私が裁判所に提出した、陳述書の最後に書いたのは次の通りです。
私は、日本を離れ、外国に暮らす日本人です。昨年の東日本大震災では、日本人の礼儀正しさや助け合いの様子に、諸外国の人々は驚き、大きな賞賛の拍手を送りました。私はその時、日本という国と日本人を、たいへん誇りに思いました。
日本には、これからも世界に誇れる善い人々と社会があってほしい。苦労してこの国を作り上げてこられた高齢者の皆さんが安心して暮らせる社会が存在し続けてほしいと、心から願っています。
私はアメリカ人と結婚し、アメリカに暮らし、希望すればアメリカ国籍をとれます。
でも、アメリカ国籍をとると日本国籍を失ってしまう(日本は二重国籍を認めない、珍しい国です)ので、私は日本国籍のままにしています。
数年前、ボブの友人でアメリカ大使館員として世界各地に赴任している人が、私に
「あなたアメリカ人になれるわよ!(良かったね)」
と、ニコニコして言いました。
私は彼女に
「いえ、私は日本人でいるのが好き」
と答えました。
彼女は驚き、動揺し、返す言葉もないようでした。
なぜなら、その頃の彼女の仕事は、どうにかしてアメリカへ行き、なろうことならアメリカ市民権を得ようとする人々との、あきれはてるような面接作業だったからです。
彼らがのどから手が出るほど渇望しているアメリカ国籍を目の前に差し出されながら、「そんなのいりません」などという人間が、この世にいるなんて。
・・もちろん、アメリカに永住しているからには、国民として守られ(私のような”外国人”だと、国外追放も起こり得ます)、選挙権も行使できるアメリカ人になったほうが、どれだけ「有利」か知れません。
でも、
日本国籍を失いたくない。
日本人でありつづけたい。
私は、日本を誇りに思っている。
いろいろイヤなことも、悲惨な事件も、陰湿な国民性もあるけれど、私はたぶん、日本という国の豊かさを、世界のどこよりもすばらしいと思っている、あるいは思いたいらしいのです。
四季の、自然の豊かさ。
歴史の、文化の豊かさ。
物質的な豊かさ。
教育水準の高さ。
努力と工夫に富んだサービスや生産物。
戦争で焦土と化した日本。世界観や価値観がひっくりかえり、その後の再建では公害問題や自然破壊を多発させ、いびつな方向に人間性をゆがめながらも、日本の良さを残し、経済大国を作り上げてきた。
この偉業を成し遂げたのは、今の高齢者の皆さんです。
私はたった一つだけ後の世代の者として、戦争も知らず、豊かさを享受してきました。
そして、東日本大震災という未曾有の悲しみと危機の中で、図らずも世界に紹介することとなった、品位や助け合いという底力。
そうした日本人の美しさが、これからもずっと存続していってほしい。
高齢者が苦労して積み上げた財産が、彼らのまともな意思によって次世代に引き継がれる、そんな正当な社会であってほしいです。
大震災のあと、人々の不安につけこんだ悪徳訪販が繁盛したという記事を読みました。
品位や助け合いに逆行する、哀れむべき行為です。
けれど、悪者というものはいつでも、どこにでもいる。
それにみんなで対抗し、正しく裁く日本であってほしいです。
参照:「東日本大震災で全世界からの日本人に対する称賛 」(NAVERまとめ より)