)が、皮肉にもこうしたネガティブ感情を生むのか?
じゃあ例えば、当日誰かが急な病気で登校できなかった場合、(前日撮影もすでに間に合わない)その子はもう、クラス写真に入る道はない。
そういうケースを、フォトグラファーさんは想定していない。学校は、結果的に切り捨てokの姿勢。
ヘイ アメリカ人!!
そんな冷酷ポジならやめちまえ!!
って・・・これまで私が接してきたアメリカ人のみなさんに、そんな世知辛さというか陰湿さはどうも感じられず・・
それでは、アメリカでくらす日本人・日系人に、どちらとも違う複雑なナニカがあるのか?
(リスキチが通う日本語学校の生徒は、両親・または片親が日本人・または二世などです)
・・・・うーむ・・・
クラス写真に欠席者枠をつけるために「クラスの保護者全員の許可が要る」というフォトグラファーさんや学校のキビシサからは
何かに対する怖れ?
モンペトラウマのにおい?
もするんですけど・・
まあ、こんな「どう感じるか」という感覚問題は個人個人のもので平行線をたどるばかりだし、こっちもいろいろいそがしいので、うちは今回はスルーしました。
しかしクラス写真。想定外の方向に奥が深くて考えさせられたー
つか もしかしたら一ミリもオク深くなくーー
じっさいには誰も気にしない過去モンペの幻影とか、
ごく私的な人間関係の後腐れ(枠入りの子がたまたま嫌いなおたくの子でいちゃもんつけた人がいて、それが前例になっちゃった)とか
だったらホントやれやれだぜ。
というわけでリスキチ!
おかーさん、ボランティアの時にもらえる”自分の子撮影タイム”でいっぱい写真とるからねッ!!
追記:フォトグラファーさんと直接お話した後日談→「クラス写真の後」です。