池澤春菜 | ドクターペッパー大好きブログ


音楽に貴賎はあるのか?という事をたまに考える事がある。この音楽は良いもので、この音楽は悪いものだと断言するのはナンセンスで、人それぞれの価値観があって~...等と言う気は全く無く、好みではない音楽がかかると不快にもなるし、できれば二度と自分の耳に届かないでほしいと思う音楽は山程あるし、悲しいかな今の世の中の大半の音楽はその不快なものにあたる。この不快感の原因のひとつに境遇の違いというのがあって、例えば大学でスポーツ系のサークル活動に精を出す若者や、仕事に精を出すサラリーマンやOL。あとは、そう、金持ち。それぞれの境遇があって、それに合った音楽があり、その逆で明らかに境遇とは合ってない音楽もある。金持ちが聴く音楽というのは全く想像できないが、少なくともパンクやハードコア、アヴァンギャルドやノイズ、実験音楽の類では無い事は確かだと思う。もちろん例外もあるとは思うのだが、世の中のそういう類の音楽が相変わらず全く儲かる事が無く、絶望を継続しているのは明らかだ。そういった音楽のハングリーであるところに共鳴し、感銘を受ける事ももちろんあるのだけど、しかし、やはり音楽の本質から考えると、そんなものはどうでもよいと思ってしまう。ここでいう音楽の本質とは「音」そのものの事である。音自体が快か不快か。

池澤春菜は、御存知の方も多いと思うが、いわゆる「御嬢様」だ。自分とはかけ離れた生活をして、かけ離れた価値観を持っている...というのは、こちらの勝手な妄想も多いかもしれないけど、その「音」は圧倒的な快を含んでいる。今、世間で流れているような音楽は中途半端に身近で、友達感覚で近づいてくるから厄介だ。手の届かない貧富の差があってもいいじゃないか、日常を嫌と言うほど味わって、どんなに努力しても報われない人種のために量産される日常的な音楽の事を考えると気が遠くなってくる。池澤春菜を御嬢様という色眼鏡を通すのは、本人様には甚だ迷惑かもしれないが、私のような3流アンダーグラウンド音楽家の事なんかは高飛車に見下してほしいものだ。住む世界が違うという事を見せ付けてほしい。









caramel/SME・ビジュアルワークス

¥3,059
Amazon.co.jp