山田太一のドラマ「岸辺のアルバム」「ふぞろいの林檎たち」など好き。原作の『異人たちの夏』も読んでいた。でも、本が出た頃だからうろ覚えで、映画を観ながら思い出すと、この映画は、かなり違っている感じ。

原作はお盆の浅草が舞台で、恋人は女性だった。
https://www.shinchosha.co.jp/book/101816/

そして邦画。残念ながら未見。これは原作に近いようだ。

 



この2作と英国版の大きな違いは、恋人の女性が男性になっていることだろう。アンドリュー・ヘイ監督の体験が沢山重なっているらしい。

「異人たち」

https://www.searchlightpictures.jp/movies/allofusstrangers

脚本家のアダム(アンドリュー・スコット)が、高層の窓から見るロンドンの夜明けの街。徐々に明るくなり日が差すシーンは息を呑むほど美しい。

アダムは夜になるとほとんど人気のないマンションに住んでいる。ある晩、非常ベルが鳴って外に出るが誤作動らしく、マンションを見上げると1つの窓だけが電その部屋だけに人が住んでいる。取り壊し予定のマンション? ビジネスビルなら徹夜仕事だってあるよね?と、幾分不思議な。

部屋に戻り、アダムは家族をテーマに書き始める。すると誰かが訪ねて来た。ハリー(ポール・メスカリ)と名乗り、「覗いていただろ。一緒に飲もう」とウィスキーを見せる。すでに酔っぱらっているハリーを家に入れる気が起きず、アダムはドアを閉める。


日本製ウィスキーと言っていたけれど、この中にあるかしら。
https://shop.buzaemon.jp/collections/japanese-whisky

アダムは脚本を書くために子供時代の地区を訪ねると、懐かしい家が残っている。この家は、ヘイ監督が幼少時代を過ごした家だそうだ。


思わず訪ねると、出てきたのは亡くなったはずの母親。アダムは不思議に思いながらも、招き入れられるままに入ると父親もいる。そしてテーブルを挟んで語り合う。

母親が半裸の息子を見て、体が自分の父親と似ていると愛おしい目で見つめるシーンがあった。アダムは両親のベッドにもぐりこんで母親に、一緒に話したかったこと、したかったことを話す。

たった12歳で親を失って生きて来た孤独なアダムの悲しみや胸の痛み。母親も父親も優しく慰め、アダムがゲイだとカミングアウトしても「大丈夫だ」と声をかけてくれる。その父親がハリーに変わるのだ。

通うたびにアダムの体は、何故か弱っていく。そして親からは「もう来ないで」と言われてしまう。

この映画は、みんな死んでいるという解釈が多い。アダムの両親は彼が12歳になる前に交通事故で即死している。そしてアダムはあの火災報知器の火事で死んだ。ハリーは薬と飲酒ですでに死んでいる。そしてこれは、アダムのやり残した思いとハリー、それぞれの彷徨う魂の浄化の物語。納得できる。

でも、私は障害を持って死にたい気持ちの方とのお付き合いもあるため、基本「生きてさえいれば良い」「生きていてこそ」という願いがあるので、映画であれ、せめてアダムには、生きていて欲しい。となると、最初にアダムは脚本を書こうとしていた、その物語、アダムの限りない夢想の世界となるのだが…。


事故で途切れてしまったけれど、親の愛情は喪失したわけではなかった。変わらなかった。アダムがゲイだと告白して、母親が驚いても、思い直して肯定する。そして抱きしめる父親。
そうであってほしいとアダムの願う親子の愛情が惜しみなく描かれる。そしてお酒や薬に紛らわせているハリーの悲しみをも、アダムが優しく受け止める。愛の物語は、死を乗り越えてしまうのかも知れない。
深い余韻の残る映画。

映画の原題は「All of Us Strangers」(「私たちはみな異人」でいいのかしら?)。
こちらは解説が少し入って分かり易い。


ヘイ監督が語る、NYタイムズの記事。
https://www.tjapan.jp/entertainment/17688932?page=5